rouです
陽が亡くなってから、40日が過ぎました
亡くなってから今までのこと・・・
tamiの膝の上で息を引き取り、先生が確認し、ただひたすら泣いて・・・
でもしばらくすると現実が悲しみに暮れてだけはいられなくなりました
親戚や縁のあった方への報告、そして病室では死後の処置がすすめられました
お風呂にも看護師さんとtamiとrouで入れてあげました
葬儀のことも考え
自分が喪主なんだと、そこで気がつきました
唯は泣きじゃくっていたけど、病院の患者をケアしてくれる方(役職名が思い出せず)が付添ってくれて、一緒に遊んだりして紛らわしてくれました
翌日に葬儀が執り行われました
予想をはるかに超える方々の参列を賜り、驚きと感謝でいっぱいでした
陽、あなたは何者?と思っちゃいました
それくらい、我々家族にいつも心を配って下さる方が多かったんだなと感じました
ありがたいです
葬儀が終わって、数日後に一人減った家族3人で水族館へ行きました
目的は、唯の心のケアと、陽も行きたがっていたのが水族館だったから
免疫の少ない陽は動物園はちょっと不安だったので、水族館へいつか行こうと話していたんです
タイミングはたくさんあったのに・・・インフルエンザの時期だったり、暑かったり、混んでいそうな時期だったり・・・そんなんしているうちに再々発してしまって。。。
もうこれからは、感染の心配とかなく出かけられるんだなーと思うと、嬉しいようで悲しいようで・・・なんなことを考えると陽がいないことを実感したり・・・悲しくなります
唯は比較的元気に変わらず学校に行ってます
寂しくないの?と聞くと、陽とは入院していて離れていることが多かったから慣れてるから大丈夫といいます
陽のこと思い出さない?と聞くと、思い出すと悲しくなるからといいます
娘なりに寂しさはあるようです
rouとtamiは、やっぱり寂しいです
なんかするたびに、ここに陽がいたらなあと考えてしまいます
我が家は仏式ではないので49日ではなく、50日で一区切りします
それが終われば、お骨も納めないといけません
いまは毎日供物をあげ、お参りしています
それがなくなり、お骨もなくなると、また寂しさが増すんだろうなと思います
いまはスマホの時代
写真も、動画もたくさんあります
それが救いです
いつでも見れるので
でも、見ると会いたくなります
そして、陽の記憶が確実に減っている自分に悲しくなります
陽の声はスマホを通した声が、いまの記憶している陽の声
本当の声は忘れていると思います
陽のことを思い出す場面は、スマホの動画の場面が多いんです
匂いも肌の質感もなんとなくしか思い出せなくなっている気がします
これが現実なんですね
人間は忘れる動物、だから悲しみも消化できるのでしょうが・・・