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田宮丸のブログ

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 人間は死んだらどこへ行くのか、そもそも人間はどこからやってきてどこへ行くのか、そのようなことを近ごろつくづくと身に染みて感じます。亡くなった親族や知人は、今どこでどうしているのか、死んだら自分はその人たちと会えるのか、そんな疑問を持ってしまいます。

 これは昔から人間が感じてきた疑問であり、昔の人はその疑問に関してどのような回答を持っていたのか、そんなことを少しだけ考えてみたいと思います。

 日本神道の経典ともいうべき古事記には黄泉の国の物語が出てきますが、伊邪那岐が見た黄泉の国の伊邪那美は胸にも腹にも陰にも雷がとりつき、あさましくも醜い姿であった、と書かれています。

 雷は蛆の置き換えだと思えば、これは人間の死体が腐った状態を言っています。古代ですから土葬ですが、いったん土葬した死体をなにかで掘り起こしたときの状態を基本にして、黄泉の国の伊邪那美を描いています。あの世のことではないのです、この世で腐敗した死体を言っているだけなのです。ウジを雷に置き換えられる証拠は無い。それは伊藤の勝手な妄想で腐った死体かどうかは一つもワカラン山田と言う馬鹿が「宇土多加禮」の表記があるからイザナミはウジだらけだったと言うが、伊藤が何一つウジがイコール雷であろうと想起させる表記を少しも提示することもなくその貧弱な妄想でウジ=雷と言っている所がオカシイといっているわけだし、そもそも「宇土多加禮」の表記がイザナミの身体的特徴として描かれてるのなら、ウジ虫まみれと書き続ければいいのに、わざわざウジ虫をそのあとで「雷」などと、もうウジと書いてるのにオブラートに包みなおす必要がどこにあるだろう? まったくもってやまだも浅いバカ。前からバカなのは噂で聞いていたが、やまだはバカをココで確認。文章の読解力ナシを確認。 伊藤にしてこのやまだあり。だろう


 日本神話の作者はどうも絶望的に想像力の欠如した人物だったらしく、オマエよりはずいぶんマシ死後の世界である黄泉の国はこの世で死体が腐っていく状況を描いただけ、死体が腐りながらも生きている表現は世界の神話ではどこにでもある。高天原は、天岩戸、天沼矛、天浮橋と地上のものに天を付けただけで済ませてしまっています。天(アメ・アマ)はある体制側と一目で分かる。ある勢力の力と分かるための記号であって想像力がないからではない。これも世界の神話を探ればドコにでもある表現。考えが浅い


 近代になっても日本の神道の想像力不足は続きます。戦死者は靖国神社に祀られるとしていますが、死者がどのような死後の世界に行き、どのような扱いを受けるのかは説明されていません。靖国神社に合祀するというこの世の手続きを示すだけで、死後の世界がどんなものかは示されていません。オマエの想像力のなさに比べればずいぶんマシ



 仏教が伝わってきて初めて死後の世界が説かれるのですが、はじめて?アホが。当初は死後の世界は人気がなかったようです。仏教が伝わった時代の人たちは、仏教を先進国から伝えられた科学体系のような感じで受け止めます。どこでも宗教は当時の最新科学の機能を持ち合わせているもんだ。大体、聖典も経典も文字が読める書けるが大前提。そういうところは学習の場・科学の集積の場となる。アホが

 凶作、風水害、虫害、地震、疫病など当時の人の力ではどうにもならないことが降りかかってきて、人の暮らしを破壊していきます。日本の神は穢れを祓い清浄にして祝詞というかたちで祈ることしかできません。他の世界の宗教もみんな同じだよバカ伊藤

 仏教は、人の力ではどうにもならない厄災をもたらす、巨大な見えない力を制御する技術をもった科学という理解でした。聖武天皇が巨大な大仏を作ったのも、廬舎那仏の力で、人間に厄災をもたらす巨大で見えない力を制御しようと考えたのです。それが国家に安泰をもたらす仏教でした。その程度の理解じゃ神道も仏教もなんも変わらん。祈ったくらいで天地が動くわけが無い。そんなことは当時の天皇でさえ知っている。そんくらいで仏教が流行した。と考える伊藤は1500年以上も前の人間にも劣るつくづくのアホ。



 聖武天皇が大仏を作ったのは、国家の安泰のためであり自分が死後の世界で良い思いをするためではなかったと思われます。それは大仏建立のときの勅書を読めば分かります。お前が勅書を読んだとはとても思えんな。このサル以下の見識で




 奈良朝のころには、仏教に自分の死後の世界を期待するといった気分はあまりりなく、死後におけるなにものかを期待しても、それは父母の菩提を弔うといったものであり、自分をどうしてくれ、といったものではなくて、あの世に対する気分としては、古事記の世界の黄泉の国の感覚が続いていたと見るべきでしょう。無宗教の反日サヨク狂信者が宗教を語るとこんなものか

 死ねば漠然と黄泉へ行くであって、具体的な死後の世界が概念として成立するところまでは行っていなかったと思われます。


伊藤の論法で行けば日本人は宗教の時点で昔からこんな体たらくだから、頭がおかしい。だからダメなのだ。といいたいのだろうが、 日本を救う以前に人類を救う方法として伊藤がかねてより指し示す方策はすべてがザル。無能の方策ばかりで、伊藤式サヨク世界は日本のソレより無様でヒドイ。


伊藤の論法で行けば韓国の神話はすべてアチコチの国の神様の話を頂いただけの「パクリ神話」「盗人神話」であるから、 なるほどいまでも韓国人が全てのものをスキあらば盗み「俺のものだ」という現実は韓国の言う所の半万年も前から染み付いたもので、どうしようもないクズ民族の証明となろう。  これはあくまでも伊藤の論法で韓国を見れば・・である。 私の意見ではない。



いずれにしろ反日左翼教の狂信者が宗教を語るとこうも滑稽になるという、面白い読み物だ。



ついでにやまだ、イチャモンつけたいならここに乗り込んで来い。 おまえの愛するヘタレの伊藤と全然違ってここは記事の削除はしないぞ。 おなじくヘタレのやまだにその度胸はひとつもなかろうが。期待のキの字もしないまっていよう。読解力ナシのやまだ