MAG2 NEWS:パリ五輪“生首ギロチン開会式”本当の大問題は何か?小林よしのり氏が疑問、なぜ日本の「保守」も「リベラル」も黙っているのか2024.08.01より転載します。
 
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ギロチンで切り落とされたマリー・アントワネットの首が歌い出すという衝撃的な演出が話題となったパリオリンピック開会式のパフォーマンス。まさに全世界で賛否両論噴出の事態となっていますが、『ゴーマニズム宣言』等の過激な作品で知られる漫画家の小林よしのりさんはどのように受け止めたのでしょうか。小林さんは今回のメルマガ『小林よしのりライジング』で、「フランス人があの表現を誇りと思っていることが問題」と指摘。その上で、今大会の開会式の「何を批判すべきか」についての考察を行っています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:パリ五輪斬首の何を批判すべきか?

パリ五輪「マリー・アントワネット斬首ショー」の何を批判すべきか?

パリ五輪開会式における「マリー・アントワネットの生首」の演出が物議をかもしている。

ところが日本の「識者」からは、ろくな批評が出て来ない。中には「常識人に不快感を与える」から表現として芸術として良かっただの、「マンネリ化していたのがすべて吹っ飛んだ」だのと、狂っているとしか言いようのない評価まで出てくる始末である。

開会式のショーはそれぞれテーマがつけられた、いくつかのパートに分かれていて、問題のシーンは「Liberte」(リベルテ=自由)と題されていた。

フランス革命の際、王妃マリー・アントワネットがギロチンにかけられるまで実際に投獄されていた建物「コンシェルジュリー」の窓に、自分の生首を抱えたマリー・アントワネットが立つ映像が映り、その生首がフランスの革命歌『サ・イラ』の冒頭を歌う。

それに続いてデスメタルバンド・gojira(ゴジラ)がその続きを爆音で演奏し、コンシェルジュリーが真っ赤な砲火に包まれる。

クライマックスには、あちこちの窓からギロチンの血しぶきを表現した真っ赤な紙テープが噴射され、ジャンヌ・ダルクに扮した女性が、その血を浴びながら気持ちよさそうに革命歌を歌う…というのが、そのショーだった。

泉美木蘭さんがブログで紹介してくれたが、マリー・アントワネットの生首が歌っていたのは、こんな歌詞だ。

Ah! ca ira, ca ira, ca ira
les aristocrates a la lanterne!
Ah! ca ira, ca ira, ca ira
les aristocrates on les pendra!

ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯に吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!

パリ五輪の開会式でマリー・アントワネットの生首が歌う。

このあとgojiraとジャンヌ・ダルクが原曲の通りに歌ったかどうかはわからないが、「サ・イラ」の歌詞はこう続く。

吊るすのでなけりゃ
奴らを壊そう
壊すのでなけりゃ
奴らを燃やそう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯に吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!

われらはもはや貴族も聖職者ももたぬ
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
平等があまねく支配するだろう
オーストリアの奴隷もこれに従うだろう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
そしてそれらの忌々しき連中は
地獄に落ちるだろう
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを街灯へ吊るせ!
ああ!うまくいく、うまくいく、うまくいく
貴族どもを縛り首にしろ!
そして全員を吊るしてやったら
奴らのケツにシャベルを突き刺してやれ

● パリ五輪の開会式でマリー・アントワネットの生首が歌う。

これが、フランスが「Liberte」と題して全世界に披露したショーなのだ。

フランス人にとって「自由」とは王妃をギロチンにかけ、貴族や聖職者たちを血祭りに挙げたことをいうのである。

暴力によって歴史を寸断してもいいと考えるリベラル

問題は、フランス人があの表現を「誇り」だと思っているということだ。

開会式のショーでは、LGBTのダンサー(どらぁぐクイーンとかいうらしい)が名画「最後の晩餐」のパロディを演じるシーンがあり、「キリスト教を揶揄している」という抗議の声が挙がっている。

演出家は「多様性」を表現したかったと言っているようだが、これもやはり、フランス革命で宗教を否定したことに対する誇りが根底にあるのだろう。

いずれにしても、それがその国の誇りだというのなら仕方がない。フランスが、王も王妃も貴族も聖職者もギロチンにかけまくった、人殺しの過去を誇らしいと思っているのなら、それを他国の者がどうこう言うこともない。

しかしそれを見せられる側としては、特に日本人を始めとする今も君主制を採っている国民としては、眉を顰めたり、くだらないと思ったりするのは当たり前のことだ。きっとイギリス人だって、そう思っているだろう。

イギリスの哲学者で「保守思想の父」といわれるエドマンド・バークは最初からフランス革命を完全否定し、『フランス革命の省察』を出版した。

国家の歴史の上に長い年月をかけて醸成されてきた政体を、単に一時的な感情によるものかもしれない暴力によって倒すということに対して、バークは嫌悪感を持った。このバークの考えこそが、「保守」の出発点である。

一方、フランスの「リベルテ」を英語でいうと、「リベラル」である。

ここで改めて「保守」と「リベラル」の定義をしておこう。

以前、「保守」とは「右翼」、「リベラル」とは「左翼」を言い換えたものだと説明したが、今回はそれを少し違う表現で論じることにする。

リベラルとは、歴史の蓄積による知恵の力よりも、人間の「理性」の力の方が上位であるとする考え方のことだ。

リベラルとは本来「自由」という意味だが、ここでは人間の「理性」の赴くまま、自由に行動するという思想となる。

人間には価値観の基準となる「理性」というものが備わっていて、宗教より健全な、より良き観念で、人々をより良きところに導いていくものだというのが、リベラル思想の基本だ。

だから「理性」が望むのなら、自由に暴力を振るえばいいということになる。

一般的に暴力的な行動をとると「理性的ではない」などと言われたりするが、暴力も含めて人間の「理性」がより良き判断をして、より良き行動に移すものだと信じるのがリベラルであり、暴力によって歴史を寸断してもいいと考えるのがリベラルなのだ。

リベラルとは、そう定義するしかないものなのである。

このような本当のリベラルの定義を、日本でリベラルを自任している人は、よく考えた方がいい。

繰り返すが、人間の理性の力を信じるというのが、フランス革命に発するリベラルの考えである。

これに対して、人間の理性なんてものは非常に曖昧で、何も確実性や真実性はないと主張したのがエドマンド・バークであり、それが保守思想の原点となった。

つまり「保守」とは、人間はそんなに素晴らしいものではなく、間違うこともあるということを大前提として、それよりも先人が重ねて来た歴史の知恵の蓄積を大切にしようという考え方である。

バークの考察は、いま見ても当たり過ぎるくらい当たっていたと言うしかない。

隣国の歴史に学ぼうという冷静さが皆無だったフランス人

イギリスではフランス革命から140年さかのぼる1649年、ピューリタン革命が起きた。

鉄騎隊を率いて国王軍・スコットランド軍を打倒したオリヴァー・クロムウェルは国王チャールズ1世を処刑して王制を打倒。イギリスは共和制となった。

しかし革命の英雄として権力を握ったクロムウェルは、次第に独裁的な政治を行うようになり、ついには軍事独裁体制を作りあげ、共和政は実質的には棚上げにされ、反発が強まっていった。

そしてクロムウェルの死後に王政復古の新体制が作られ、共和政はわずか10年で終了した。

だが王政が復活すると、ジェームズ2世の専制政治が国内外に反発を生み、1688年、名誉革命が起こる。

イングランド議会と結託したオランダ総督ウィレムが率いるオランダ軍がイングランドに進軍。ジェームズ2世は海外逃亡し、議会は王位の空座を宣言、オランダ総督ウィレムをウィリアム3世とし、その妻メアリ2世と共に君主としたのである。

そして議会は「権利章典」を定め、これにより国王も憲法によって権利が制限される「立憲君主制」の基礎がつくられたのだった。

このような歴史を熟知していたからこそ、バークはフランス革命に反対したのだろうし、フランス人にも隣国の歴史に学ぼうという冷静さがわずかでもあれば、少しは違った歴史になっていたかもしれない。

歴史の知恵や伝統とは、ワインのように熟成されていくものである。

ワインは醸造された時点で完成というわけではない。樽やボトルの中で熟成される。熟成とは「変化」である。ワインは一定のところで固定された、不変のものではない。常に変化し続けているのだ。

ところが、こういう認識が日本の自称保守・馬鹿保守には全くない。

自称保守は、伝統といったら永久不変で、絶対に何ひとつ変えてはならないものだと思い込んでいる。これはワインで言えば、樽詰めされた瞬間のワインが完成品であって、熟成されたものはワインじゃないと言っているようなものである。

「先例」は「掟」であり、天皇であろうと一切変えてはいけないのダー!!などと叫ぶような考えは、保守でも何でもない。何ひとつモノを知らない、無知蒙昧の野蛮人だというだけのことである。

ワインには「何年もの」といって価値の出るものがあるが、何年間熟成したら出来上がりと決まっているわけではない。その時のブドウの果実や種、果皮の質によっても違ってくる。

歴史の知恵も同様に熟成していくもので、何年経過したら出来上がりと決まっているわけではない。

わしは「SPA!(7月2日号)」に掲載した『ゴーマニズム宣言』で、「キリスト教だって、誕生した時はカルトみたいなものだったともいわれる。今でもカルト性は残っているようにも思うのだが、それでもキリスト教は誕生してから2,000年を経過している」と描いた。

つまり、キリスト教は2,000年かけて熟成され、そこに歴史の知恵といえるものも生まれているということである。

人間の「理性」を信じるという235年前のフランス革命に始まった思想にしても、わしにはカルトにしか見えないのだが、それをずっと熟成させていき、さらに100年、200年、300年とかけていけば、そこに変化が生じて、何らかの知恵が生まれてくるかもしれない。

ところがリベラルの人の中にはフランス革命を絶対視してしまって、フランス革命こそが原点であり、行き詰ったらフランス革命に戻ればいいとか言い出す者までいる。

それは要するに、時代による変化を一切認めないということであり、それではリベラルといっても、日本の自称保守と思考が何も変わらないことになってしまう。

問題となるのは、フランス革命が生んだ理性主義や人権思想、そこから発生した民主主義というものが、これから長い時間を経ていくうちに、歴史の知恵といえるものになるまで熟成されていくかどうかということである。

正直にいえば、それは──

――(メルマガ『小林よしのりライジング』2024年7月31日号より一部抜粋・敬称略。続きはメルマガ登録の上、7月分のバックナンバーをお求め下さい)

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