龍 多美子 オフィシャルブログ

龍 多美子 オフィシャルブログ

あなたの身体と心と魂の通訳人 より良い人生を生きるための

生まれる前 あなたの魂が思い描いた
人生がありますあなたの魂が望む生き方で
あなたらしく生きるためのお手伝いをしています

みな様
龍です。

7月20日 日曜日。
3年ぶりの参議院選挙が行われます。
東京にお住いの方々は、先日の都議会議員選挙からまだ1ヶ月と経っていないのに、また選挙か...と思われているかも知れません...

みなさんはどんな風に、
この選挙を捉えていらっしゃるでしょうか。

選挙活動も後半には入り、色々なメディアから様々な情報が日々、流れて来ます。
その情報の中には、候補者や政党の主張はもちろん、将来日本を待ち受けているかも知れない様々な困難や、出来事も含まれています。

そして、溢れる情報の中から、自分は何に耳を傾けるのか、自分は何に共鳴するのかを見極める必要があります。


かく言う私も、恥ずかしながら数年前までは、「政治なんてどうせ変わらないんだから選挙なんて行く必要ない」と、本気で思ってました(汗)
でも、今となっては、私のような考えのたくさんの人たちによって、今の政権を作り出してしまったことに、遅まきながらやっと気が付きました(汗)

だから私は、声を大にして言いたい「選挙に行こう」と...

そして、選挙に行って、自分の手で、しっかりと意中の候補者や政党に投票しようではありませんか。
それが、私たち日本国民の最大の義務であり、最強の権利なのです。

だから、選挙に行こうぜ❣️




龍 多美子

みな様、
龍です。

実は、こんなに長い文章を書く気は毛頭なかったのですが、何故か止められずに書いてしまいました。

 

今、リュー・ドゥ・リューは、再び大きな転機に差し掛かっています。

例えばそれは、
物作りの背景の変化だったり、世の中の女性たちの想いの変化であったり、「会社」という器の変化であったりと、取り巻く世界で様々なことが起こっています。

今日まで42年間、頑なに、ひたすらに、下着の真実を追い求めて来ました。
これから先は、決して譲れない「リュー・ドゥ・リューの真実」は抱きしめたまま、「こうあるべき」を手放し、「こうでもいいかも」にすり換えていきたいと考えています。

 


実は、ここだけの話です(笑)

 

昨今、世の中の女性のブラジャー離れが急速に進んでいますが、私にしてみれば、これは大大大歓迎です。

何故なら、長い間、快適ではないブラジャーを我慢して着け続けていた女性達が、
「ジョーダンじゃない、こんなに窮屈なもの、金輪際着けるもんかムカムカ」と言って、それまで着けていたブラジャーをかなぐり捨てて、ブラトップやノーワイヤーのブラジャーに走って行ったことに、私は万歳🙌と叫びたいくらいなのです。

40代以上の女性たちは、少なからず一度は「ちゃんとしたブラジャー」を着けた経験を持っています。
そして、彼女たちは、今は仕方なくブラトップをつけているかもしれないけれど、このまま一生ブラトップで良い訳はないという思いを、心のどこかに必ず持っているはずなのです。

ひょっとしたら、そこのあなたもそうじゃないですか?

 

私は、そんな女性たちに、今こそ言いたいビックリマーク

 

「本当に合うブラジャーを着けてみませんか?」
「魂と身体に合うブラジャーを着けたいと思いませんか?」


私は、ついにそのチャンスがやってきたと、本気で思っているんですビックリマーク

 

迷えるブラジャー難民の女性たちよ!!
吉祥寺で待つドキドキ

 

 

 

みな様
龍です。

 

 

2003年、再び青山の地に戻ってきた私は、
相次ぐ身内の死に打ちひしがれ、
「もう、一人で生きていたくない。誰か一緒に生きてくれる相棒が欲しい」と、本気で思うようになりました。

その結果、15歳年下の今の夫と出会うことになります。

その辺りの経緯は、「黒のブラジャーを捨てなさいーいくつになってもパートナーに出会える22のルール」という本に詳しく書きましたので、興味のある方はご一読下さい。



青山へ戻った私は、まるで鮭が生まれた川へ戻って来たかのように、意気揚々と過ごしていました。
この頃から、インポートの下着に感じていた危機感が日に日に募って行きました。

 

「このままでは、インポートのブラジャーだけでは納得行くものを集めることが難しくなる。」と、考えて私は、オリジナルのブラジャーを生産しなければ明日は無いと思うようになりました。

 

その結果、パートナーとして物作りを一緒に担ってくれる商社や、私の考えを忠実に再現してくれるパタンナーとの出会いを経て、2006年念願のオリジナルブラジャーを世に出すことが出来たのです。

 

そして、再び転機が訪れました。

2011年3月11日。
東日本大震災を仙台で経験した私は、時代の歯車が大きく動くのを感じました。
それは、人々の価値観の変化であり、自分自身の価値観の変化でもありました。
インバウンドが増え、家賃は高騰し、青山は私が育った頃の青山とは違う街になっていました。


おりしも、青山の店舗の契約更新を控えていた2013年の秋、吉方を便りに私は物件を探し始めました。

 

その経緯も不思議で、当初は白金台へ移転することになっていたのですが、最後の最後に内覧した、吉祥寺の今の店舗と出逢った瞬間、「ここだったんだ」という、根拠の無い確信と感動に包まれたのをはっきりと覚えています。

人も、物も、物件も同じで、出会いとは本当に不思議なものです。

何の前触れもなく、出会った瞬間にものすごい高揚感、つまりワクワクが湧き出してくるのです。
それがいつしか、「抗えない」感情に変化し、その出会いとひとつになってゆくのです。

 

こうして私は、生まれてから2回しか行ったことのなかった吉祥寺へ、2013年10月に移ることになりました。

 

それから12年。
干支が一回まわってしまいました。

あのコロナが去ってから、世界は一変してしまいました。
人々の価値観は大きく変わりました。

自分にとって本当に大切なものは何なのか・・・
自分が本当にやりたかった事は何なのか・・・

 

その問いを自分自身に突き付けた人達は今、揺れていると思います。
もちろん、私もその一人です。

少しずつ、少しずつ、要らないものを振り落としながら、今を生きていると思います。

続く