「ミカドの肖像」と「土地の神話」 | 探検塾

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NYで都知事のオリンピック誘致活動


ともに現東京都知事の猪瀬直樹の代表作である。「ミカドの肖像」は1985年から86年にかけて週刊誌で連載されて単行本となった。「土地の神話」の方は、「ミカドの肖像」に続く形で連載が始まり、1988年に単行本化された。


当時はというと、週刊誌を時々手に取り読む程度で、単行本を買うことはなかった。ただし、この二作は当時の東京のホワイトカラーの人たちの間では話のネタとしてしばしば出ていたので、自分でも内容は理解していた気になっていた。今回、本を買い求めて一から読んでみた。


「ミカドの肖像」は三部構成からなっていて、堤康次郎が築き上げたプリンスホテルチェーン、イギリスのオペレッタ・ミカド、それから明治天皇の御真影のエピソードからなる。「土地の神話」では堤康次郎のライバルで東急グループをつくった五島慶太がメインである。


この二冊を読み返してみて思ったのは、「ペンは剣より強し」がこの二十数年の間に日本的な形で、つまりペンが日本社会の嫉妬と侮蔑の感情を引き起こして社会の新しい常識をつくる形で、実現しているということである。


「ミカドの肖像」では、西武のプリンスホテルが戦後すぐに旧皇族の土地を甘言巧みに奪い取り、戦前から開発していた軽井沢を世紀のテニスの恋の舞台として演出した手法を暴いた末に、堤康次郎をユダヤ商人のような強欲さで描いた


西武グループは二代目堤義明がJOCの会長を務めたりして影響力を行使して、1998年の長野冬季オリンピックでも一稼ぎした。しかしそのころには、「ミカドの肖像」が国際的に常識となり、「西武王国による長野オリンピック」的なプロトタイプの記事が英語であふれていた。西武グループの来歴に対する侮蔑は日本社会の感情としてボディブローのように効いたので、2004年の西武鉄道の上場廃止、翌年の堤義明の逮捕、みずほ銀行が西武グループを支配するという展開の中で、だれも堤ファミリーを助けようとはしなかった。「ミカドの肖像」は西武王国の秘密を暴いただけではなく、二十年後に堤家の西武王国が崩壊するのにも力を発揮した。


「土地の神話」では、ほしいものは強引に奪い取り東急王国をつくった「強盗慶太」と呼ばれた五島慶太が話の中心にいる。今となっては、「土地の神話」というタイトルに違和感を感じるが、当時の東京のサラリーマンの関心にピッタリと合った内容であった。なぜ土地の値段は開発すれば上がるだけで下がることはないのかとか、なぜ東京の勤労者は郊外に住み満員電車と化した郊外電車で通勤しなければならないのか、という疑問に、著者は戦前からおこなわれていた郊外開発と郊外電車の歴史をひもとくことで答えたのだった。


ここでもペンは強しが多分に日本的な嫉妬の感情とともに現れた。つまり、郊外鉄道と郊外開発により、マジックのように地価を高騰させてぼろ儲けすることを憎み、東急王国のようなものができるのはもう許さないという感情であった。


「土地の神話」当時に計画されていた常磐新線、今の首都圏新都市鉄道つくばエキスプレスでは、「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法」(「宅鉄法」と略称)ができて、開発利益の社会的な還元が図られた。私鉄開発のうまみが消えて、実際に「土地の神話」以降は首都圏から私鉄開発が消えた。それ以降、鉄道延長を延ばしたのは東京メトロや横浜市営鉄道などであり、つくばエキスプレスの運行主体はJRでも私鉄でもない沿線の地方自治体による第三セクターである。


個人的には、堤康次郎の西武王国や五島慶太の東急王国が生まれたのは、日本の強みであると考えている。経済成長と都市拡大を経験してきた国は多いが、彼らのようなタイプの起業家を生み出した国はない。鉄道経営は採算にのるまでに長い時間がかかり、その間になるべく集中して沿線を開発する必要がある。西武や東急はほとんど税金に頼らず、ビジネスのリスクを自ら取りながらそれを実行した。


彼らがいなければ、車やバスで一体いつ着くのか毎朝わからない通勤をしなければならなかったかもしれない。交通整備は文明化と同じである。財を成した少数の人たちが高級車を手にできるが、走る道はボロボロというのが途上国的風景である。西武や東急が作ったビジネスモデルは、日本が通勤鉄道の需要が高まっている新興国に紹介できるユニークな経験だと考えている。

 
絶対に乗りたくない通勤電車 (ダッカ)


日本国内の視点で見ると、もう新しい郊外鉄道はほとんど必要とされないだろうから、「土地の神話」の読者は限られるだろう。しかし、日本人と天皇の物語は今後もつづくので、「ミカドの肖像」は読み継がれると思う。


さて、猪瀬直樹のペンは数十年間効く猛毒を吐いてきたが、都知事としてそれを超える仕事ができるのだろうか。東京がどのような形の文明化を経て出来上がったのか、だれよりもわかっている人であることは確かだ。

オペレッタ・ミカドより

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