ハートナーシングといえば、心臓の看護のこと。心と心のふれあい看護とかいう意味ではないですね。



心臓専門のナースは、心電図も読むし、心臓に関する知識はすごいなって思います。

私の感覚なんだけど、やっぱり、心臓外科とかに配属になる子は、しっかりしてちゃんとやってくれそうな子を選んでいるように思えます。


ダウン心臓外科で働きたい人も、そうでない看護師さんもぜひ、登録してみてね。条件にあった病院を紹介してくれます。グッドだよん。



さてさて、珠恵も心臓のことについて基礎からお勉強しなおすぞ。


心臓が送り出す血液の量は、個人差はあるけど、一回の収縮で70ミリリットルなんだって。

この70ミリリットルって、コーヒーカップの約半分くらい???


一分間の脈拍が70ということは、心臓が一分間に70回収縮しているということなのかな。



そうすると、70ミリリットル×70回=4900ミリリットル/一分間

も血液を送り出しているのねえ。ペットボトル1.5リットルだったら、3本強。


一時間の送り出しは、

4.9リットル×60=300リットル弱(ペットボトル1.5リットルだったら、約20本)


一日の送り出しは、

300×24=7200リットル弱



こんなにも、心臓はお仕事してくれているのね。

を見て!

こんなにもかわるんだね

イギリスの綿が日本を席巻できなかった理由

  産業革命により綿工業の生産力を高め、世界を席巻したイギリスは圧倒的な力をもっていたが、アジア市場で主導権をにぎったのは、イギリスに100年遅れてスタートした日本であった。明治初期の日本の近代工業のあけぼのをテーマとする『日本文明と近代西洋──「鎖国」再考』(NHKブックス)という名著では、「綿」の品質・用途の違いー衣服の文化の違いーのために、東アジアで日本の綿工業が主導権を握ることができたと記述されている。それは21世紀にも起こっていると筆者は言う。

 日本と欧米との食文化の違いによって小売企業がなかなか日本の市場に進出・定着できず、撤退しているのではないかと。日本の小売業の基礎は、生鮮3品と呼ばれる鮮魚、肉、野菜・果物の「鮮度と多様性と旬」であり、それらの個人商店が圧倒的であったが、1980年代に関西スーパーやサミットストアといったスーパーマーケットが、生鮮3品に特化した組織的な技術やノウハウ、早い商品回転率といったことを生み出し、対抗してきた。

この早い商品回転率志向は、世界基準ではないために、テスコ、カルフール、ウォルマートといった世界大手が日本で苦戦していると筆者は分析している。

 

 最後に筆者は、日本の買い物行動は、日々変化ある店頭、小売店での迅速な商品入れ替えといったニーズ、第二に、地域ごとに異なる食材ニーズに対応する店への要請であり、「標準化された商品の週に一度のまとめ買い」や「Every Day Low Price」を標榜する欧米大手小売企業の戦略では、そうした要請に応えることはできない。
 食文化の伝統は、まさに独自の小売業を生み育て、そして海外からの参入の天然の要塞となって守っているのであるとまとめている。(要約)


TPPが取りざたされているが、TPPに加入しても、海外参入を阻止する天然の要塞となりうるのか?それは、欧米に対してであり、もしかしたら、その要塞を崩していくのは、東アジアの他国、韓国や中国かもしれない。でも根拠はないですけどね。



「きじかな」



「あの外見が、むしろ武器になった」

 というのは、『人は見た目が9割』(新潮新書)の著者・竹内一郎さんだ。

「もし彼女が美人だったら“何かあるかもしれない”と警戒していたはず。あの外見で尽くす姿勢を見せていたからこそ信じ、“オレが助けてあげなければ”と勝手に思い込んでしまったのでしょう」

 近づいたのは女性経験が少なかったり、寂しかったりする男性で、竹内さんは木嶋被告がそうした男性を次々に見つける鋭い“嗅覚”をもっていたと見る。事実、大出さんの母親が法廷で証言した内容によると、木嶋被告について大出さんは、「彼女は太っててね。美人は3日で飽きるけどブスは慣れるし、まあいっか」などと語っていたという。



世の女性は、なぜ「きじかな」が男を手玉にとれたのか?がとても気になる。

だから、裁判の傍聴にも行きたがる。

あの外見でなぜ?

その理由を知りたいのです。


鈴のような声だから?

お嬢様育ちのおっとりしていて優雅な身のこなし?


男性を見分ける嗅覚・・・そういったものもお持ちなんですね。





ヤフー知恵袋って知ってますか?


珠恵も登録しているけど、なかなか聞きたいということはないんですが、

ヤフーのメイン画面?にヤフー知恵袋の内容が出ているときがあります。

そんなときは、コメントがたくさんでホットな話題になっているときなんですね。



今日も見つけました。


妻の日記がソファーになにげにおいてあったので、ぱらぱらめくってしまった。

その内容は、愚痴や不満だった。


「この結婚は失敗だった」「FXで赤字だ」「夫の実家の人とは最悪だ」「夏の旅行はちっとも楽しくなかった」など、で相談主の夫は驚いている様子。



うーん。

人の日記を無断で読むのはどうかと思うなあ。いくら妻のものでも。


坂本竜馬も日記には辛辣なことを書いていたというから、日記は自分との対話で、自分と正直に向かい合えば向かいあうほど、ダークな面も吐露することになると思うなあ。


私がその相談主だったら、やっぱり、妻の日記を見たということは伏せておいて、もし気になるなら、なにげなく話題をふって様子を見る、かなあ。