範宴(後の親鸞)の見た法然房は・・・・
集まってきた人々に、武士も町人も、下賎の者と云われた人も、まして不浄とされた女性の多さに驚いたと・・・・
当時の仏教は、エリート集団として、出世栄達と権力を得るための修行場であったらしい?
特に、聖域に付き女人禁制は叡山にも高野にもあった。
女性は不浄の者、武士は人を殺す、下賎のものは殺生ををする。
この者達に仏教を学ぶ資格も、浄土行ける資格もないとする常識の中・・・
叡山のみならず、他の仏教徒からも秀才、英才と認められた法然源空が・・・
「念仏をなされ。かならず浄土へ迎えられると信じて、疑念なく、ただ南無阿弥陀仏を念じるのじゃ」
と、春の海のような明るいお顔で説いていたという。
また会場には、若い美景の僧侶が念仏を唱え、皆は高揚する様に唱和していたという。
思うに、法然源空というお坊さんは、仏教のあり方を万民のものとて、元に返し・・・
浄土へ行けると信じる心が、日々のくらしの心得に自然と影響を与えると考えていたのではないのだろうか???
いずれにしても、範宴にはまだ・・・法然の思想が理解できないようだ???