喪中はがき その二 | たまご寒天のブログ

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テーマを選ばず思いついた事をそのつど書き込みます。
好きな作家は藤沢周平さんです。
歌手羽山みずきさんのファンです。

こちらの町でも11月半ばからコロナの感染者報告が続き、買い物などで街中に出ても、何となく人々の緊張感が強くなった雰囲気を感じます。

 

今日は年賀状の印刷をしておりました。

いつからか、自分なりに背景や文案を毎年考え、自作の年賀状を印刷して送るようになりました。

 

最初はプリントゴッコなんてのも使ったことがあります。

 

いまは、性能の良いインクジェットプリンターも安く手に入るようになり、無料の素材もネットに出回っているので、同じようにご自分で作成される方も多いのではと思います。

 

印刷だけだと味気ないので、一言ペンで書き添えるようにしております。

 

昨年は、母が亡くなったので喪中はがきを年末に出しました。

年が明けてから、寒中見舞いを転居のあいさつを兼ねて送らせて頂きました。

 

年賀はがきを出すのは2年ぶりになりますが、こちらの町の紹介を兼ねて、町の景色を写真に撮ってはがきの一部に印刷しました。

 

 

さて、先日喪中はがきの記事の中でも紹介しましたが、京都で仕事をしていた時の同僚が、67歳の若さでで亡くなったとの喪中はがきをいただいたので、奥様宛にお悔やみの手紙を差し上げました。

 

奥様とは面識は有りませんでしたが、お悔やみの言葉と、数十年前にご主人と京都で一緒に仕事をしていた頃の思い出と、当時の颯爽としていた若いころの彼の姿などを綴った手紙をお届けしました。

 

そうしましたら、1昨日奥様から丁重なお手紙を頂戴しました。

 

父上の急逝により、彼は大阪船場にある家業を5代目として継ぐために、転勤先の東京本社を退職し、大阪に帰った経緯があります。

 

背もスラッと高くなかなかの2枚目で、真夏でも涼しい顔で背広をピシっと着こなしていました。

 

手紙の文面によると、彼の長い人生の中でも、京都で働いていた頃には、思わず笑ってしまうようなエピソードもあり、ご主人がいつも懐かしそうに話していたとの紹介がありました。

 

私が今年初めに出した転居案内を見て、奥様の遠縁の方がこちらの県の出身で、彼も一度行ってみたいなという口ぶりだったそうです。

 

数年前にご夫婦が相次いで病気で入院することになり、交代でお互いを看病したなどと微笑ましいエピソードも書いておられました。

彼の人柄からも、さもありなんと思い当たる姿です。

 

手紙の最後には、来阪の折にはお立ち寄りくださいとの言葉で結んでありました。

 

前々から当時の仲間と一度集まろうという話があり、そういう機会などがあれば、仲間と一緒にお伺いしてお線香でも上げさせて頂ければと思った次第です。

 

彼とは、結局数十年間年賀はがきでのやり取りしかできませんでしたが、そういえば年賀状を交わしている方々には結構そういう方が多いのです。

 

中には、一度お会いしただけという方もいるのです。

 

「その内にまた会えるさ」と考えていたら、知らず知らずに年を取り、自分の人生の先も見えてきたこの頃、何かのきっかけや機会があれば、無理にでもそういう方たちと会えるように努めようと、つくづく思った次第です。