『パーセント』・最終回 | なにわの司法書士の徒然草

なにわの司法書士の徒然草

つれづれなるままに日暮らし
PCに向かいて
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書きつづれば
あやしうこそものぐるをしけれ

NHKテレビ土曜22時のドラマ『パーセント』

 

 

伊藤万理華が身体障がい者を起用したドラマを製作するという作品だったが

 

改めてこういう作品の難しさも感じさせられた

 

 

ドラマの中で製作される作品自体がそうであったように

 

テレビ局の「多様性月間」のキャンペーンのためという都合で

 

障がい者を主演に起用したり、出演者の○パーセントを障がい者にしようとしたりすると

 

視聴者にもそれを見透かされたり、感動の押し付けとネガティブに受け取られたりする

 

それはそのまま今作そのものにも当てはまることでもある

 

劇中の岡山天音の「障がい者の話は押しつけがましい、だからテレビを見なくなるんだ」は

 

劇中の岡山天音の本音であると同時に、テレビ局や制作会社が感じている視聴者の本音でもある

 

 

劇中の伊藤万理華のように、障がい者に寄り添って、時間をかけて話を聞いて

 

しっかりと理解したうえでドラマを製作しているということを

 

劇中劇だからそういう裏の事情も見えてくるが、現実社会の今作ではそんな裏は見せられない

 

主人公が病気だったり記憶障害があったりというのと同じようなレベルで

 

感動を呼ぶ道具として障がい者が使われているのだと思われても仕方ない

 

ただ、それは障がい者だからではなく、ドラマや映画全般に言えること

 

ネガティブな意見が次々と目や耳に入って来るSNS社会の中で

 

製作スタッフがどれだけ自分たちの信念と障がい者への理解を持って製作しているのか

 

それをドラマを通じてどれだけ伝えられるのか、ドラマスタッフの苦労は想像に難くない

 

 

これはドラマの感想などではなく単なる一般論であるのだが

 

障がい者を障がい者として認識して特別扱いすることこそが差別であるという考え方もある

 

今作の中でも、車いすの和合由依を過剰に気遣って必要以上に手助けするスタッフに

 

和合由依が大きな声で苛立ちを見せる場面がある

 

障がい者自身は、自分たちを健常者と同じように扱って欲しいと思っているのだと思う

 

この「障がい者」と「健常者」という分類そのものが差別かもしれない

 

今作を見ていてそういう思いも再確認したところもある

 

 

和合由依の所属する劇団の主宰として出演した河合美智子さん

 

90年代には『卒業』や『ひとつ屋根の下』をはじめ数々のドラマに出演したが

 

脳出血で倒れて以降はほとんど演技の仕事は無く、ニュース番組のコメンテイターで

 

見たりする程度だったが、久々に演技している姿を見た気がする

 

年齢を経た部分は否定できないが、元気に演技をしている姿を見られて

 

嬉しさと懐かしさと今後への期待感を抱かせてくれた