穂高岳CC@2~3日目下山編 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

4.2日目から下山まで




テント場まで着いたら体と相談しました。強い衝撃を受けた後、体は動かなくなるものです。テント場に着いたのは正午過ぎ。この日の内にできるだけ下山しておくという選択肢もある。このまま動けなくなれば涸沢にいても誰かしらに迷惑をかけてしまう。


しかし、わたしの出した結論は明日下山でした。体と相談した結果、体は動かなくなるだろうが、明日の下山に支障を来さないと読み解いた。今日無理してまったく歩けなくなる可能性のほうを恐れた。いま必要なのはいち早くの安静だろう。明日の朝までの18時間、わたし回復に努めることにした。


まず食事です。吐き気がある際は食べないほうがいいが(食べられない時は病院に直行しないとダメ)、わたしは食べられる状態だ。そこで兎に角食べる。4泊5日分の食料があるので、荷を軽くするためにも食べる。食べに食べに食べた。そして14時には横になる。手持ちのすべての防寒をまとい、熱くて寝付けないほどの状態にして、体温上昇をうながす。私的な方法論だが、個人的経験則で弱っている時は体温を上昇をさせておいて吉としている(体は既に回復しようと頑張っているので、菌的なもんとの戦いが疎かになる。そこを補うための援護射撃が体温上昇です)。


当然熱いので水が欲しい。そこでパートナーに水を1日中補給してもらっていました。脱水を起こしては元も子もありません。水くれ水くれと四六時中水をもらっていました。それでも横になっていた18時間、トイレに行きたいとは思わなかったのだから、あれでも水を取りすぎたということはないのだろう。


さて、わたしは日が沈んだ頃には寝返りをうつことも、横になった体を起こすこともできなくなりました。自分では水すら飲めなくなりました。が、それでも明日の下山はできるという判断は覆りません。


途切れ途切れでも4~5時間は寝られたでしょうか。翌朝起こしてもらい、やはり右手の機能は回復していませんでしたが、下山はできるとの判断変わらずです。体の芯というか軸が壊れていて(観念的な意味で)、各部位の連携が取れていないらしく、上半身は体にのかっているだけの重り状態。バランスが取れずに歩くのも容易ではありません。でも歩けます。下山はできます。


右手は上げられないけど、人の手を借りれば上がるので、肘やら肩やら曲げたり伸ばしたりして、出した診断は重度の打撲です。3mくらいの落下を右肩と右肘から受け止めているので、肩と肘は物凄い打ち身となり、動かなくてもすごく痛いのですが、逆に動かしたから走る激痛のようなものもありません。つまりは骨やらスジやらはやってないってことです。いろいろな部分をなで回しましたが、触ったり押したりしても特別激痛が走ることはなく、ただただ全体が常に痛いだけ。これは打撲でしかないな。


問題は夜寝ている間に、右肋骨の一部が痛みだし、笑ったり、咳き込んだりすると痛みが走ったことです。これには、折れてはないだろうがヒビは入っているかもしれない、ああ、いまだに骨を折るどころか、ヒビすら入れたことがなかったのに、残念だー残念だーと嘆いていたのですが、その痛みも夜間ほどのことはなく、治まりつつありました。してやったり!1日も経たずに痛みが引いたということは、これはヒビ入ってないでしょう!良かったよー良かった良かった。わたしから笑いを取ったら、なにも残りはしないんですからね!


こんな状況にありましたが、我々パーティに悲壮感はなく、笑顔で過ごしておりました(当然、フォローはやせ我慢の上で賢明に笑っているわけですが)。こういう時にこそ普段から培ったものを見せる時でしょう。慌てふためいてもしようがありません。しっかり分析して、しっかりとそのシチュエーションを楽しむだけです。楽しむと書くと語弊があるので味わいつくすと書きかえましょう。滝谷で滑落しても死ななかった男の称号を得てしまったという風に、この経験を糧にするしかないのですから。時間は粗末に使ってはいけません。既に次章ははじまっています。


兎にも角にも、上半身は下半身に乗っているだけですが、しっかり休養したので下りられると確信し、テントの撤収から歩荷まで完全にフォローに世話になり、わたしは1人でなんとかトイレを済ますことに成功し(30分以上かかりました)、下山の途に着きました。流石にフォローも全部は持てなかったので、わたしもある程度担ぎましたが、肩で背負えないので、腰ベルトをきつく絞り上げて下りました。良かったのはシルバーウィークの大渋滞です。涸沢へ登ってくる人、下りる人、とにかく交差するのが大変で、待つ時間が多く、それが休養となり、進みも遅いので嬉しい誤算でした。




ザイル2本にすべてのクライミングギア類を担いだわたしの妻。下山中は40㎏は超えていると豪語していましたが、帰って測ったら32㎏でした。わたしの荷物は出発時29㎏あったんですけど、辻褄合ってないか?と突っ込むも、それだけ食料が減ったということだとのこと。兎にも角にも、わたしの妻はワタワタしてなかったし、こういうときも笑顔で歩荷でき、まさに最強でした。ありがとう。


そんなこんなで、問題なく下山できました。次回、事故のまとめと経過でも書いて終わろうと思います。(つづく)