■成功した経営者が「43歳で介護職に転身」 | タマちゃんの暇つぶし

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講談社:2024.04.2借金3000万を背負うもIT業界で起業し大逆転…成功した経営者が「43歳で介護職に転身」した意外なワケより転載します。
 
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https://gendai.media/articles/-/128267

 

 

厚生労働省によれば、介護職員の必要数は2025年度は243万人、2040年度は約280万人になるとしています。それに対して、2019年度の介護職員数は約211万人で、このままいけば2025年度は約32万人、2040年度は69万人の不足が予想されています。

筆者は、元・現当事者と専門職で構成されたケアラーひきこもり伴走支援団体「よしてよせての会」で代表を務めています。専門職の方々から介護現場の人手不足の原因の声を集約すると、以下が代表的なものになります。

・民間企業ではipadで会議をする会社が増えているが、介護業界でipadで会議する光景は見ず紙ベース。離職率が高い一因ではないか

・複数のヘルパーからいじめをうけ別の訪問介護事業所に転職しました

・8年間、特別養護老人ホームで働きましたが、よりキャリアアップがはっきりとした異業界に転職しました


以上も踏まえ介護業界で人手が足りなくなるのは、「人間関係のストレスが大きい」、「低賃金」、「キャリアアップが見えづらい」の3点があるように思います。

こうした状況において、神奈川県横浜市でパート介護士として勤務する「さかもとままる」さんは、介護業界の人材不足は多様な働き方の拡大で解消に近づく可能性をおおいに秘めていると言います。彼の半生とともに詳しく紹介していきます。

3000万円の借金を背負うものの何とか返済できたワケ

さかもとさんは、神奈川県在住、現在50歳でパート介護士として働いていますが、若い頃は主に飲食店や広告代理店、輸入業、IT企業などを起業し経営していました。

具体的にはサラリーマンを経験後、全くの未経験の状態からフレンチレストランを開業、24歳でマネジメントを4年ほど経験。しかし経営者としての実力があまりにも未熟で事業がうまくいかず、その後複数の事業に手を出すも失敗しました。背負った借金はいつの間にか3000万……。


Photo by iStock

「毎月借金の返済に追いかけまわされ、死のうと思ったことが何度もあり精神的においつめられました。今思えば、かなり重い仕事を一番最初にはじめました。無謀でしたね。(笑)でも、自分にとってすごい勉強になりました」(さかもとさん)

ポジティブ思考のさかもとさんは、その後、イタリア料理や和食などのお店を展開する株式会社グローバルダイニングの社員を経験。

「(グローバルダイニングは当時は)1テーブル毎にウェイターがいて、10テーブルを担当できるウェイターと1テーブルしか担当できないウェイターがいるような、完全実力主義の社風でアルバイトが大半でした。優秀なウェイターは月100~200万ほど稼いでいましたね。一攫千金を夢見るも、あまりのハードワークに体を壊し一年も持たずに退職、ここでも挫折は続きました」(さかもとさん)

さかもとさんは借金返済のため、さらにチャレンジを続け、トライアンドエラーを重ねながら、東京でテイクアウト専門店、メイドカフェ、ホームページ、動画制作などインターネットのプロモーションを展開する事業に次々と着手。

そして、ついに30代後半でスマートフォンのアプリケーション開発をするIT企業の経営をはじめ、ビジネスが軌道にのって借金を全額返済しました。

「IT企業は会社の成長スピードが早かったです。スマートフォンのアプリ事業では、大手芸能・音楽事務所や行政とタイアップしたり、バイク会社と組んだりと多業種を担当しました。1日の中でも全く別業界の人達とどんどん話をしていくので、脳みそから煙が出るぐらい忙しかったです。

会社規模はどんどん大きくなって一気に事業案件も複数獲得できました。1日で打ち合わせが10件ある日がザラにありました」(さかもとさん)

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軌道に乗ったIT企業をやめ、介護職を志したキッカケ

しかし、さかもとさんは20代前半から20年間ほぼ事業を続けてきて、毎月借金の返済や社員の給与を払うのに追われる日々の中、眼の前の現実だけを見て、自分自身について視野が狭くなっていることに気がつきました。

IT企業をはじめてから事業はどんどん成功するものの、自身の目的や目標を見失い、このままの人生でいいのかと思うも、誰にも相談できない日々が続いた、さかもとさん……。

株主や社員多くを巻き込み無責任だという気持ちもありましたが、このまま5年、10年続けてもモチベーションが保てないと判断し、結局、株を全て売り代表取締役を降りて、後継者に事業承継しました。

43歳で無職になったさかもとさんでしたが、ある報道がきっかけで介護職に出合います。

それは、「2025年介護職38万人が不足する」という強烈なワード。さかもとさんは、今までの人生で無縁でしたが介護業界ってこんなにやばいのかと衝撃をうけたのと同時に、自身の人生の残りの時間をかけて働きたいと思うようになったといいます。

「介護業界はまだまだ未成熟でチャンスが無限にあると思い、面白いと感じたんです。60代まで残り20年を賭けてもいい業界と思いました。今までお金を稼ぐことばかり考えてきたので、もうお金もうけは考えていません。私の働き方によって介護業界の人材不足が少しでも解消されたり、介護職の法律が変わったりするよう一石を投じたいんです」(さかもとさん)

さかもとさんは、介護職の勤務形態についてパート介護士を推奨しています。

なぜパート介護士で働くことをおすすめするのか、経営者視点でお話してもらいました。介護業界に一筋の光が差すような後編記事〈介護業界の人手不足解消の切り札?正社員ではない「パート介護士」という働き方の「意外な可能性」〉、ぜひ最後までお読みください。
 
奥村シンゴ
宝塚在住。「ヤングケアラー」、「就職氷河期ケアラー」、「ひきこもり」を経験。現在、介護・福祉担当ライター、関西経営管理協会講師、ケアラー・ひきこもり伴走支援団体「よしてよせての会」代表を務める。NHKおはよう日本、読売新聞などメディア多数出演。
​著書『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』国際ソロプチミスト賞受賞者。
ツイッター @okumurashingo43
 

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