『95』・最終回 | なにわの司法書士の徒然草

なにわの司法書士の徒然草

つれづれなるままに日暮らし
PCに向かいて
心にうつりゆくよしなしごとを
そこはかとなく書きつづれば
あやしうこそものぐるをしけれ

テレビ東京月曜23時6分のドラマ『95』

 

 

なるほどなあと

 

1995年の渋谷を舞台にした高橋海人たち高校生の青春群像劇と

 

高橋海人が大人になった安田顕が、現代で桜井ユキにインタビューを受けているシーンが

 

どうにも結びついてこず、必要性を感じず、違和感だらけだったのだが

 

中盤に来て、桜井ユキが松本穂香の娘だと告白したことで全ての合点が行くことになる

 

 

そこからは、闘病中の母親の過去を辿って母親の日記から当時の仲間を探した桜井ユキが

 

安田顕から、知らされていなかった母親の青春時代、父親のことを教えてもらうことになる

 

そのための回想シーンという構成に納得

 

桜井ユキが安田顕に喫茶店で会ったときの、「日本の音楽産業の30年」というテーマで取材を

 

という言葉にすっかり騙されてしまった

 

 

1995年当時の青春群像劇がメインになっているわけだが

 

安田顕と桜井ユキのシーンを全てカットしてもいいぐらい、青春群像劇としても完成度が高く

 

高校生の、あふれるエネルギーの量に対して、それをぶつける術の少なさ

 

何でもいいからそれをぶつけたい、だからこそ時に暴力や性にも向かってしまう

 

それでも仲間のために命を張れる熱さ、これぞ青春という感じ

 

実体験はしていないが、当時の渋谷をリアルタイムとして知っている者として

 

懐かしさを感じるところもあった

 

 

一方で、回想シーンの端々に挟み込まれる桜井ユキと安田顕のシーン

 

少しずつ明らかにされていく母親の青春時代だが、一番知りたいのは父親のこと

 

序盤から、高橋海人と松本穂香がいい雰囲気で2人きりになるシーンが多かったし

 

夏祭りのときにラブホテルに入ったりもしたので、安田顕が父親なのかと思ったが

 

そこはある意味妥当に中川大志が父親

 

 

ただそれをはっきりとは告げず、桜井ユキの誕生日を聞いて合点がいきながらも

 

「きっとそうだ、あいつが君の父親だ」とだけ言って回想シーンに戻っていく

 

ある意味、桜井ユキと安田顕の会話の行間を回想シーンが埋めていくという流れ

 

この1割にも満たない現代シーンがあるから、95年の回想シーンにメリハリがつく

 

やはり巧妙な作り方

 

 

ラストも、はっきりと中川大志が父親だと告げるわけでもなく、思わせぶりな映像で構成

 

中川大志の母親の斉藤由貴さんであろう車いすの老婆のもとを安田顕が訪問して

 

自分と桜井ユキのツーショットの写真を見せる

 

どう考えても斉藤由貴さんなのだが、後ろ姿で顔を見せない

 

斉藤由貴さんが代わりに安田顕に渡したのは、中川大志から届いた葉書

 

そこに映った写真は、ケンカで撃たれた足をひきずっているし、外国に行くと言っていたので

 

間違いなく中川大志なのだが、これまた後ろ姿で100%そうだとも言えない

 

そして、その写真を安田顕に渡されて号泣する桜井ユキ

 

本当なら、桜井ユキと斉藤由貴さんを直接会わせてもいいのではと思うぐらいだが

 

こうしたちょっとしたもどかしさが憎らしい演出だ