遺産整理のため10年ぶりに訪れました。南家は佐竹氏が茨城から秋田に移封後、秋田県南で山形最上氏領に近い湯沢市や雄勝郡に8千石位の領地をもらい支配していました。ところが秋田市久保田にお城を構える本家の意向で5千石に、さらには湯沢市岩崎に分家の支藩ができたことで3千石まで減らされたようです。私の遠縁の先祖も最初は本家直臣の給人でしたが、その後は南家に組み入れられたようです。本家は深堀等の米が良くとれる村を領有し、分家の南家は山間部の村と悲哀ですよね。
私の直接の先祖は山伏で西の雄物川の対岸、出羽山地際の松岡村字間木の沢に、佐竹一門で山伏の頭領でもある今宮家より配置されたのではと。先祖の墓誌文面や寺の山号と今宮家菩提寺の類似から推定しました。寺の開基となり周辺の山林を所有していました。なぜそこなのかの古文書は見つからないのですが、前の領主、最上氏家臣の楯岡氏が本荘に転封になりそこが空いていた、あるいはこっちだと思いますが山陰で日当たりが悪い土地であったからでしょう。除地とされ開墾に精を出した。
さらに南家菩提寺清凉寺の末寺になっています。寺史では僧らの働きかけとされていますが、常陸時代の主従関係ではと思っています。左側山際が侍町。陣屋がありました。
出羽山地と鳥海山。
