『東京タワー』・最終回 | なにわの司法書士の徒然草

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テレビ朝日土曜23時のドラマ『東京タワー』

 

 

タイトルにするぐらいなので、原作小説自体が東京タワーを印象的に描いているのだろうが

 

今作でも常に映像の端々に東京タワーが映っているのではないかと思うぐらい

 

何かが起こるときにはいつも東京タワーが背後に見えていた

 

永瀬廉と板谷由夏が逢瀬を重ねるホテルの窓から大きな東京タワーが見えるのはもちろん

 

永瀬廉が永瀬莉子と入ったホテルの窓からも、寂しそうに松田元太が歩くバックにも

 

うきうきして永瀬廉が歩く昼間の街にも、東京の象徴のように東京タワーが映っていたし

 

哀しいことがあった永瀬廉やMEGUMIが見上げるのはやはり東京タワーだ

 

 

小説ではおそらくここまで「東京タワーが見える」だとか連発するわけにはいかないだろうから

 

東京タワーを印象付けるという点では、映像化した方がインパクトのある作品と言えそうだ

 

「これがスカイツリーだったら」と想像してみたものの、やはりスカイツリーでは締まらない

 

恋愛ドラマの画面に映るには、赤くライトアップされた東京タワーの方がふさわしい

 

 

この東京タワーが何を象徴しているのか、感受性に乏しい人間にはわからないが

 

原作者の江國香織氏は何かの象徴として東京タワーを登場させているはず

 

序盤で、永瀬廉と板谷由夏が、東京タワーは寂しそうだから嫌いだと意気投合するシーンがある

 

だとすると、東京タワーの見えるホテルでSEXしていた二人は

 

肉体を重ねていても心は空虚だったということなのだろうか

 

 

そんなことを考えていたら、最終回の終盤でMEGUMIと話している場面の板谷由夏の台詞

 

「東京タワーはかつては1番だったが今では2番、永瀬廉にとって自分は今は1番だが

 

いずれもっと素敵な女性が現れて2番になる、せめて一番美しい思い出でありたいので

 

別れを選択した」と、東京タワーがまだ1番だった原作には存在しないはずの台詞

 

東京タワーを、過去の美しい思い出と重ね合わせたこの台詞

 

江國香織氏の思い描く『東京タワー』が象徴するものと一致するのか、ちょっとした疑問

 

 

映画の『東京タワー』を見ていなかったので、全く内容を知らずに見ていたが

 

美しい純愛のように描かれ、ライトアップされた東京タワーがそれを強調していたが

 

言ってしまえば、年上女性との不倫にはまり込んでいく大学生の愚かな恋

 

しかもそれが、永瀬廉だけでなく親友の松田元太も同じ沼にはまっていく

 

 

松田元太の場合はもっとたちが悪く、年上女性と恋をしている永瀬廉をうらやましく思って

 

好きでもない家庭教師先の母親のMEGUMIに遊び半分で手を出して

 

娘に見つかり、MEGUMIと娘と彼女と3人を一同に集められてしまう修羅場に陥り

 

MEGUMIが去っていきそうだから、もったいない気持ちで追いかける自分の思いを

 

「好き」だと勘違いしてしまっている最悪の状態

 

とてもではないが共感できる要素がなかった

 

 

どうせならば、永瀬廉と板谷由夏のカップルだけを描いてもよかったのでは

 

せめて松田元太との対比で、板谷由夏と上手くいく結末はなかったのかなと思わなくもない

 

最終的には、松田元太だけでなく永瀬廉も年上女性にフラれる結末を迎える

 

結局、最初から最後まで大人の女性の手のひらの上で踊らされただけという感じ

 

その思い通りにならないことが、若い男にとってはより突っ走ってしまう要因になる

 

旦那がいることだけでなく、自分は時間がたっぷりあるのに板谷由夏は仕事が理由で会えない

 

なのに急に板谷由夏の方から誘ってきたりする

 

自分は感情を全面的に表に出してぶつかっているのに、板谷由夏は常に冷静な面持ちで

 

一緒にいるところに旦那が帰って来ても全く慌てない、そんな大人の余裕が

 

永瀬廉のエンジンにガソリンを注いだ形になったわけだ