さきた☆たまきのラウンドハウス・第二機関区(アメブロ版)

さきた☆たまきのラウンドハウス・第二機関区(アメブロ版)

管理人の好きな鉄道や旅、その他近況などを気ままに綴るブログです。



 

 飼い猫の一匹・チビクロが怪我治療中『家出』をしてしまいました。もちろん捕まえようとしたものの失敗。後日、何度か近所をうろついていたのですが、うちには寄りつかず、私らの顔を見ると逃げて行ってしまうのです……。

 詳細を話しますと、今月初めくらいから元気がなく、えさもあまり食べず、抱くと嫌がるように鳴いたんです。なのでかかりつけの獣医さんへ…。右後ろ足のつけ根あたりになにかがあり、それが原因らしかったのです。ただ、腫瘍ならば痛みはなく、おそらく怪我をしているのだろうとのこと。見ためは毛に覆われていて、傷がある感じではなかったのですが、足も腫れているようで、確かに歩きづらそうにしていました。

 その翌々日、膿が出てきて傷の場所がはっきりします。2度めの通院の際にはもう一ヶ所のひどい傷があらわになり、こちらは治るのに2ヶ月くらいかかるかもと…。前回血液検査をし、脱水症状が出ているのと腎臓の値があまりよくないのは聞いており、これは長期戦覚悟かなと…。その日も点滴処置と薬をもらい帰宅しました。

 明朝、うっかり玄関を開けっ放しにしてしまったすきにチビクロが外に出てしまいます。え、怪我しているはずなのに足はやっ(゜O゜;!庭木の植え込みに入り見失ってしまいました。
 じつはこのときはおとなりさん宅の裏手にいたのを、夕方主人が見つけ確保したのでひとまずはよかったのですが…。朝逃げたとき、足が速かったのは、膿が出て比較的痛みが治まったからではないかと思います。でも傷はひどいままだったのですよね。

 そして翌日…、日曜でしたが、獣医さんは予約制で午前中はやっており、チビクロを診せる予定でした。出かけるまであと30分程度、ケージも準備していたら、義母が叫ぶ声が…!チビクロが少し開けた窓から飛び出して行ってしまったのです。
 この日は朝、1階の居間にある押し入れのなかで『彼』は寝ており、少し前に私が見たときは起きて戸のすきまから部屋をうかがっていたのですよね。もう獣医さん連れていくまであまり時間はなかったけれど、一旦2階に連れてきたほうがいいかなと主人と話していたときだったんです。

 …しばらく大捕物が続き、チビクロは家の庭木と隣家の境の塀を飛び越え行ったり来たり…、結局は巻かれ逃げられてしまったのでした。確かにねこって逃げられるとなかなか捕まらないんですよね。一度前日に逃げられたのだから、十二分に配慮、注意すべきでした。(>_<)

 それが8日前のこと……、じつはチビクロの姿は3日前の朝以降確認できていません…。怪我だけでなく脱水、腎臓と体に問題もあったからな、ここのところの暑さでもしかしたら動けなくなってしまっているのかも?ただ、どこにいるのかがわからず(できる限り探してみてますが)、悔しく悲しい気持ちを抱えるばかりです。
 1週間くらい前はひょっとしたら帰ってきてくれるかなと一縷の望みを期待していたのですが、逃げたのを大々的に追っかけまわしてしまったのでは駄目でしたね……。

 ではどうすればよかったのか…?親の心、子知らずといいますが、この場合、飼い主の心、愛猫知らず。飼い主の立場としては、しばしいやなのはがまんして治療を受けてほしかったです。(決して重くなかったはずなので)ただ、彼は体の具合いや治療より自由を選んでしまったのだから。そのあたりがねこらしいといえばそうなのですがね…(;_q)。

 

★写真…2016.8(チビクロ、もう8年近く前の写真です)

 前回の記事で、東武東上線開業110周年の話題から、10年前に催された100周年のイベント、そして翌2015年の8000系10両編成の引退イベントについてお話ししました。

 

 辛うじて関われた後者イベントのあと、偶然惜別乗車を2度もできたことを書きましたが、最後に乗ったのが下り方2両目の車両・モハ8506……。下り方のクハ8606と組んで、東武の事業車8506Fとして使われていたんですよね。それが先日(6/3)ついに廃車回送になったとかで…。東上線の入出場列車が秩父鉄道の電気機関車で回送されるようになったとすでに聞いていて、この事業車は…?!と思っていたら…そうだったんですね。

 

 

 

 写真↑は、乗り込んでからササッと撮ったもの。もとジモテツの車内では、鉄ちゃん的行動はしづらいなと思いつつ、最後だからとカメラを向けたのです。

 

 銘板には昭和40年(1965年)とあり、古参だったんだなと…。あとモハなのになんで運転台があるの?という疑問を実家にいる頃から抱いており、それで撮ったのが2枚目の写真なんです。だったらクモハじゃない?と乗る度に何度思ったことか。
 後日、この編成は秩父鉄道のATSを積んでおり、南栗橋の検修場へ入出場する列車を牽く際の事業車になっていることを知りました。ちなみにここの運転台は簡易だそうで、羽生方面に向かう際、先頭になるため設けられているようでした。

 

 そんな特別な役目を持つ編成だったとは…!『JR鉄子』である私は、どちらかというと私鉄には疎く、身近すぎる東上線にはとりわけ興味が薄かったように思います。たぶん余所者になって里心がつかなければ、知らないままだったかも……。

 

 翌年の2016年5月には、恒例の秩父鉄道「わくわく鉄道フェスタ」にこの8506Fがゲストとして呼ばれます。これは行かねばと思い、5月の帰省をこのイベントに合わせ予定、会場に乗り込んだ?のです。

 

 当日回送されてくる都合で展示時間が限られているようでしたが、私が行った頃には会場奥の線路に、ジオパークトレイン、三社トレインにはさまれて3本で並んでいました。撮影エリアにはほんとに人が多く、数年前の1000系(もと国鉄101系)のリバイバルカラー3本ぞろいのときを彷彿させました。

 なんとか最前列につき、並びの写真を…。会場内にはC58もいましたが、半分くらいは8506Fに気持ちが傾いていたと思います。

 

 

 近年、このイベントの行われる時季は晴れれば夏の暑さで、日影の少ない会場では2~3時間もいればヘロヘロになってしまいます。このときも然り…、昼過ぎで撤収を決めました。え?8506Fも…!(こちらは暑さには関係なく^^;)会場沿いの土手をゆっくり歩いていたら入れ換えを始めたのです。

 土手の下にはその様子を撮る人たちも…。そんな鉄ちゃん同士の会話も聞こえ、回送を追っかけながら帰るという熱心な人もいてちょっとびっくりしました。

 

 本線に向かう8506Fはモハ8506が先頭になっていました。10両編成で営業運転の頃は連結面でしたから初見、会場ではクハ8606がフロントでの展示でした。

 いわゆる『回送』での場面を一度も見たことのない私、種別も幕でしっかり出ており、堂々隠れ運転台からの走りをしっかり見送りました。

 

 営業運転の際、偶然乗ることができてお別れ、一年数ヶ月後秩父鉄道のイベントでの再会…。しかもねぐらへ帰るところをまたもや偶然見送れたという……。あらかじめ運用を調べた上ではなくて、偶然そうなったというのが『前回のめぐりあい』との共通点です。うれしさもひとしおでした…。

 

★写真…1、2枚目 2015.1、3~6枚目 2016.5

 

 

すでに余所者の身には、しみたフレーズ。2014年春に迎えた東上線開業100周年のロゴ。

末端区間を走る8000系4両編成にもロゴがついていた。寄居ホームに停まっていた二本。

2015年1月、8000系引退イベントの日に。実家の近所がこんな風ににぎわうとは…!

上の翌々日、実家からの帰りに駅で撮った一枚。運よく目当ての編成を捕えられた。

川越で下車直後に、さよならのワンカット。つぎに来るときは会うことはないのだが…。

2016年1月に初対面。全線開業90周年記念で施されたフライング東上色の51092F。

最強の三色そろいぶみ!?小川町駅改札外に貼りだされていたリバイバル色の運用表。

 

 NHKのローカルニュースの番組だったかな、もとジモテツの東武東上線が取り上げられていて、今年で開業110周年といっていました。

 あれっ、ついこないだ100周年だったよう…な?!最強のネタ車・8111Fをひっぱり出して東上線ではめずらしく記念列車が走ったり、記念乗車券も出たり…。後者はあっというまに売り切れたとかなんとかと風のうわさで聞きましたっけ。
 でも…、そう、それって2014年のことなんですよ~~~!!!確かに+10年だわ。気がつけば、時がたつのがリニアのごとく速く早く感じる今日この頃なんです。

 

 100周年のときは、記念列車にも関われず、記念乗車券もソールドアウトで買えず、内心、地団駄踏んだ私がいました。いやその前までは東上線なんてと思っていて、実家を離れたことである種の里心がついたのかな…?そして、私が離れてからそんなイベントをやるなんて、というやっかみの気持ちもあったような気がします(^-^;。

 ただ翌2015年初めには、末端区間や支線をのぞいた本線の信号システムが変わるからと8000系10両編成の引退惜別イベントが催され、正月の帰省をそれに合わせたのだっけ。
 ところが、はりきっていどんだイベント列車の写真はダメダメな出来でがっくり…。でも実家の近くで、これまで見なかったようなにぎわいのなか撮れたのはいい思い出になりましたけどね。

 …そして、そのつぎの日、秩父鉄道にSL撮りに行った帰りに森林公園駅で始発の8000系を偶然見かけ、ひと駅だけ乗ったのです。フロントには『ありがとう8000系』のヘッドマークがついていて、ラッキーと。テンションが上がっちゃいました!
 さらに翌日には、古河への帰りにその編成にまた巡り合えまして、もと地元駅に入るときと川越駅で降りるときにパシャリと…。ラストランが5日後に迫る日のことでした。

 

 そういえば、2015年は全線開業90周年だったんですよね。実家のあるのは川越より北なんで11年遅れのエリア…(正確には9年)。来年・2025年が全線開業100周年なんで、なにかやらないでしょうか…?
 ちなみに90周年のときは、「TJライナー」でおなじみの50090系の51092Fと、ローカル仕様の8000系の8198Fを伝説の行楽特急・フライング東上号がまとっていた色を施したのでした…。記念のラッピング・塗色は同年11月と遅かったのですが、双方編成の入場のタイミング

や都合とかあったのかな?
 

 とくにローカル区間はセイジクリーム(81111F)とツートン(81107F)とフライング東上色とそろい、リバイバルカラーの運用『祭り』になることもあったようです。(とりわけ越生線は…)
 私は遅れて知りましたが、小川町駅の改札外に運用表が貼りだしてあったんですよね。駅や駅員への問い合わせが多かったのかしら?ただ、実情と合っていないこともあり、ハテナと思ったことが何回か…。よって参考程度にしていましたが。

 なお、フライング東上色は2019年2月で終わったそうで、51092Fは「池袋・川越アートトレイン」にモード替えに(ちなみに、このラッピングも2022年秋で終わったらしい)、一方ローカル区間で走る8198Fは従来色にもどったようです。その後この運用表はどうなっているのでしょう?リバイバルカラーがセイジクリームとツートンの2本でも続いていたのかな…?個人的には、コロナ禍もはさんだので、小川町方面には行かずじまいになっているんですよね。