「鉛筆をなめる」ということ。 | たまき雄一郎ブログ

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ガソリンの暫定税率の問題について、先日、馬渕衆議院議員が、道路利用の需要予測について、古いデータを使って需要を水増ししていることを指摘した。


私はこの話を聞いて、「またか」と思った。


私が内閣府で道路公団の民営化を担当していたときも、同じような問題が発覚した。

つまり、高速道路の需要予測に関して、人口のピークは2006年にくるのに、国交省は、高速道路の利用は2030年にピークがくるとし、人口のピークを過ぎても道路建設が必要と主張していた。


これに対し、当時、道路関係四公団民営化委員会の猪瀬直樹氏が、そのカラクリを厳しく指摘した。簡単に言えば、需要予想をする計算モデルの中で、免許を持っている人の比率(特に、高齢者の保有率)の数字を意図的に高く設定していたのだ。


しかも、その計算モデルを提出して欲しいと国交省に言ったら、外郭団体の(財)計量計画研究所というところに著権が属するので、出せないとのことだった。


公費で作成したモデルなのに、それを著作権をたてに出さないとは、おかしな話である。


とにかく、このように結果ありきで数字を操作することを、「鉛筆をなめる。」と言う。


実は、この「鉛筆をなめる。」事例は枚挙に暇がない。


身近な例で言うと、瀬戸大橋の需要予測は、当初予想から、何度も変更されているのだ。


例えば、1979年には、2001年の予想通行台数として、1日約48000台と予測されていたが、実績は14000台しかなかった。実に3分の1以下である。


経済の低迷を予想できなかったなどと言い訳をいうのだが、それにしてもひどい。


もっとひどいことは、こうした結果に対して誰も責任を取らなくていいシステムになっていることだ。


多くの官僚にとって、需要予測をはじめとした将来予想を、数理経済や統計学を駆使して、意図した数字にもっていくことは決して難しいことではない。


必要な予算から逆算して、モデルも、数字も作れるのだ。


例えば、次年度の予算編成をするときには税収の見積もりが必要になるが、これは一定の経済成長予測に基づいてはじき出される。経済成長率が高いと予想されれば、高い税収見積もりとなり、発行する国債も少なくて済む。


そこで、赤字国債の発行をどうしても抑えたいと思えば、高い経済成長率をはじき出すモデルを使うことになる。


ただ、鉛筆をなめることが横行しすぎると、ツケは全て高世代に回される。


そして、こうした事態を改善するためには、官僚の良心に頼るだけでは足りない。


政治家が、彼らの仕業(しわざ)を見抜く力を持たなければならない。


使用しているモデルや、前提としている条件を一つ一つきちんと調べてみることが不可欠である。


つまり、「鉛筆をなめる」ことを止めさせなければならないのである。


予算の無駄遣いをなくすためには、出来上がった橋や道路を前に「無駄だ、無駄だ」と叫ぶよりも、モデルや数値のチェックといった地味な作業が有効なのである。



孫子(まごこ)の世代にツケを残さない政策が大事です。

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