躾、怒る、叱る | 自己治癒力向上大作戦

自己治癒力向上大作戦

Body~Mind~Spirit~Soul~3rd-dimension~5th-dimension
このつながりこそがwellness~Happiness~LOVE

昨日はたつの市にて

「食べ物のお話会」でした

 

お集まりくださったみなさん

ありがとうございましたドキドキ

いかがだったでしょうか?

 

 

生きるとは?

という哲学的な問いにさえ

 

飯食って、糞して、寝ること

 

と答えるほど

わたしにとって

「食べること」は

生きる上での重要事項

 

美味しくごはんが食べられて

気持ちよくスルリと出せて

しかるべき時にぐっすり眠ってすっきり目が覚めるなら

 

それ以上なにを求めるのか

というくらいに

元氣かどうか

ハッピーかどうかの目安になると思っています

 

なので

何を食べるかで悩むのはナンセンス

 

食べる、観察する(食べたわたしを、です)

の繰り返しでわたしがたどり着いたのは

 

イキモノだったとき(※)の物語も含め

まるごとに感謝し、そのつながりを喜べるものを

探し、選ぶ、または作る

というところを大切にしたい

 

…ということ

 

そう、

食べることって

喜びなんです

 

目、耳、鼻、口、皮膚、ココロに

喜びがあることを

幸せっていうんじゃないだろうか

 

 

シアワセな食卓は

豪華さや高価さに彩られたものでも

手間を惜しまない献立でもなく

ちょっとしたことで違うんだよ、というワーク

 

 

「おにぎり」と「おむすび」

のワークをしました

 

 

真剣に違いを確かめるみなさん

 

おうちでもやってみてねウインク

 

 

さてさて、

お会いする方、

FBでつながっているお友だち、と

昨日からシンクロして話題になっているのが

 

ひとんち、おみせ、公共の場での

子どもの振る舞いと

その親の態度

 

放任と尊重は違う

 

という基本的なことは

もはや改めて言うまでもありませんが

 

放任している親への

「わたしの対応」と

子どもが壊したり汚したりしたときの

「わたしの対応」に

注意が集まっています

 

 

放任している親は

わが子が壊したもの、汚したものを

気にしたりはしません

(気になったときはこっそり逃げるらしい)

 

商品、展示品、設備、雰囲気

壊されたいものなんて

ひとつもないのが

オトナの都合です

 

そうはいっても

子どもに限らず

壊れることも汚れることもゼロにはできません

 

壊れた時、汚れたときの

壊した人、汚した人と、その保護者の態度が

気になるんですね

 

まず、

壊れないように

汚さないように

という、それなりの配慮をしていたかどうか

 

それでも起きたときは

謝罪と弁償も含めた対応の相談があれば

寛容さも発揮できようというものですが

 

壊されたこと、汚されたことを指摘され

むくれるようでは

不愉快さも倍増するというものです

 

ましてや、指摘されてから

子どもをどやしつけたりされると

子どもが気の毒になっちゃいます

 

 

どちらの立場にせよ

気にする人というのは

子どもにのびのびとふるまってほしい反面

場をわきまえることも覚えてほしいという

「願い」を持っていることでは

共通しているかと思います

 

 

そんなこともあり

「躾」や「叱り方」に悩む人は

大勢いるのだなと

改めて感じた次第です

 

 

なんかね、

すごくフクザツな気がするんです

 

オトナとコドモ

客(オトナ)と店員

客(コドモ)と店員

 

それぞれに大切にしたいモノやコトがあります

 

オトナは状況によって変わりますが

コドモはいつも一緒です

 

自分がゴキゲンでいること

以上!

 

そんな感じ

 

 

なので

生理的な欲求が満たされれば

次は安心感

新生児は

眠い、腹減った、お尻気持ち悪い

次に来るのは

誰と一緒なら安心かという欲求

 

次は

「認めてもらいたい」

「気にかけてもらいたい」

ですから

ありとあらゆることにトライします

 

生理的な欲求の欠乏

安心感の欠乏(不安や恐怖)

の次に耐え難いのが

退屈

だと思うのです

 

個人差があるので

どの程度なら…というのは

それぞれ違うと思いますが

動的なエネルギーに満ちた人ほど

アクティブに動き回ります

壊すことも汚すことも多い

(書いてみて思ったけど当たり前ですわね)

 

静かな人は

じっと座って退屈しのぎできるので

それほど動き回りません

壊したり、汚したりする頻度も程度も

アクティブな人ほどではありません

 

 

そんな違いですから

怒ったって変わりません

 

 

オトナの目的が

壊されないように、汚されないように

コドモの目的が

退屈しないように

なのですから

噛み合っていないのです

 

 

大切なものを

壊さないように

汚さないように

日ごろからふるまっていますか?

 

大切なものを

壊さないように

汚さないようにというオトナの振る舞いを

コドモは見ています

 

それでも失敗することはあります

 

失敗からは学ぶことがたくさん

 

なぜ壊れたのか

直せるのかどうか

直し方

片づけ方

次からどうすればいいか

などいろいろ

 

ひとりじゃ難しいけれど

経験者(オトナ)が失敗を共有してくれれば

いろんなことが学べます

 

 

 

躾…

というと

その効果を評価対象として見てしまって

ついつい過剰な振る舞いにも発展しかねません

訓練なのか?と思うこともあります

 

叱る…

行為に対してであって

人格を否定しないようにと

いろんな本に書いてあるし

いろんな人が言っています

 

怒る…

こどもを怯えさせるだけの

意味のない振る舞いです

 

 

なんだか、

本来の目的をなおざりにしているような気がするんです

 

元氣で幸せに育ってほしいという目的

 

 

コドモに親ができることって

そう多くはありません

 

安全なねぐらを用意すること

生理的な欲求を満たすこと

「大好きだよ」ということを伝える

「いつでも相談相手になるよ」ということを伝える

 

この4つがしっかり伝わってれば

あとは

自力で元氣で幸せでいようとするのが「生命力」

 

 

 

 

大切にしているコトやモノを共有するために

自らそのように振る舞うこと

根気よく伝えること

 

 

ときに感情的になることは否定しません

失敗したと思ったときは

それを認めて謝ればいいと思います

 

親の責任として躾をする

悪いこと、危険なことは叱って教える

 

間違いだとは思いませんが

力関係の中で伝えられることが多ければ多いほど

コドモは無力感を覚えます

 

褒められれば優越感とセットで劣等感が付いてくるように

力関係の中で過ごす時間が多いほど、従順さや無力感

または自己卑下や反動による反抗や反逆心が出てきます

 

 

こどもって

オトナ、親、兄、姉、先生など

身近な大人の振る舞いを

本当によく見ているものです

 

ミラーニューロン

侮るべからず、なのです

 

 

 

ひろの拝