田宮丸のブログ

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昨日もくだらないとおもったが今日はもっともくだらなく、突っ込むところも気も無い。が一読した感想。





死ねば極楽浄土か地獄のどちらかへ行く、他に選択肢は人間には存在しない、という考え方は、権力者から庶民へと広がっていき、平安時代の後期には多くの人たちの心の中で常識化していました。もう黄泉の国へ行くなどと考える人はいません。黄泉の国のことなど誰も考えていない。と断言できる物証でもあったのか?伊藤いつもの妄想か(呆)




 自分の力で寺を建てて、本尊として安置した阿弥陀如来に極楽往生を頼める権力者とは違い、貧しい庶民は自分が地獄に落ちるのではとの恐怖感を常に持つようになります。寺を建立するようなお金のない自分たちが、どうやったら地獄へ落ちなくて済むのか、そのいい方法はないのかと考えるようになります。

 そこに空也が現れて、念仏致し候へ、と説いて回ります。寺を建立するようなことをしなくても、南無阿弥陀仏と、阿弥陀如来のお名前を唱えていれば極楽浄土へ行けるというのです。

 とても安直な方法ですが、当時の庶民の多くは文字が読めず、仏教の教義を聞かされても理解できないので、これが最も受け入れられる布教法でした。ここまでの伊藤の説明ならば多くの人間は文字も読めない無学となる。無学に対して最新の宗教であり、最新の科学でもあったはずの仏教を布教する僧の数もわずかと考えるが妥当。辺境地に仏教が浸透などしてるはずもなく、であれば日本に神道を信じるものが皆無。と先に言い放った伊藤の妄想はやはり妄想で、自分で自分の矛盾をココで証明したことになろう。





 鎌倉時代になると一遍が出ます、この人は念仏しなさいと説くだけでなく、念仏結縁のために南無阿弥陀仏と彫った版木を作り、それで印刷したお札を配りました。賦算といいますが、一遍からこのお札を受け取れば念仏結縁ができた証明になり、極楽浄土への往生が約束されると人々は思い、一遍の周辺に多くの人が集まり教団が形成されていきます。

 一遍の教団は遊行念仏、踊念仏といわれ、僧は捨て聖といわれました。寺も財産も持たず、無一物となって念仏を進めて全国を遊行し、人を集めて念仏踊を興行します。念仏踊は遊行聖が音頭を取って、集まった民衆が踊りながら念仏を唱えるもので、この踊りの輪に入れば極楽浄土行きが約束されると参加者は考えます。

 集団で踊るという行為は人の心を高揚させるものがあります、その中から法悦が湧き上がってきて、参加者はその気になってくるわけです。

 遊行念仏は大変な流行を示しますが、遊行聖で念仏踊を興行すると他の土地へ行ってしまうので、土地の信徒の組織化ができないまま、流行の域に留まることになります。

 鎌倉幕府が成立する少し前に、法然が延暦寺を離脱して京都に住み浄土宗を開きます。観無量寿経疏に帰依して天台顕教の法華経を捨てるかたちになったのです。比叡山の学僧も何人か法然の門に入ります。
 
 讃岐に流罪されるようなこともありましたが、法然の人間的な魅力もあって次第に信者が増えていきますが、時宗の念仏踊のような流行性はなく、地道に教団を拡大していくという方向でしたが、浄土系の教えの中では最も整備された安定した教義を持つ教団になっていきますが、一遍の遊行念仏のような爆発的な流行というほどのことはなく、地道に信徒を増やしていくといった状態でした。

 比叡山の学僧であった親鸞が山から降りてきて法然の門に入ります。そのささやかな出来事が戦国時代を揺るがす大教団の発生につながっていきます




総論


まるで面白くない。 どうせ伊藤のことだから最後には「 だからこれだけ日本人は大昔から今もずっと愚かなのだ。 だからこれを改めねばならぬ。 日本は中国あたりに全て明け渡すも良かろう 」程度の言葉に終章は持っていくのだろう。 だからこのあたりの語りは伊藤の妄想による非常に都合のいいチェリーピッキングでとにかく 雑  。





いいから伊藤はこのくだらない話をとっとと終わらせて すぐに朝日新聞の従軍慰安婦記事の撤回にかんする前の感想でも書いてみろ。 オマエのくだらない言い訳がどんなものか。 さっさとかけ。くだらん