4年前の10/10

私は、りくりゅうを知らず

「光る君へ」も勿論知らず

よもや、中関白家一門が、令和の世に小説とは言え、平安時代よりも惨く貶められるとは夢にも思わなかった。 月は同じなのにね

 

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私(彰子)が御育てした. 主上のたってのご希望で

唯一無二の一条帝の親王である敦康の皇子。
僅か二歳で、そのご生母定子の宮様とお別れなさった、美しい皇子。

 

 

 

 

 

まひる(籐式部)が書く源氏物語で、

どんどんカンカンどこまでも清廉潔白・公平・純白道長さんが

気がつくそうです。

輝く藤壺の「彰子中宮=藤壺の宮」に、敦康親王が懸想する光君だと!

同時進行で、事象を宮中で見聞きしたゴシップ紙に、

あの源氏物語を貶めて、何が、大河っじゃああ

 

小説です

小説ですよ、小さな私的な説です、落ち着こう、まろよ。

 

2分ダイジェストでも、伊周さんの凋落ぶりが判りましたよ!

何もかも、証拠がないのに悪者にする、道長の方が病的弱者排他ではありませんか

政権争いで氏の長者になれなかったが、敗者でも臨終の時

娘には、決して宮使えはするなと矜持を示した伊周。

隆家はすり寄りませんよ、呼んでご機嫌取りをしたのは道長です。

 

少納言と式部に交流が一度でもあったなら

枕草子に記されたはず。

グチグチ日記に書いたは、定子の宮没後、

8年以上後の籐式部と呼ばれたころ・・・

清少納言に式部は完全スルーにですよ スルーです

一条帝が桐壷帝?宮中の規律を乱す「寵愛 」を批判?

ただの一女房が、今上を戒めるなんぞ、命婦の御許の位の猫さんを襲ったと、

打ち据えられた翁丸より、厳罰ぞ。

 

三条帝だって気骨のある帝です。

道長の専横と必死に戦う。でも、多分 骨抜きに描かれるでしょうね。

一条院の辞世の句の「君」は彰子になっちゃうんでしょうね。

「権記」行成君、踏ん張れや。