自死という繊細な内容となります。
閲覧は無理しないでください。
こちらのブログのつづきです。
当時の子供たちの様子ですが、ずっと何か月も隠れて泣いて。旦那も子供たちとずっと泣いて。2ヵ月は学校に行けなかったらしいです。現場が自宅だったから家にも居られなった。子どもたちは従妹の家に居て自宅には怖くて帰りたがらなかったみたいです...
そして長男の机を片付けてたら見つけた『思い出』って書いてある日記があって中を見たら当時のお母さんとのことが書いてあって。そこには
『あんなことがなければこういうことにはならなかった。あの日あんなことをしなければ僕はこんな気持ちにはならなかった』と...私はその時点で苦しくて。
『学校に行きたくない友達にも会いたくない、でも修学旅行には行った。先生も友達も優しかったいつか恩返しがしたい』っていうような内容が書いてあって。何日か続くんですね。最後のページに『お母さんへ』ってあったんですよ。そこにこう書いてたんです。
お母さん何してますか?
天国で元気にしてますか?
僕はなんとか元気にしてます。でも、お母さんがまだ僕の周りに居ることはなんとなく分かってます。ずっと見守ってくれてるんですね。僕もいつかそっちに行きます。もう少し先だけど
それまで元気に待っててください
って書いてあったんです。その日以降何も書いてないんですね。多分そのお母さんへの手紙を書いてこれからは頑張ろうって決めたと思うんです。聞けないから聞いてないけど、多分自分の中での整理がついたのがそこなのかなって思って。お母さんのためにも僕は頑張ろうって思えたのがその日なのかなって思って。
私は結婚するときに子供たちに私も(君たちの)お母さんのことも大事にするから気を遣わないでって話したんです。
再婚したら私の前ではお母さんの話しちゃいけないって気を遣ったりするかなって思って子供なりに。だからその必要はないよって。今では何かのきっかけでお母さんの話が出れば話してくれるんですけど。でも
長男がやっぱり今でも泣くときあるよって言ったときがありました。消えることはないです。
子供たちにとって
決して消えることはない傷
次回はSさん家族の今を
投稿します。