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田宮丸のブログ

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平安時代に入ると仏教は奈良時代の国家鎮護から個人利益の現生利益に変わってきます。

 仏教は古代の日本人には先進国から入ってきた先端文化であり、人の力ではどうしようもない厄災をもたらす巨大な力を制御できる技術と受け取られていました。その技術を使えば国家は安泰になると考えて大仏も作ったわけですが、そうなると漠然とした国家安泰ではなくて、即物的に日照りの時に雨を降らせるとか、そういうこともできるはずだと考えるようになってきます。
アホ。則物的な利益は供物の奉納で神様の御機嫌をうかがう太古の宗教の時からずっと人間の思考から生まれていたもので、日本に仏教が入る前からあるし、ましてや日本に限らず同時代以前の世界中のそれまでの宗教にもすでに広がっていた当たり前の発想だ。





 そのような期待を担って密教が登場します。空海という人は、加持祈祷を行って雨を降らせたり、病気を治して見せました。

 このような行為には種も仕掛けもあるのですが、見ている人たちは加持祈祷の効果で雨が降った病気が治ったと考えます。種も仕掛けもあるのが長年の気象・天候の観測がなせる技であり、それを上手く隠して宗教に対する求心力にするそれがオカルト(隠された知識)であり、こういう隠された知識も世界中にとうの昔に広まっていた。 伊藤の見識はつくづく浅い。

 そうなると、もっと個人的なことでも仏教に頼めるのではないかといった空気になってきます。娘が天皇の子を孕んだ、仏の力で腹の中の子を男子にしてくれとか、自分が朝廷で望みの官位に就けるように仏に頼んでくれ、などといったものが僧のところに持ち込まれます。仏教が当時最先端の知識であり化学の側面を持っていたなら、他の先端科学(例えば風水も巫覡卜占の類)も、その隠された知識のごまかしながらの一般人に向けての当時の先端科学「仏教」の裏づけを引用して(もちろんごまかしでも)世間を納得させるために利用した。 伊藤は密教だけに起こったように言うがそれはすべて妄想であり、それぞれの分野がそれぞれの先端知識の一部を一部だったり丸々引用するのはあたりまえにあった。 そしてそれは今でも続いている。 本当に浅い見識




 これは雨や病気と違ってタネが仕込めません、半分の確率で女子が生まれますし、ダメな人間が出世できることもありません、こうなると、加持祈祷は効かないといわれるようになってきます。


 僧の方でも、タネが仕込めないことを請け負うのは不味いよな、といった思案が出てきます。そこであの世が出てきます。悪いことをすると死後に地獄に落ちが、高僧に加持祈祷をやってもらえば悪事はチャラになって極楽浄土へ行けます、と言い始めるのです。バカ。確率が半分で失敗してもそういう時は信者には信じていなかった。加持祈祷が足りなかった。前世での悪行が邪魔をした。過去の悪行で怨霊が害をなした。と言い訳はもっており、 その言い訳を信じさせるために前段階で信者には周到に教育する。それが「当時のオカルト」における販売のセットだ。  そうしてそれはいまの「オカルト」にも連綿と続いており、そういう意味では現代人でもしっかり騙されている。 ましてや当時のオカルトは先端知識としてのオカルトだ。 なにを現代人の感覚で斬っているのだろう? 千年前の思考・発想の人達をサカナにして、ようやっと現代の発想を他人から教えてもらって生きている伊藤が古代人をバカにする。 なんと恥ずかしい物言いだろう。






 すぐに結果が出る子どもを男にすることを請け負うよりも、死んだら極楽浄土に行けることを請け負った方が、結果が誰にも分からないので、商売としては安全であることに僧が気がつきます。
 
 平安時代に浄土思想が広まって行ったと言われていますが、それは一般人から出た思想ではなく、僧の側から宣伝したのです。今でも寺に行くと地獄絵図とか極楽図などがありますが、機会があるごとにそういうものを見せたわけです。

 地獄絵図は激しい恐怖感を持たせるように描かれています。寺に来た人たちがそれを見て、なんとしても地獄へ行くのは嫌だと思うように仕向けるのです。極楽と地獄の二者択一ですから、地獄へ行くのが嫌であれば極楽浄土へ行くことを願うしかないといった仕掛けになっています。
当たり前をいうね。 面白みナシ。

 そのような宣伝の結果として、多くの人たちが、死んだら人間は極楽浄土か地獄のどちらかへ行くと考えるようになります。

 古事記にある黄泉とは違う、とても想像力のあるあの世が設定されたわけで、人々は死んだあとのことを常に気にしながら生きるようになっていきます。イザナミをみれば古事記にある黄泉の世界がどれだけ人が忌み嫌う世界かは分かる。とっくの昔に人は自分が死後向かう世界を夢想して、恐怖を覚え、常にソレを気にしながら生きていた。







総評


このころに日本人は死後の世界をはっきり意識した。とでも言いたいのだろうが、全くもっての見識不足と妄想の羅列と「 現代人の思想・発想で太古の人々の思考をバカにする愚かさ 」 なんとも恥ずかしい限りだ。