近況546.その刹那、メランコリー | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録



富士山に篭もっていた妻を迎えにいった帰りの道中、設営されたサーカスのテントを発見して「こういうサーカスはもう古いね。今の御時世、サーカスといえばシルクドソレイユ~」と発言したわたしに対して、妻は「わたしはこういう昔懐かしいサーカスが好きだ」と返した。これが発端。数ヶ月後に、宇都宮に偶然56年ぶりにやってきたという木下大サーカスの公演に夫婦で足を運ぶことになった。


わたしのサーカスの記憶といえば、この木下大サーカスだけで、1980年の横浜公演を観た記憶がある。小学校に入ってもいない時分だったけど、バイクが球体の中を重力無視して垂直に走っているのは単純に興奮したものだ。


しかし、こういう懐かしいサーカスの風景を原風景のようには思わない。サーカスは陰と陽の双方を兼ね備えている時代の産物であり、それはまるで重工業時代の産業排気ガスや騒音に近いような印象をわたしは持ってしまっている。


観賞当時のわたしがそこまで感じたかは憶えていないのだが、まあたぶん感じなかったのだろうけれど、今の御時世、子どもを喜ばせるためにサーカスを見せたいかと言えば本当のところ見せたくはない。


現代のエンターテインメントを考えると、あまりに比較するものが多すぎて、こういったサーカスの陽の部分の輝きは風前の灯火のよう感じる。結果的に目立つのは陰の部分で、奇跡の「ホワイトライオン猛獣ショー」中、ずっとわたしたちのほうを見つめていたライオンの悲しそうな目。二足歩行という素晴らしい芸を披露してくれた象の死んだような目。子どものころには興奮して記憶にまで焼き付いた「オートバイショー」ですら、テント内に充満した排気ガスをかぐと、なんとも嫌な気持ちにさせられてしまった。


数々のアクロバットは、英グラスゴーで開催されていた世界選手権の内村航平の足もとにもおよばない。別にこんなこと書きたくて書いてるわけじゃないんだけど、もはやそういう現状にサーカスはおかれているし、そこには挫折や孤独や生きていかなければならないという普遍的な苦労、つまりお金払ってみたくないような現実感しかそこにはなかった。


わたしが学生時代に「サーカスを見ていない人間にサーカスの演出をつけることはできない」と説いた某人がいたが、それは陰と陽が混在した閉鎖的なショーのあのなんとも言えない、そうだなあ、サーカスを形容するなら何だろうか、うーん、悲哀とでも形容できましょうか、ともあれ、サーカス集団というのはプロのようでいて実はプロじゃない人間の集団の奇妙な出し物。必死に生きている結果がそこにあるだけで、サービスレベルとしては、年間120万人も動員していると聞いても信じられないようなレベルな気がする。


公演の合間にプログラムを売り歩いている団員の子の表情を妻がみて「もっと笑顔で売り歩けないものか」と言った。それにつきる。ファンタジーや夢を売るなら、たったの2~3時間、テントの中でだけでも騙しきるくらいのプロ根性はないのか。動物がどうたらとか、悲哀がどうのとか書いてしまったけれど、つまるところ、プロらしいサービスを提供して欲しかったってことなのかもしれない。


まあしかし、こういう陰と陽が雑然とうごめいているような情感が顔を覗かせる場所であるからこそ、ある意味では、子どもはそこから敏感になにかを感じ取り、社会を知り大人になるのかもしれない。ならば、いずれ消えゆくであろう昔ながらのサーカスを、この年齢で再確認できたのはいい機会だったと思う。


と、なんとも言いようのないことを書いてしまったが、外国人2人のアクロバット「決死の空中大車輪」は、素晴らしい演目でした。大人のわたしでもハラハラさせられて、そういう尊敬にあたいする見るべきものもちゃんとあります。でもね、演目のほとんどは、1980年横浜開催時とたぶんだけど、たぶんだけど、あまり変わってないと思う・・・35年前とほとんど同じなんて・・・びっくりぽんや(おわり)