誰でもが一度は考えたことがありますね。

「宇宙の向こうはどうなってるの?」って。そして誰でもが考えるからすごいことなのです。

これは、私たち個々が持つ永遠のテーマかもしれませんが、ここ10年ぐらいで少しわかってきたことがあります。今日はそんな話をしましょうね。

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世界は象が支えていた時代がありました。その時には「宇宙」などは存在せず、星の住む世界が私たちのを取り囲んでいたのです。人間はその程度の世界観をもっていました。

そう、人間は悲しいかな

「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事

だと決め付けてきました。

しかし、私達が知ろうが知るまいがこの世界は存在する!

ここがとても大きなポイントであり、それを認識することとは「知ろう」とすることであり、「私は知らない」ことを認識することなのです。

人は昔から観察できるもののみを信じて、その中に潜む大切なことに目をそむけてきたようです。それは、実在するものや法則を無視することでもありました。


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釈迦は自分の寿命を法華経の中で説いています。そして、それは私達が考えることも出来ない世界観でもあったのです。

ここで説かれる「一劫」(いっこう)という数字があります。

一劫とは?それはこの世界での生活時間の単位です。

直径が約160キロにもわたる岩山があったとします。
その岩に数年に一度だけ天女が降臨して羽衣で撫でます。
そして、いつしか岩は磨耗して無くなるのです。

その岩が無くなるまでの時間が一劫なのですが、これはものすごい時間の流れですね。

そして、釈迦の寿命がはじまります。釈迦の口頭説明でお聞きくださいね。


法華経如来寿量品第16より-多聞訳

「私が出現し、そして人々に仏と呼ばれることとなったのは無量無辺百千万億劫の昔のことである。」

(古代インドの数量の羅列は掛け算です。無量×百×千万×臆×劫=釈迦が仏になってから今までに過ぎた年数

(これは無限をも超越する時間の流れだと思います。初めがないくらいの時間だね。那由他ナユタとは億や兆のずっと上の数の単位だね。)

「例えば、あなた方が認識できる全ての世界を砕いて塵にしましょう。そして東方に五百千万億那由他阿僧祇(これも数の単位)の国を過ぎてその塵をひとつだけ置いてください。」

「このようにして、全ての塵が無くなるまで行います。」

「そして、塵を置いた世界と通り過ぎた世界がありますが、その全てを再び塵に砕いてください。」

「その塵の一微塵を一劫という時間の流れだとしましょう」

「わたしが成仏してから今まで経った時間というものは、その粉末の数の劫よりも、さらに百千万億那由他阿僧祇劫ほども長い時間なのです。」

「そういう無限の過去からずっと、わたしは常にこの宇宙に存在して生き方や振る舞いを教え続けてきたのです。」

「そして、他の百千万億那由他阿僧祇劫の国においても、同じように導き功徳を与え続けてきたのです。」


そして釈迦は菩薩の修行をそれ以前にしていたと言っています。


この時間の流れは最初が無いほどのものでしょう。そしてこの世界観は宇宙を想定しなければ説明がつきません。

また、ここで言う百千万億那由他阿僧祇劫の国とは、無数の星やその場所のことだと仮定しなければ僕には理解できないのです。

私たちの宇宙が出来たのは146億年前。

さぁ、仏教徒の人も多いですが、釈迦の寿命にくらべてみてください。この146億年はなんて一瞬なことでしょうか?それよりも長大な時間の中で(この宇宙以外でも)百×千万×億×那由他×阿僧祇劫=の無数の世界で釈迦は生きてきた。といっています。


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最近の宇宙科学や物理学の成果は飛躍的なものがあります。宇宙の実像に歩み寄る努力が行われています。

この始まりは重力の研究からで、重力と電磁気力が基本的には同じくらいになる段階なのに、そこに必ず歪が生まれることに着目されました。

そして、どうしても「これまで人間の観測出来なかった他の(異時限)」の力が働いていると想定されています。

さらに、宇宙の形状についてはいろりろな説があるんですが、最新の理論によると、「膜宇宙」といって、変形しながら泳ぐ「ヒラメ」みたいなイメージのようです。縦横方向には大きな広がりはあるが、それに比べて厚さはあまりないといった構造のようです。

宇宙はビックバンと呼ばれる爆発によって誕生したといいますが、最新の宇宙観測の結果から、宇宙は膨張しているがビックバン以前から存在していたらしいということになってきています。

「エキピロティック説」と言うのですが、複数ある膜宇宙が、たまに衝突する事があって、この衝突した部分から爆発が起こる、これがビックバンだろうと言われてきています。

宇宙は銀河みたいなものの集まりであり、我々が観測出来ない「時限」の空間にも取り巻かれている。そんな感じなのかもしれませんね。私たちの宇宙は一塵であり、もっと大きく無限の宇宙が集合し、時空を超えて存在する。

私たちは、いま、そこまで辿りつこうとしています。しかし、それでもまだ、釈迦の世界観に達する事はできていないのです。


宇宙人がいないというあなた。じゃぁ、釈迦はそんな深遠な時間の中で、どこで菩薩の修行をしていたと説明できるでしょうか。この世界にはたくさんの時空が存在し、平行して存在し、その時空での存在は原子や心の振動数で場所がきまってくる。


心の愛で生まれる場所も変わり、電子の振動も違うものになります。パラレルワールドは無数に存在して私たちのまわりにあるのです。
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僕は思うんだ。

「観測出来ないもの」=「知らないもの」=「存在しないもの」=わずらわしい事

それではいけないよ。

「観測出来ないもの」=「知らなければ」=「存在を想定」=大きな夢であること

そしてあのゲーテは言いました。

「世界のあらゆることを知るよりも自分を知る事の方が難しい」

人が宇宙の仕組みを知りたい事は、本当は自分自身を知りたい事

自分を知る事=人を知ること=繋がること=ひとつの世界に生きること。

銀河も宇宙も異時限も同じ「ことわり」で出来ているなら、その「ことわりが」私たちの中にも必ずあるんだ。

そしてそれは歓喜でり、つながりであり、無限であることだろう。人を知り、自分を知り、世界を知りたい私たちは宇宙の神秘にたどり着きたいから生きています。

犬の心を知るためには犬の気持ちにならなければ。

人の心を知るためには人の心にちかずかなければ。

自分の存在を知りたければもっと大きな世界を想像しなければ。

人の存在とは釈迦がいうように最初が無いほど、無限に偉大なものかもしれないと思う、そんなぐうたら詩人でした。

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大人の童話「宝塔の回廊」

あたりまえの男

命の構造をイメージしよう。
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なけなしのお金で夜汽車に乗り、日本海鉄道をふるさとに向かう学生は、貧困と苦悩を胸に仕舞いこんだまま、故郷に置き去りにしたものを思い返します。


今は別れた愛すべき人。若さゆえ不義理をした恩人。そしてあまりにも遠いふるさとへの道。
いまは、もう変わってしまったであろう人の構図とふるさとの思い出の時間と。彼は夜汽車に揺られながら、これから帰る遠き北海道に想いを馳せました。


自分の作品ではありますが、僕はこの作品を詠むたびに涙が流れます。慕情と後悔とささやかな希と置き去りにしたもの。
後悔の涙がながれてきます。
今日は私の作品「喝采の道」でお別れします。

ピアノの旋律と日本海の荒波にのってカーテンコールが聞こえてきます。
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音譜音楽BGM音譜

喝 采 の

遥か北を目指す鉄の道に揺られ
いまさら置き去ったもの達を想う

こだまする汽笛
ふるさとへの道

色あせたシネマの思い出が招く

儚く崩れたつかの間の青春物語
繰り返し贈ったカーテンコール
二度と幕は開くことがないのに

車窓に吹雪いた結晶は
あてた手の形に解けて

激しい日本海を映し出す

身体にそそいだ振動は
僕の心を揺り起こして
激しい慕情を掻き立てる

カーテンコールが聞えてくる








空想画家「更科あかね」
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