宮崎日日新聞 2018-12-21付
牛処分できず飼育今も 福島第一原発20㌔圏内
研究や雑草対策活用
東京電力福島第一原発事故を受け、国は2011年5月、半径20㌔圏内の警戒区域(当時)に残された家畜を、所有者の同意の上で殺処分するよう福島県に指示した。区域内では約3500頭の牛が飼育されていたが、一部農家らは「家族同然の牛を殺せない」と拒否。
今も7牧場で約430頭の世話を続ける。一方、処分に応じた農家の心の傷は癒えないままだ。
▽研究に協力
「よし、いい子だ」。浪江町の帰還困難区域にある牧場で、岩手大の岡田啓司教授(獣医学)ら被災動物の研究を進めるグループが、牛に優しく話しかけながら注射器で採血していく。畜産農家の渡部典一さん(60)は「牛も慣れて、おとなしいんだ」とほほ笑んだ。
「人間の親が子供を守るように、牛が寿命を迎えるまで守りたい」と語る渡部さん。避難指示の一部解除を受け昨年10月に帰還するまでは、50㌔離れた避難先の二本松市から立ち入り許可を取って通った。国は12年に20㌔圏内での家畜の飼育を認めたが、出荷はできないまま。それでも約50頭の牛を育てる意味を見出そうと、研究に協力してきた。
グループは採取した血液や尿から遺伝子異常などを調べる。牧場の放射線量は毎時15~20マイクロシーベルトと7牧場で最も高いが、「牛は今のところ健康そのもの」と岡田教授。「世界的に珍しい研究で、原子力災害時の家畜の保護対策にも役立つ」と話す。
▽農地管理に
牛を放牧して雑草を食べさせ、農地管理につなげようと試みるのは谷咲月さん(36)だ。全町避難が続く大熊町で、手入れされず荒れた約6㌶の農地に「もうもうガーデン」を設立。保護した牛11頭を放牧している。
東京で会社員をしていた谷さんは、被災地で家畜が餓死しているニュースに触れ、ボランティアとして福島に入った。地元農家と協力し、逃げてさまよう牛を保護するうちに、草を1日60㌔食べる牛を農地管理に役立てようと思いついた。
牛は伸び放題になった雑草だけでなく、高さ約3メートルの雑木も倒して葉を食べ進め、荒れた農地は整然とした草原に生まれ変わった。地主の70代女性は「一時帰宅のたびに荒れた畑を見て気が滅入っていたが、今は気持ちいい」と喜ぶ。谷さんはコンビニのアルバイトで生計を立てるが「帰還した住民が農業を再開できるように維持したい」。将来の事業化も見据える。
▽生きがい失い
一方で、牛との別れを悔やむ農家もいる。浪江町の柴開一さん(68)は、線量が高い牧場通いに限界を感じ、13年に約30頭の処分に同意した。「安平、はるか―。みんなに名前があった。家族を殺したようなものだ」
避難先の埼玉県狭山市では、生きがいを感じられない。国は食用肉としての流通を防ぐため、牛を20キロ圏外へ避難させることも禁じたか「安全な場所に移せたら、生かせた」と唇をかむ。決断が正しかったのか、今も考え続けている。
以上
2011年のあの時の牛たちのその後です。
これだけの牛たちが殺処分を免れ、本来なら美味しい肉になるところをこんなにも大事に終生飼養されています。
農家にとっては採算の取れない運営の厳しい事と思います。
世界にも例のないデータを取ること、荒れた土地の雑草管理をすること。
国が無かったことにしようとした牛たちの存在でしたが、
手探りですが多くの人に生かす意味を考えてほしいです。
参考
被ばく牛と生きる
https://kokocara.pal-system.co.jp/2017/10/23/nuclear-cattle/