秋田県曹洞宗寺伝に霊仙院が開かれたのは元和年間(1615-1624、江戸時代前期)で湯沢市清涼寺八世とある。そして開基は斎藤玄弘と記載されている。清涼寺とは佐竹南家の菩提寺で曹洞宗でもある。茨城から移ってきた。当家は叔父の代まで霊仙院の開基家として仏具等を寄進していた。
しかし、先代の御住職は室町期以前から(寺の裏山にある)八幡林館城に拠っていた千葉氏を開基とする。斎藤玄弘の関りは定かでないという。千葉氏は鎌倉時代から雄勝郡や平鹿郡南部を領有してきた戦国大名小野寺氏に属する国人である。千葉氏は霊仙院を菩提寺にしていたと記録にある。千葉氏一族の松岡氏や小野寺氏は豊臣期に山形県境から侵攻してきた最上氏家臣楯岡氏に敗れ、湯沢市一帯は楯岡氏の領有となる。松岡村は太閤秀吉の蔵入り地と記録にある。徳川の時代となり楯岡氏は佐竹氏と入れ替わりに由利郡赤尾津に転封する。楯岡氏は最上氏改易まで本荘城主となる。
1602年に佐竹氏が茨城から秋田に国替えした数年後に佐竹南家が湯沢雄勝を支配する。佐竹南家が配置される前、山伏の頭領である今宮氏は、常州時代の佐竹当主の庶長子の家系であったが、角館に左遷されるまで
隣接した平鹿郡増田に2年間在所している。今宮氏が配下の山伏を各所に配置したことが佐竹本家に咎められたらしい。古来からのしきたりに従ったまでと反論していた。
斎藤玄弘は佐竹南家の清涼寺に八幡林の杉材を寄進したと伝わる。庇護者、宗旨を替えたようだ。佐竹南家時代に松岡村の肝煎になった千葉家との交流は無い。松岡氏は佐竹秋田藩の角間川給人になった。当家には曾祖父以降最近まで開基の出身地由緒は伝わっていなかったが、江戸期には伝承されていたようで後述する。霊仙院での齊藤家の墓所は斜面の中段にある。本堂の側ではない。御本尊の裏手は小高くなっており代々の僧侶の墓とF家の墓域である。
画像は先祖が住んでいた間木の沢集落の遠望である。左手東方向は湯沢市に通じる道、右手西方向は霊仙院のある八幡林集落である。道を挟んで反対の北方向には松岡村の中心となる集落や天台宗の白山山岳寺院跡がある。