平滑筋肉腫。
10数年前に母がこう診断されてハテ?ナニソレ??
母は、ひざのしこり?はずっと前からあったらしいけど、大きくなってるような気がして。
かかりつけ医の先生に相談したらがんセンターを紹介されて
それから、母と私の通院生活が始まりました。
とは言っても、通常診療の時は気丈な母は、車で1時間の病院に電車とバスを乗り継いで通っていました。
膝にしこりがあっても、私よりスタスタ歩く元気な?人でしたし、人に迷惑かけたくない、という思いが人一倍強かったし。
それは最期まで貫いてましたね~。
私には無理だ。。
最近甘えることを覚えて、しっかりグータラさせてもらってます
やることはやるけどね
母は手術で腫瘍を取り除いた後、半年後に肺に怪しい影が映りました。
医者 「このサイズだとまだ癌がどうかわかりませんが・・」
母 「疑いがあるなら取って!」
平滑筋肉腫は母の病院ではその当時、抗がん剤はあまり効かないから、腫瘍が見つかれば取る、という治療方針でした。
母は腫瘍が見つかれば手術、を繰り返していましたが、親しい友人にも最期まで癌だと隠し通せるほど、普通に生活していました。(変に気をつかわせるのが嫌だったのかなぁ。。)
確か亡くなる1~2週間前だったと思うのだけど、
足がむくんで靴が履きづらいから新しい柔らか
い靴がほしい、というので、介護用品のお店や身近な靴屋さんを一緒に見て回ったんですよ~。
帰りにソフトクリーム買って食べて。
実はその頃は腸閉塞を繰り返していて、食べるの禁止と私も心を鬼にしていたんですが、(栄養は点滴から)
アイスクリームなら口で溶けるから、と珍しく許可
でも、カップに入れてもらって半分だけね、と言ったのに、気づいたら全部食べてた
でも、今思えば、いい思い出だな~、お母さん、子どもみたいだったな~
亡くなる3日前にソファで「ちょっとシンドイ」と言うので、訪問看護の方とかかりつけ医に来てもらって処置。
つまり亡くなる3日前までちゃんと起き上がって自力で移動していたんです。
寝たきりは最期の2日間だけ。
すごいな~。
すごいことだよね。
ガンの種類とか治療法とかにも違いがあるのかわからないけど、看取ってくれた先生は「普通の病気だと徐々に弱るけど、癌の場合は最期に急にガタッてくる」って言ってたな~。
主人の父親が小脳変性症で、徐々に動けなくなる病気だったから、もし私がどちらかの病気を選ぶとしたら・・・って考えてしまった。。
病気は選ぶものじゃないのにね。。
ゴメンナサイ。
友人で母と同じ時期に、同じ平滑筋肉腫になったけど(彼女は太もも)今も元気です
かなり前の話だけど、「定期検診でメチャドキドキしてるのに、誰もわかってくれない!」って怒ってたな~。
周りも慣れちゃうのかな?
慣れるのも怖いけど、
慣れるのも大事なのかも。
そういえば、主人が知り合いに「奥さんが病気だと大変でしょ」って言われて
主人は「もう慣れた」って言った時は、何か妙にホッとしたな~。
私が心臓バクバクでオロオロしてた時、それに合わせて旦那もオロオロしてたら、私の場合、自分がしっかりしなきゃ!甘えてられない!てなるからな~~
周りには適度な心配と適度な鈍感力?を求めます・・難しいか