■明治大正の『萬朝報』、昭和平成の『噂の真相』なき令和の渋沢礼讃 | タマちゃんの暇つぶし

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MAG2 NEWS:明治大正の『萬朝報』、昭和平成の『噂の真相』なき令和の渋沢礼讃2024.07.23より転載します。
 
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7月3日の新紙幣発行に際し、お札の顔となった人物について、メディアはこぞってその偉人ぶりを伝えました。そうした礼讃風潮を作る大手メディアが、不都合な一面に関しては口をつむぐ傾向にあることを問題視するのは、辛口評論家として知られる佐高信さんです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、渋沢栄一と北里柴三郎のお妾事情も取り上げた明治大正時代の新聞『萬朝報』について紹介。昭和平成で言えば『噂の真相』ような暴露誌がいまあれば渋沢批判に動いたであろうと綴っています。

黒岩涙香のスキャンダル暴露

NHKをはじめ、メディアがあまりに新札の顔を持ち上げるので、『社会新報』のコラムなどで、渋沢栄一や北里柴三郎のスキャンダルを紹介した。ネタにしたのは黒岩涙香の『弊風一斑 畜妾の実例』(現代教養文庫)である。

これは『萬朝報』の1898(明治31)年7月7日から9月27日までに連載されたものだが、そこに似顔絵付きで渋沢も北里も取り上げられている。伊藤博文や森鴎外も登場するが、この黒岩のスキャンダル暴露を受け継いだのが岡留安則の『噂の真相』だった。

『噂の真相』ありせば、とりわけ渋沢礼讃を痛烈に批判したはずである。朝鮮侵略の表の顔が暗殺された伊藤博文だったとすれば、裏の顔というか経済侵略もしくは経済収奪の顔が渋沢だった。だから、今度の新札にも韓国で抗議の声があがったのである。

土佐に生まれて自由民権運動の洗礼を受けた黒岩については三好徹の『まむしの周六』(中公文庫)という「萬朝報物語」がある。俗に「赤新聞」という蔑称があるが、これは萬朝報に由来する。ピンク色の用紙が使われ、センセーショナルに人身攻撃的な記事が載っていたので、それを嫌った上級階級からそんな呼び方が出たのである。

私は過日、鶴彬の故郷で講演した際、鶴が反戦川柳で捕まって「川柳屋のくせに戦争に反対しやがって」と警察で言われたことを取り上げ、蔑称に居直れと主張した。川柳屋でないとか言って上品になろうとしたら、批判の鋭さもなくなるし、差別されている存在から離れてしまう。

新聞も「赤新聞」と呼ばれるところから遠くなったために攻撃的精神を失ってしまった。黒岩は一方で、内村鑑三、斎藤緑雨、田岡嶺雲、内藤湖南、堺枯川、幸徳秋水ら、優秀な論説記者を招く。しかし、日露戦争を肯定する論調に反発して、堺と幸徳が退社する、のちに内村が離れた。

この時、黒岩は幸徳と堺に「退社の辞」を書くよう求めた。三好によれば、黒岩は賭けに出たのだという。もちろん、去られる『萬朝報』にとっては、それを載せることはプラスにならないが、「そのマイナスを、マイナスのままに終わらせずにプラスへ転化する唯一の道は、両名の書いた文を読んだものに感動を与えること」だった。

「去った者はいさぎよかったが、見送った者も立派だった、ということになれば、さほどマイナスではない。いや、場合によってはプラスたりうる」ということである。黒岩はその賭けに勝った。

「予等二人は、不幸にも対露問題に関して、朝報紙と意見を異にするに至れり。予等が平生社会主義の見地よりして、国際の戦争を目するに、貴族軍人らの私闘をもってし、国民の多数はそのために犠牲に供せられる者となること、読者諸君のすでに久しく本紙上において見らるるところなるべし」と始まった一文は「朝報紙編集の事以外において永く従来の交情を持続せん」と結ばれていた。

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