土曜日(26日)はボスの家で、私の帰国を前にしたお別れバーベキューを催して頂いた。この日は4時に来てくれと言われていたのであるが、子供の小学校でカーニバルがあり妻と子供2名は出払っていたほか、私は段ボール買いだし、詰め込み、クルマの給油、洗車、テーブルの解体などをしていたらすっかり遅くなってしまって、ボスの家に着いたのは5時であった。

流石にみんな揃っていたが、ディナーは一部準備中で、アメリカスタイル的にはぎりぎり問題ない到着時間であった(笑)。この日はボスの家のプールサイドでビールをラッパ飲みしながら色々な話をしたが、やっぱり福島第一の話は結構大きな話題になった。ボスは原子力推進派ではないと言っていたが、一方でこのようなライフスタイルをする限り原子力は必要だという立場である。ボスが面白いのはアメリカの高レベル使用済み核廃棄物の最終処分場としてきまったユッカマウンテンを事実上、超長期に見たときに火山噴火の被害の可能性があるという論文を発表して、科学的に葬り去ったという経歴があると言うことである。

私は日本の報道などを元に、地質調査所の調査結果により今回と同様の津波が9世紀にあったので、東京電力に対し施設の対応を強く求めたにもかかわらず、何もしなかったとらしいということを言った。ボスはその前日にIAEAの会合で東電が示した最大津波の予想を紹介したのであるが、それは昨年の発表で、要するに東電は国際社会に対しても堂々と地質調査所の調査結果を無視し続けていたと言うことがわかった。これは要するにだましていると言うことにほかならず、批判は避けられないだろう。

ボスは、日本のように確定論的と言って、過去の実績の最大値を安全基準に持ってくるようだと帰ってよろしくなく、確率論的と言ってある程度想定される災害に幅を持たせた方が、結果として安全になると主張している。しかし、その確率分布関数として何が良いかというのは大きな問題で、ボスも考え中だそうである(笑)。

いずれにしても、原発の場合は反原発と原発推進がひたすら叫びあうような格好で、歩み寄りのあるような話し合いがされてこなかったというのは非常に不幸であったといえる。今回の事故で、NHKに何人かの専門家が出演してきたが、彼らがみんな「御用学者」呼ばわりされているというのは、彼らの「安全です」メッセージが裏切られ続けているとしても(私は、視聴時間が短いせいか、そんなに彼らの言っていることが間違っていないと思うんですが、良くわかりません)、よろしくないと思う。

地質学者の言うことが聴かれなかったのは、地質学者がどちらかと言えば反原発に近くて、何かと電力会社に都合の悪いことをつぎつぎと言って、それが真実だとしても反原発で言っているとしか思えない印象を与えていたとしたら、これは不幸なことである。かといって、地質学を普通にやっていればなかなか原発推進とはいえないのでこれは難しいところである。

ところで、この日のバーベキューは、別に肉をその場でジュージューやるわけではなくて、バーベキューという料理が出てくるというものであった。アメリカではバーベキューとは、豚肉をバーベキューソースで調理したもので、日本の野外焼肉と言ったイメージとは随分違う。先生の奥さんはアメリカ人には珍しく、食の探求者でバーベキューソースも妙なる香りで、大変美味しかった。
先週車を売ったのに続いて、今週月曜日には借りていた洗濯機と乾燥機をリースやさんに返し、帰国準備は進んできたのだが、相変わらず原発の動きが気になり、ほとんどTwitter中毒なのであった。しかし、水曜日はゼミがある。ゼミはお昼から1時間程度大学院の授業も兼ねて教員や院生(doctoral candidateクラス)、私のような研究員が話すというものである。初っぱなは私が、伊豆大島の噴煙の話をしたが(1月)、私はもう帰るので最後に箱根の話をすることにさせてもらった。

箱根はこの間の東日本大地震のすぐあとに地震が活発化したが、昔から周辺の地殻変動に感受性が強いことが知られていて、ここにいるD嬢の研究と近いのであった。Twitter中毒で廃人同様になってしまった私は、今回も特に準備せずに話し始めたのであるが、途中躓くのは多数あるが、1時間程度の講演だとナントカこなせると言うことが今回証明された。

D嬢からはいくつか質問が出たが、期待したほどの食いつきはなかった。ところがボスは目がらんらんと輝いてきて、箱根の重力データを自分で解析したいので送ってくれと、超乗り気なのであった。思わぬところでコラボレーションが今後も続きそうな予感である。

その後、木曜日は最後のランチだと言うことで、イチバンでボス、奥さん、めるちゃん、海獺さん、ニカラグアのA氏、日本人のK氏、フランスの汁椀夫妻、D嬢、新しく海獺さんの所に来た中国人のポスドク・ハオさんなどと、ワイワイと楽しくやった。

金曜日である今日は、ボス、海獺さん、D嬢がコロキアムで東日本大地震パネルディスカッションを催して、結構な人が集まって、私としても勉強になった。ディスカッションの部分では、何人かが質問や意見を述べたが、日本のネタで私が沈黙しているのも変なので、蛮勇をふるって2つの指摘をした。一つは、今回事故を起こした原子炉はポンプ系の電圧やコネクターがアメリカの規格でこれが緊急時の障害になったことからこういう重大施設はローカライズが重要だと言うこと(あんまり地学と関係ない、大前さんの受け売りである)、あとは今回の津波と同程度の津波が9世紀に起きていたこと地質調査所の研究員によって発表されていたが余り注目を受けていなかったと言うことを話した。

しかし、講演には耐えられても即興で話をするのは相変わらず難しくて、だいぶ詰まった。これは日本に帰ってからも改善が必要だろうと思う。

ちなみにボスはIAEA経由で東京電力の地質評価などについて結構情報を入手していて、異様に詳しかった。アメリカと国際機関の底力を痛感した次第である。
帰国に備えてクルマを手放すことにして、少し前にザビエル氏の所に値段を聞きに言ったのだが「毎週値段が変わるので教えられない」ということで、雑談をして帰ってきてしまった。そのうちJudyが「息子の友達で欲しいという人がいるから、その人に売ってみたら」というのである。

そういうわけで、17日にクルマを見に来てもらった。息子サンの友達のNさんは、クルマを一目見て気に入ったようだが、値段を3000ドルとしたいと言ったら難色を示しだした。私はKBBというサイトでだいたい相場がこれくらいだという調べをつけて値段を言ったのであったが、かれは良いとこ1000ドルだなと言う。Judyの息子さんにいたっては「あんまり言いたくはないんだけどさ、アメリカの中古屋はどこもそうなんだけど、今回みたいに売るだけで、別のを買うというケースじゃないと500ドルってとこだとおもうよ。僕は何度も売買しているから知ってるけど3000ドルって言うのは無いと思うな」という。

しかし、1000ドルはいかにも安すぎる。そうこうしていると雑談になり、私がテレビもいらなくなる。と言う話をぽろっとしたら、そのNさんはとつぜん「なに、テレビ!?」と突然顔色が変わり、それを買いたいというのであった。こちらはもともと350ドルで買ったもので、べつに誰かにくれてやるつもりだったのであったが、「いやいや、買うよ、ただじゃ悪い」と言い出すのである。クルマとは偉い違いである。


前、L嬢と旅行したときに教育学部の授業の話から人種や階級によって嗜好するものが違うと言うことで、黒人の労働者階級は冷蔵庫よりもテレビが大事というような話をしていて、大いに驚いたのであったが、なんだかテレビで突然スイッチが入るNさんを見ていると、確かにそうかもと思ったのであった。

ところで、Nさんはあんまり金持ちではないみたいで、1000ドルは痛いなぁとかいって、娘と相談するとかいって帰っていった。そうしたらその日の午後に、「さっきの話だけどさ、1700ドルで、クルマ、テレビ、GPS全部つけて、でどう」というので、オーケーすることにした。そうしたら、その日のうちに速攻でやってきてクルマを持って行ってしまった。

アメリカのクルマの売買はとても簡単で、まずクルマの権利書にあたるTitleという書類に、私はこのクルマを売りましたというサインをして相手に渡す。あと、確かに売買が行われたという書面を書いてサインをする(書面自体、汚い手書きのもので、こんなので良いのかと思うが良いらしい)。そうして、元の持ち主はナンバープレートを外して、それを徴税人事務所に持っていけば良いのだそうである。

ナンバープレートを外したクルマを乗っているのはいかにも怪しいが、当座はそれでも問題ないらしく、Titleを携帯していればとりあえず所有権は証明されるらしい(このときにTitleを第三者にとられたらアウトだし、保険に入っていないわけだから事故ったら大変なことになるので、注意である)。

さて、ナンバープレートは翌週の月曜日に、徴税人事務所に持っていったが、ダメモトで「お土産に欲しい」といったら、たしかに所有権を外しましたというコンピューター入力をしてくれた上で、billという書式をもらって、ここに相手のサインと自分のサインを入れて持っているように指示を受けた。そういうわけで、無事思い出深いナンバープレートというお土産が出来たのであった。