今回で一旦終わりになります。



熱田神宮での不思議体験をした場所から一直線に繋がる神様のエネルギーラインを辿った結果




岐阜県の飛騨地方にある『位山』という場所に導かれました。



この山には、何かあるのかな?


と調べていると



・戦時中に三種の神器の1つ『天叢雲剣(草薙の剣)』が位山を御神体とする飛騨一宮 水無神社へ預けられていたほどに天皇家との繋がりが深い場所であること



・天皇陛下の即位式で唯一身につける『御笏』は1000年以上前から位山のイチイの木と決まっていること。また、伊勢神宮での遷宮で用意される笏も位山のもの


使うイチイの木は樹齢300年ほどのものらしい。1000年も続いているなら、他の候補地も植林などで用意できると思うが、位山のものを使い続けているという事実。


位山のイチイでなければならない意味がある?



・天皇陛下が水サミットで明言した、九頭龍信仰の中心地に近い場所であり、大和王権より以前にヒダ王朝があったと推定される場所であること


現在の水無神社の主祭神は御年神(他14柱)とされるが、御神紋は瓢箪(ひょうたん)で水という字をかたどったものであり、本来の水無大神は位山の水主神とされる。




・位山の主が、初代天皇 神武天皇に王の位を授けたという伝説



他にも両面宿儺が生まれた場所、天然のピラミッド説など色々な事が言われています。




この『位山』の存在を意識した上で、伊勢神宮の場所を見て気づいたことがあったので、伊勢神宮はなぜあの場所なのか?を書かせて頂きました。




現在の伊勢神宮の位置ですが、真北に『白山』と『気多大社』が存在します。


どちらも伊勢神宮よりも先にある場所で、気多大社は崇神天皇(先代御杖代 豊鋤入姫命の父、宮中の神々を各地へ配置した)の代に、やや東の位置から現在地に遷座したと言われています。




そして、ぼくの感じたエネルギーラインである

伊勢→熱田→大縣→位山



伊勢神宮の場所と関係があるのかは不明ですが、『伊勢→熱田 』と 『大縣→位山』 の距離が同じ長さなのも気になります。


ぼくの画像サイズだとどちらもぴったり2cm



約2000年前(?)と言われる時代によくこんな配置ができますよね。



この伊勢神宮から位山に伸びる、やや東北方向のナナメの角度を覚えた上で、伊勢神宮周辺の画像を見てもらいたいと思います。








どちらの御正宮も真北方向(外宮はやや東北?)を向いているにも関わらず、その他の神宮施設は全て東北方向へ傾けて作られています。




伊勢神宮の御正宮は、斎王(現在は黒田清子様 明治以前は未婚の天皇の皇女)と伊勢神宮の神職の一部しか入ることを許されていません。



その為、年間1500回と言われる伊勢神宮の神様へのお祭りのほぼ全てが、やや東北方向を向いた建物の中で行われています。



ということは伊勢神宮における神職の祈りの方向のほぼ全てが東北方向ということ。




そして、外宮内宮のどちらにも存在するツキヨミの社もそれぞれの位置から見て東北方向へ置かれています。







意識して見るとほとんど同じ方向へ向けて傾いていませんか?



もしかしたら古代の時代、伊勢神宮の遷宮が始まる前の御正宮はやや東北方向を向いていた可能性もあるのではないかと思っています。




なぜ伊勢神宮はあの場所なのか?




ぼくの予想では、古代の重要地点があのエネルギーラインの上にあるのだと思います。



伊勢神宮とは、大和王権の中心地(纒向遺跡)からでは届かない祈りを重要地点へ捧げるために作られた場所なのではないでしょうか?




事実、明治以前(明治天皇)の歴代天皇は伊勢神宮へ勅使を送っていただけで自らが伊勢神宮へ参るという行為はなかったようです。



天照大神を祀っているとはいえ、現在伊勢神宮へ置かれているとされる三種の神器は八咫鏡(やたのかがみ)1つのみ。



崇神天皇の代に全ての神を宮中から外に出したとされますが、皇居には三種の神器の1つ八尺瓊勾玉の本物が残されています。



また、その他の2つの三種の神器 八咫鏡と草薙の剣の形代も皇居にあります。



天皇陛下は伊勢神宮へ行かずとも皇居から天照大神と繋がれるはずなんですよね。





意図して作られたと思われるこのラインが何を意味するのか。






神様のエネルギーを感じながら、古代の人々と神々が残した足跡を追って行こうと思います。



古代の神社は興味深いです。




このラインの真実を知るキーワードは、八十禍津日、瀬織津姫、九頭龍、スサノオあたりなのかな?と思っています。



何か発見があれば書きたいと思います。





ちなみに豊鋤入姫命の巡幸で、神戸周辺に十字を描いていたの覚えていますか?




この伊勢神宮・白山・気多大社の南北のラインには、とてつもない十字が存在します。







出雲大社や富士山を通る春分・秋分のレイラインと呼ばれる1番有名なラインと交差するんですね。




この交差した場所が『その②』で出した金華山(稲葉山)であり、戦国時代に岐阜城(稲葉山城)が作られた場所です。




伊勢神宮と出雲大社のラインの交差する『岐阜城』で織田信長は天下布武を宣言し、日本の天下統一の礎を作りました。



以前にも織田信長は、ぼくが感じているような神様を感じる能力があったと思うと言わせて頂きましたが、神社巡りのブログの合間に神様のエネルギーを感じる者から見た織田信長について書きたいと思います。