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奈良・吉野の往復48kmの険しい山道を、1000日間歩く荒行「大峰千日回峰行」。その修行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨は何を得たのでしょうか。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、塩沼亮潤さんのインタビューを紹介しています。
塩沼亮潤大阿闍梨が命懸けの修行から得たもの
修験道1300年の歴史の中で、大峰千日回峰行の2人目の満行者となった塩沼亮潤大阿闍梨。
月刊『致知』2018年4月号にご登場いただいた際、命懸けで挑んだ修行の果てに何を掴んだのかを語っていただきました。
その一部をご紹介いたします。
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小僧生活をさせていただいて4年目、23歳の時に大峯千日回峰行という修行に入ることを許されました。
毎年5月3日から9月の初旬まで、毎日48キロの山道を16時間かけて歩きます。そして年間120数日を目途に、9年がかりで1000日を歩くのです。
この行には絶対に途中でやめることができないという千数百年前からの厳しい掟があります。万が一、途中で「これ以上前に進めない」
と判断した時には、常に携えている短刀で腹を切って行を終えなければなりません。
毎日同じ道を上ったり下ったりする間には雨の日も雪の日もあります。
猛烈な台風が来た時も崖崩れに遭った時もある。熊、猪、蝮、いろんなものがいつ襲ってくるかも分かりません。
それでもただ前を向き、一条の光を求めて手探りの状態で行を進めてまいります。
黙々と山を歩きながら、ふと浮かんだ言葉を山の中で書き留め、宿坊に帰ってきてから墨字で毎日日誌に書き綴りました。
「17日目、行者なんて次の一歩がわからないんだ。
行くか行かないかじゃない。行くだけなんだ。
理屈なんか通りゃしない。
もし、行かなけりゃあ短刀で腹を切るしかない。
そう、次の一歩がわからないんだ。
妥協しようと思ったらいくらでも出来るかもしれない。
しかし、なにくそ、これしきと思う。
その勇気は大変です。
苦しみ、悩み、涙と汗を流せば流すほど、
心が成長します。
たとえ雨でも、雲の上は晴れている。
心まで曇らせることなく歩いて行かなければ。」
次ページ:山の中でいつも思い浮かぶこと
毎日夜中の11時半に起床すると、すぐに滝に入って身を清め、宿坊から階段で500段ほど上ったところにある参籠所で身支度を整えます。
左手に提灯、右手に杖を持ち、編笠を被り、熊よけの鈴を鳴らしながら、12時半にたった1人で1719メートル先の山頂に向かって歩いて行きます。
山の中でいつも思い浮かぶのは故郷の母や祖母のことです。
「仙台にいる母ちゃんやばあちゃんは何をしてるだろうな」
返事、挨拶、礼儀、好き嫌いをなくすことなど、人として大切なことを教えてくれた母と祖母。
本当に厳しく育てられました。おかげで嫌なことがあっても感情を顔に出さなくなりました。
約束を守って嘘をついてはいけないという教えが大きな信用に繋がりました。
そんな母ちゃんとばあちゃんを思い、日誌にこう書きました。
「母ちゃん、ばあちゃん、この世では俺ぐらいの子を持つ親は、もう孫もいるよね。
朝早く起きて無事を祈ってくれたり苦労をかけたりすまないね。でも神さん、仏さんのために頑張ろうね。
いつの日からこの道を歩み始めたのだろうか、母ちゃん、誰に聞いてもわからない。
なぜなのかわからないけれども、今母ちゃんとばあちゃんと俺、何なんだろう。
でも仏さんも羨むだろうと思うよ、この絆は。一緒に暮らしたい、みんなのように親孝行をしたい、でも今はできないんだ。
ばあちゃん、母ちゃん、いつかきっと早くその日がくるように。」
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