JMML でも陽気にいこう! -2ページ目

JMML でも陽気にいこう!

息子が若年性骨髄単球性白血病(JMML)と診断されました
病気の経過や、日々の思ったことを綴っていきたいと思います

とてもお久しぶりです

rouです。

 

長らく放置していたブログを久しぶりに思い出し更新してみることにしました。

 

陽が亡くなってから、一年半が過ぎました。

家族はみんな元気に過ごしております!

 

我が家は北海道へ移住・・・rouの里へ帰りました。

もともと実家へ帰る予定でしたが、陽の病気が発覚し入院治療の日々で先延ばしになっておりました。

tamiと唯にとっては初の北海道。

一冬越しての感想は、tami「寒いけど耐えられる」、唯「全然大丈夫」、そしてrou「寒すぎる、北海道嫌だー」

なぜか道産子のrouが一番免疫が下がっておりました・・・。

13年ぶりの北海道は寒かった・・・。

 

昨年の8月に北海道へ越してきました。

まず一番の心配は唯の転校でした。

2年生の夏休み明けからの転校ということで、クラスの出来上がっている中での転校、うまくいくといいなと願っていました。

親の不安は相当でした・・・情けないけど。

転校初日、帰宅すると友達出来たよとケロッとしてました。

全然へっちゃらだったみたいです。

rouは自分自身が小学生の時、転校した経験があって、そのときは学校が嫌で嫌で、最初の3日間くらいは帰ってきて「学校行きたくない!」と泣いた記憶があります。

転校の緊張感となじめない感覚が記憶にあったので心配したのですが、案外あっさりクリアしてしまって、この子すごいなと見直してしまいました。

冬も難なく適応し、子供ってすごいなと感心しきりです。

いまではすっかり北海道の子になっちゃいました。

 

唯は家で物が落ちたり、物音がすると、「あ、陽がいる」と言います。

家で遊んでても、「あーあ、一人っ子はつまんない」て言います。

でもそこには陽を思い出して、一人っ子はという発言をしているわけで、陽の存在は亡くなってもなお健在です。

 

tamiとrouも、唯ほどではないけど北海道人らしくなったかな・・・なってないか。

 

1年半経って、陽の存在が幻だったように思われることがあります。

今の生活は陽がいないのは当たり前になってきて、思い出した時にだけ陽が出てくる。

本当に陽はいたの?

病院での入院生活の日々があまりにもいまと違って、別世界での出来事のように感じることがあります。

 

最近「JMML」で検索をしてみると、「JMMLの新たな発症メカニズムと治療法を発見」という記事を見つけました。

専門用語があって半分くらいしか理解できなかったですが、JMMLが研究され新しい治療法が出てきていることは凄く嬉しい。

もしかしたら治験データの一人に陽もいるのかなと思ったり。

陽のデータが今後の治療に役立っているのかもと思うと、陽の死も決して無駄ではなかったと思える。

1日も早く治療法が確立されることを願ってます。

そして、一人でも多くの子供が、長く苦しい入院生活から解放されて、晩期障害などに苦しまなくてもいい時代がくることを夢見てます。