我が家の犬たちは天使だった【②生活編】 | 禅空「空、見ちょる」

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いよいよ始まる新しい黄金時代のごきげん五次元ライフ

よみがえりアクティベーターのしげ☆です。


前回からの続きです。

 





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話は少しさかのぼりますが、
ぼくは平成2年のクリスマスに、
大阪から東京に本拠地を変えて、
企業向けの財務コンサル会社を
立ち上げていました。


その後、
仕事が軌道に乗り始め、結婚しました。


その時、元家内が連れてきた

ゴールデンレトリバーが
ダンボたちの母犬のエルでした。
 

 


ぼくは、当初、犬を飼うことには反対でした。

ぼくにはアレルギーがあったので、
ふわふわ舞う毛を見ただけで
くしゃみや鼻水が止まりませんでした

これからいろいろ頑張らなくてはという時だったので、
仕事に専念したかったのです。  

 

最初はイヤイヤだった

エルとの暮らしでしたが、
次第にエルの可愛い仕草に、

とりこになっていきました。

 

不思議なことに

いつの間にかアレルギーもなくなりました。

犬たちには人の意識を変える力があるんですね。
 

 

 

↑この子がエルでした。可愛いでしょ?



そのエルが、予期せぬ出産をしたのは、
バブルの余韻がいまだ冷めやらぬ時でした。


当時、ぼくは
お金を稼ぐことが生き甲斐で、
とにかく競争に打ち勝って、
人から認められて、
立派なステイタスを得ることに
邁進していました。

ほんと、それしか考えていませんでした。

 

 

会社の代表として、経営者として
社会からの評価を得ようと、
中身のなさを
常に見せかけのカッコでごまかし、
 
クールで立派な経営者を演じるために、
取り繕いの人生を歩んでいました。  


 

人に負けたくなくて

馬鹿にされたくなくって、
いつも怒りと不満、

劣等感と孤独が一杯でした。


大人になっていくうちに、

その劣等感は加速しました。


小さかったときのような

純粋さはなくなり、
泣いたり、笑ったりということを

次第に忘れていきました。
 

 

強い男は絶対に涙なんて見せないもの、
感情を見せるのは男の恥だとさえ思っていました。
 

 

そんなぼくは、エルの出産についても否定的でした。


 

でも、一人でエルの出産に

立ち会うことになってしまい、
不覚にも大パニックに陥り、

 

大泣きしてしまった体験は、
ぼくの中で想定外の衝撃体験だったのです。

 

↑幼少期のダンボの写真

 


ゴールデンレトリバーのダンボは

生まれたときは
両手のひらに乗るくらいの大きさでし た。


彼は、耳と身体が

とっても大きかったので
ダンボと名付けましたが、

 

ちょっと虚弱体質で、
い つも遠い向こうの世界を夢見てるような、
そんな感じのおっとりした静かな子でした。
 

 

ぼくはそんなダンボが

愛おしくてたまりませんでした。


生まれてから数年経った彼は、

体重が43キロになりました。

 

 

まさに超・大型犬〜(笑)

 

 

ダンボが横に並んでお座りしてくれてると、
彼の大きな身体がなんともたくましくて、
嬉しさがこみ上げてきました。


彼の首に手を回して、抱きしめていると
辛い仕事の出来事も溶けていくようでした。

 

↑ダンボは迷惑そうな顔をしてますが僕はご満悦


彼と一緒にいると、

出産の時にはこんなちっちゃかったのに、
 

「いのちって ほんとにすごいなあ」と
 

不思議な気持ちになり、

感謝がわいてきました。
 

 

 

「こいつの魂はどこからやってきたんだろう。」

 

「息を吹き返したときはどんなことがあったんだろう?」


 

 

そんなこともよく考えるようになりました。  


 

とにかく、

大きく育った息子をみる父親のように
立派になった彼の存在が愛おしく、 

また頼もしく、
なんか深い男同士の絆を感じるほどでした。



でもそんな彼は、

小さい時からトラブル続きでした。


 

股関節の形成不全で歩くのが困難になって、
高額の気功治療を受けたり、
 

35度以上の猛暑が続く暑い夏に
元家内の実家の富山で行方不明になって、
大規模な必死の捜索隊を

繰り出したこともありました。


その時は、手がかりが全くつかめず、
どこかで餓死しているんじゃないかと

心配で仕事もほったらかしで、

早朝から深夜まで探しまくりました。


毎日眠れずに、生きた心地がしませんでした。


幸いにも、二週間後、

ガリガリになって川辺をうろついてた
ダンボを発見した時は、

 

もう嬉しくて嬉しくて、
ほんとに神様に泣きながら感謝しました。
 

 

 

トラブルはまだ続きました。

ある時は、目の前で

おもちゃのボールを飲み込んでしまい
慌てて医者に行って、レントゲン撮ってみたら、
 

なんと

 

 

胃の中から別のボールが数個発見され、
大掛かりな開腹手術をしたこともありました。


 

また家で留守番中に、

大きな缶詰のペットフードを
缶ごと食べてしまったこともあります。  



そんなことが度重なって、

ぼくはダンボのいのちに対して

「異常な執着」を持つようになりました。




彼は本当に手のかかる子でした。

 

 

だからこそ愛情はひとしおでした。

 

 

出産時のよみがえりがミラクルだったが故に、


『何があっても彼だけは絶対に守る』

 

『いや、守らなければならない』

 

それがぼくの役割であり、責任だ

 

 

と思っていました。






しかしその後…





ある日、ダンボの母犬のエルが突然死しました。




原因は不明でした。



ずっとエルと一緒にいた

元家内と僕は落ち込みました。

ふたりとも激しいペットロスになり、

仕事も手につかなくなりました。


エルは病気ひとつしない

丈夫な子だったからです。

 

 

だから絶対に「彼女は長生きするはず」と

僕たちは期待し、確信し

 

そう思い込んでいました。


だから、この突然死は

「受け入れがたい出来事」でした。



こんなことになるのがわかってたら…


 

「もっと散歩に連れていってやればよかった…」
 

「もっと美味しいものを食べさせてやりたかった…」

 

僕たちは、彼女に対して

 

何もしてあげられてなかった…

 

 

 

そんな自責と後悔の念に

押しつぶされそうになりました。

 

そして元家内は、うつ病になりました。

 


ダンボは、小さい時から

いつもエルの後をついて歩いていました。

体は超デカかったですが、

ちょっとシャイで臆病な子で、
エルがいつもダンボを見守っていました。
 

↑左がダンボ、右が母犬のエル

 


不思議なことに

エルが突然逝ってしまったその日から、
 

ダンボは虚空をじっと眺めるようになり。、
あまり動かなくなってきました。


そして、エルの死から、しばらく時が流れました。


エルの死による心の痛みが

ようやく癒え始めたある日のこと、
 

またしても悲劇はやってきたのです。
 

 

 

▶その③へ、つづく