さて、空港のマリオットは非常に快適であった。やっぱり少し高くても空港のホテルはよいと思った。翌朝は6時にフロントに下りてそのままチェックインカウンターまで行ったが、荷物を全部持ち歩いたので妻には不評であった。ポーターに頼めばチェックインカウンターまで持っていってくれるのである。しかし、ポーターはそんなにたむろしているわけではないので、前日に言っておかなければいけないのかも知れない。まあ、この辺は次回の課題である。

Unitedのカウンターでは自動チェックインだと案内の人に言われたが結局国際線はそんな事はなくて、自動チェックイン機に窓口で手続きをしろと言われた。窓口ではパスポートに張ってあるI-84Wを国際線のボーディングパスに丁寧に張り替えてくれて、国内線のボーディングパスと一緒に渡してくれた。荷物は一人1つまでが預け入れの限界だとネットでは書いてあったので5つお願いした私はお金を取られることを覚悟したが、結局何も言われずただで5つ引きうけてくれた。これは良かった。

さてワシントンダレス空港までのフライトは非常に順調で、ここから国際線に乗り換えたが特に遅延もなく行きとは違って至って平穏な旅であった。飛行機はカナダ、アラスカを経由して千島列島の南に沿って南下して鹿島港のあたりで本州上空に達するルートであったが、途中のアラスカの大雪原と大きく蛇行する大河はとても印象的であった。
さて、Judyの家で熟睡をしていたのだが明け方、激しい雷雨になった。私はマヌケにも雷雨だけどまあいいかとウダウダ寝ていたのだが、Judyによるとバルコニーの家具は雨に濡れたそうで、朝拭いたのだそうである。フロリダでこの時期に雷雨というのはちょっと珍しい気がするとJudyも言っていた。とにかく予期せぬ雨だったのであった(予報をよくチェックしていなかっただけかも知れない)。

この日(月曜日)は、家の最終片付けだったのであるが、引っ越したくせに変なものがでるわでるわで、私はすっかり気分を害した。結局そうした変なものもかなりの部分Judyに引き取ってもらったので、大変申し訳なかった。午前中はこういう片付けと、郵便局に最後の荷物を出しに行くというのでお仕舞い。昼はJudyとマーシャルスチューデントセンターのフードコートで食べて、その後は地質学科の色々な人に挨拶をしてまわった。

その後は空港のホテルまで移動であるが、なんとJudyは予定していた大学の巨大バンを予約し損ない、結局ボスのトヨタ製ピックアップトラックが出撃することとなった。ボスのピックアップトラックは荷台に幌がないのでこんな雨の中空港まで運べるのかとても不安になったが、アパートメントに到着したボスの車を見てびっくり、何ともりっぱな蛇腹式の覆いが装備してあることを初めて知った。

この覆いで篠突く雨も問題なく、一路州間高速道路を空港まで送っていってもらった。空港のホテルのエントランスで、Judyとボスと挨拶をして別れて、ホテルの部屋に入ったが、なかなか快適である。しかし、まだ帰国の実感は全くないのであった。
日曜日は朝から引っ越しと相成った。引っ越しと言っても我が家は家具の類は日本から何一つ持ってきていない。どうしていたかというと、ニカラグアのA氏や、Judyから借りていたりもらい受けた家具やベッドをつかっていたのである。これが普通の生活をするには十分な量で、このまま何年生活しても問題ないようなものだったのであるが、これは逆に引き払うときに問題となるのであった。

最初Judyは全部あげるので捨てて良いと言っていたし、ニカラグアのA氏も引っ越して部屋が小さくなったので残りは誰かにあげて良いといっていたのであるが、捨てるのはもったいないので、救世軍などチャリティーやリサイクルに寄付しようと、妻が連絡を取っていた。ところが、Judyの娘さんが突然、新築一軒家を購入してしまい、Judyは突然私の家の家具の引き取りを宣言した。

そういうわけで、日曜日は朝、Judyの息子のSさんがトレイラーで我が家に乗り付けてきて引っ越しが始まった。まず、引っ越しはニカラグアのA氏の家具のうち、本人が戻して欲しいというのを彼の家に運んだあと、一切合切をJudyの家に持っていった。なぜJudyの家かというと娘さんの新居がまだ完成していないからである。お陰でおかげでJudyの家はほとんど物置みたいになり、リビングにはマットレスとソファーセットが2セット占拠する事態になり、バルコニーにはリビングから追い出されたテーブルセットと、うちから運び出されたテーブルセットがはみ出るという悲惨な状態になった。これが5月の入居まで続くのである。

まったく申し訳ない次第である。

さて、そのような状況の中、日曜日の夜はJudyがサンクスギビングディナーを作ってくれた。サンクスギビングはアメリカで最も重要なホリデーで、そのディナーはターキーとポテトと言う具合である。ターキーは売ってはいるがそんなにしょっちゅう食べるものでは無く、日本で言えばおせち料理みたいな、伝統的な特別行事食である。

Judyは私たちがサンクスギビングのときに、DCやNYに旅行してJudyの家に行かなかったのを大変残念に思っていて、絶対に食べさせたいと思っていたらしく、最後の最後で私たちの帰国を惜しんでこのようなディナーを作ってくれたらしい。ディナーには娘さん2名とSさん、日本人留学生のK君も招待されてひとしきりアメリカの味を堪能した。

この日は、我が家のアパートメントにはベッドが無くなったので、Judyの家に泊めてもらったが、大変快適であった。