近況554.トップクライマー in 栃木「海外登山の集い」 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録



以前このブログでも宣伝させて頂いた、わたしが所属する栃木山岳連盟・海外委員会の1年をしめくくる恒例行事「海外登山の集い」が、先土曜に無事開催できましたので、その報告でもします。


今年の講演は①県南の単一山岳会が、多くの岳人の夢でもある未踏峰へ挑戦した「インドヒマラヤ“ザルンリ6030m”&“チョモ6360m”」のホヤホヤの初登頂報告、②日本登山医学界理事も務めているDr.上小牧氏(わたしの山岳会の先輩でもあります)の高所登山医学の基礎知識、そして③中国ミニヤコンカ山群ダッドメイン東壁の初登攀に成功し、ピオレドール・アジアのゴールデンクライミングブーツ賞を受賞されているトップクライマー増本亮氏のカラコルムK7バザルピークへの道、の3本です。




増本氏の話は、まさにアルパインとは何かという真髄が示されていたように思う。氏の素晴らしい登攀実績は、机上で組み立てられたものでなく、驚くことに海外での現場判断の産物だったのです。


まず、机上で何処其処の7座を縦走(登攀含む)しに行こう!となる。準備し遠征したのち、現地でこの縦走は無理だという判断になる。そこで代案として、自分たちが満足できる登攀ルートは何処だろうと山と睨めっこして検討する。そして新たにルートを見出し登頂して帰ってくる。


又はこういうのもある。もともとロングルートを計画して現地へ赴く。ロングルートを踏破するのは到底無理との現地判断となる。自分たちが楽しめそうな登る意義のある2座を見出す。その上でも途中で困難と判断し、1座で諦め下山してくる。結果が1座登頂だったとしても、そこは初登頂のルートだったりするから結果もついてきてるし、やっている本人も大満足して帰国するにいたる。


わたしも海外委員会に籍をおくようになり、それなりに海外登山の報告を目にするようになりました。けれど多くの登山報告が、計画して遠征し、その計画にトライした結果敗退して帰ってくるというものです。そこには現地での臨機応変な柔軟な発想が見てとれない。現地の状況がどうであれ、机上の計画をぶつけて敗退しているだけ、とも言える。


いろいろな山への取り組みがあっていい。机上の計画をそのままぶつけて敗退するのも山なら、取り付く前に無理であると判断して、別の成果をあげるというのもまた山なのだから。そこに上下の差はない。


大事なのはそのバランスなのだと思ったのです。アルパインの真髄というからには、先鋭的登山が念頭にあるわけですが、その心意気はなにも先鋭的である必要はない。自分で考えて自分でルートを見出し、誰かが作ったトポに頼ることなく登ってみる。有名だから登るのではなく、登ってみたいから登る。そこに無謀な挑戦、限界を超えるクライミングが入り込めば、死も想定しないといけないけど、自分の力量を正しく判断できさえすれば、そのルートの見出し方もあながち間違わないのかもしれないし、そこは難しいルートとは限らない。


自分の力量を正しく判断し、登りたいルートを完登するにはなにが足りないのかを明確にできる人が死なずにアルパインを楽しんでいくことができるクライマーであるということなんだ。方向性や難易度は様々あれど、そこに挑戦という二文字は絶対についてくる。


増本氏も最初はクラシックルートから入り、国内冬季登攀で練習して、そこから海外へと出て行かれたそうだ。冬壁を始めたばかりのわたしの立ち位置も、世界へ繋がっていると思えば、やる気もでるというものです。先鋭的な登山は、年齢とともに卒業しなくてはならない時期がくるけれど(わたしなんてのはそもそも始めることすらできないかも)、アルパインクライミングを楽しむこと、挑戦することは、どんな年齢でもできるはず。例えば、樋口講師の未踏峰2座登頂。ザイルを出さなくても、そこには未踏峰への挑戦がありました。




集いの後の懇親会でも、2年前のチュルーで遠征した仲間達と話すことができ、また3年後の70周年にむけて、夢を語らうことができました。次いつ海外にでれるかは分からないけど、行ける意識で準備していきたい。と、そんなこんなモチベーションを高められた集いなのでした。参加された皆さまのハートにも少しでも火をつけられたなら幸いです。


来年もより一層楽しめる集いを企画しますので、是非またのご参加を宜しくお願い致します。ありがとうございました。