■「原発があったらどうなっていたか…」珠洲市・能登半島地震 | タマちゃんの暇つぶし

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講談社:2024.03.07「原発があったらどうなっていたか…」珠洲市・能登半島地震で倒壊した寺の坊守に聞く「再生から生み出されるもの」より転載します。
 
貼り付け開始、

https://gendai.media/articles/-/125331
 

再生への思いを確かにする人たち

能登半島地震から2ヵ月強が経過した。市町の1次避難所やホテル・旅館などの2次避難所には今も約1万1500人が避難し、県内外の親類宅など避難所以外には約1万2100人がいて、復旧への道のりは遠い。

もともと能登半島は人口流出に悩む自治体が少なくなかった。半島先端に位置する珠洲市は、人口約1万1500人で本州の市では最も人口が少なく、65歳以上が人口比の50%以上を占める限界自治体だ。

地震発生以降、これまでに240人が市を離れ、先行きに“暗さ”が漂うなか、「さぁ、ここからだよね」と再生への思いを確かにしている人がいる。浄土真宗「乗光寺」の坊守(住職夫人)、落合誓子さん(77)だ。


浄土真宗「乗光寺」坊守の誓子さん、住職の落合治夫さん、副住職の紅さん(左から)

珠洲原発の建設反対運動に参加し、市会議員も務めて2003年の「凍結」に追い込んだ。その過程を描いた『原発がやってくる町』(すずさわ書店)という著書もある。「震源地は原発予定地の近く。もし建設されていたらと思うとゾッとする」という落合さんに、過疎をますます進行させる震災から、珠洲をどう復興させるかという思いを聞いた。


――乗光寺は約500年続く古刹で、住職を夫で23世の落合治夫さんが務め、娘の紅(こう)さんが副住職。3人でお寺を維持されるとともに宿坊(旅館)も運営されていました。被害状況はどのようなものでしたか。

「山門は倒壊、本堂も柱がすべて傾き全壊状態です。現存する珠洲で一番古い木造建築の鐘楼も大きく傾きました。幸い自宅は倒壊を免れ、宿坊部分は大丈夫だったので、こちらで生活はできています。電気は復旧しましたが水道はダメで給水車に頼る状態。ただ、過去の災害から洗濯の必要性は感じていたので、境内に井戸を掘り、うまく水流に当たったので、フェイスブックで募金を呼び掛け、洗濯機を購入して地域の方に利用してもらっています。時短営業でスーパーも開店し、とりあえず日用品に事欠くことはなくなりました」

原発があったらどうなっていたか

――珠洲原発は、関西電力が市内の高屋地区に、中部電力が寺家地区に各100万㎾級の大型原発をつくる計画でした。著書では何度も懇談会やシンポジウムが開かれて専門家が安全性を訴えるシーンが描かれています。

「シンポジウムでの講義内容はいつも同じような話でした。『地球の温室効果を促進して酸性雨を降らせる火力発電より、放射能はあっても環境に優しい原子力発電を選ぶべき。また、地元にもたらされる経済効果も期待できる』というものです。

(珠洲は)岩盤が固く安全性も優れているとも言ってました。とんでもない話だったわけで、もし建設されていたら大惨事になっていたかも知れません。震災後、みんなが集まると反対運動の頃に戻り、『良かったね』『運動は間違いなかった』という話になります」


フェイスブックで資金を募り、設置した洗濯機

――一方で、全国に先駆けて過疎が進行しています。1954年、市政に移行した際の人口は約3万8200人でした。今はその3分の1以下です。原発とは違う形の産業振興はできなかったでしょうか。集会などで賛成派から『反対するなら(原発に替わる)代案を出せ』と攻撃されていたようですが。


「確かに、そこは大きな問題で、地域振興と活性化は課題です。ただ、原発を建設したら地域が活性化するものではありません。工事関係者とその人達向けの飲食やサービス業は賑わうでしょうが、工事が終ればそれまで。原発が地域振興につながるものではない。残念ながら珠洲は人口減が続く日本社会の縮図であり、それを止めることはできません」

ゼロから始まる再生の場

――石川県は仏教が県民に根付いており寺院の数は多く、都会より寺と檀家を中心とした地域住民との一体感があり、信者数も多い。乗光寺は洗濯機サービスや炊き出しのボランティア活動も行っており、復興の起点のひとつにもなっています。

「ここまで壊滅的な打撃を受ければ、あとは立ち上がるしかありません。具体的に、どう復興させる、何年後にどう再建していく、といった将来設計より、まず必要なのは『今、ここから始めよう』という意欲であり覚悟です。

それはひとりでもできること。ひとりが前向きに立ち上がれば、ひとりふたりと人が集まってきて“何か”が成し遂げられる。そんなイメージでしょうか」


倒壊前の乗光寺山門

――石川県は「真宗王国」と呼ばれるほど浄土真宗系の寺院が多いところです。『ここからの再生』という意思と意欲に宗教的な背景はありますか。

「私の中に宗教が根付いているという意識はありますね。(浄土真宗の本尊の)阿弥陀如来は人の形はしていますが、実態のあるものではなくある種の概念です。阿弥陀とは、インドのサンスクリット語で量りなき命(無量寿)、量りなき光(無量光)を意味します。

極端な話、私がひとりここに残っても、私が命と光(知恵)をつないでいけば何かが生まれる。実際、境内にはいろんなナンバーの車が止まり、ボランティアを含めたそんな人たちと2ヵ月を過ごしてきました。今は、誰が被災者かわからないほど混じり合っている。新しい何かが生まれているのです」

 過疎の限界集落を襲った大震災――。悲観的な見方をすれば過疎を進行させる打撃だが、一方で「ゼロから始まる再生の場」でもあり、そうして人間は歴史を刻んできた。過疎から生まれる「何か」に期待したい。
 

貼り付け終わり、