近況537.おもいもよらない夏⑥「ルートがみえた」 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

4級の沢を遡行することが叶わずとも、しょぼくれているわけにはいきません。この日わたしらも転戦した古賀志山には、いたるところから雨天転戦組が集結していてわたしを含めて所属山岳会のメンバーだけでも6名になっていたので、それならとわたしは1人マルチピッチルート(3級4級の2ピッチ)でソロクライミングの練習をしてみることにしました。


因みに、ソロクライミングのシステムで登るのは、簡単な3級といえど初めてのこと。何故そんなことを思いついたかたといえば、4級の沢に行けずに停滞してしまった今週末の分の成長を補うなにかをこの日掴んで帰りたかったからだというのもあるにはあるけど、それだけじゃあない。


この前、一ノ倉沢烏帽子沢奧壁中央カンテで、本ちゃんの登り返しをしなければならなくなり、別に登り返しの知識はあるし、足ブラでも実践練習していたのだから、登り返しを始めるまではなんてことはないと思っていたんです。でもいざ一ノ倉で登り返しをやってみると、これが思うようにいかない。なんでかというと、一ノ倉のザイルがダブルだったから。何度か練習していた登り返しの実践練習はシングルだった。


いやね、別にダブルでもシングルでもやることは一緒なんですよ。でもね、ダブルロープがね、こうね、クルクルと交差してしまっていてね、そうなるとじつは登り返すのが容易じゃないんだ。別にその時のリードがザイルを交差させながら登ったから悪いってわけじゃありません。リードは必死な思いでわたしがルートミスして目の前に立ちはだかった垂壁を、壁にはりつきながらハーケン打って登りきってくれたわけですからね。ザイルの交差なんてフォローが不平を言っちゃ絶対いけないの。フォローはなにがあってもリードのいる場所にたどり着かねばならないという宿命を帯びているのです。


だからね、垂壁でね、ピンピンに張っているダブルが交差しまくっていてね、登り返しが本当に難しくて泣きそうになってもね、それはわたしというフォローのフォロー力が足らなかったということでしかない。


でも下山した後に考えると、その泣きそうな状況だってもう少し上手くやれた気がするんです。つまりはそういうシチュエーションが存在するのは決まりきっていたのに、登り返しの実践練習をシングルでのみやってきて、ダブルでの練習も必要なんだと思い至れなかったことこそがまあ問題だったわけだ。1度練習していれば、交差をゆるます方法とか現場でも気付けたと思うのです。


でだ、頭にある知識や技術ってのは必ず1度くらいは実践されてしかるべきだと思ったわけです。それはもう必ず、必ず実践しておいてしかるべき。知識のまま頭に詰め込んで山に持っていっても、いざその技術を披露する段になって、ああ練習しておけば良かった。こんな些細なこと1度練習しておけば気付けていたのに~と、まあそういうことになると反省したのだ。


わたしはソロクライミングのシステムを知識として持っているのに、その練習をしたことが今まで一度もなかった。で、上記の通りで一度くらいは練習しておこうと、ようやく冒頭の話しに繋がります。



ソロクライミングのシステム詳細を記すことはやめておきます。失敗すれば死ぬシステムの話しです。責任をもてないのでネット公開は控えます。まあ登り返す方法と登り返す必要のない方法があると思うんですが、その2つと、登り返さない方法の自分が頭の中で考えていたバージョン、この3通りを試してみました。


まず言えることは、自分の考えていたバージョンは欠陥があった。ほら見たことか。実践しなければ気付けないことってあるんですよ。やって良かった。


さらに気付けたのは、ソロクライミングのシステムおっかねえということです。ソロクライミングのシステムの場合、落ちれば大抵落下係数が2です。それはクライミングでリードしている時は大抵2なわけだから同じなはず、でも何故か段ちでソロシステムのほうが怖い。クライミング始めて1度だって落ちていない3級ルートですらソロシステムだと慎重に登らざるを得なかった。


とても疲れます。つまりクライミングはメンタルで登るということを再認識できたのです。よくナチュプロになれていない仲間が自分で決めたカムナッツは怖いという。そんなこたあないだろと思ってましたが、そんなこたああったんだよな。ようは自分の技術に自信を持てるかどうかが、体の大きな動きとなり、本来のポテンシャルに繋がるわけ。


ソロが初めてだから、問題ないシステムを構築していたとしても、信用できないから体が動かない。クライミングに必要なのは技術への信頼感、信頼できるだけの親密性と見つけたり。ボールは友達怖くないの理屈と一緒でした。これはソロでなくても同じでしょう。練習に練習を重ねて自信を持てば、より自由に登れるようになると、そういうことです。


さて、2ピッチを×3(登り返したから4か?)をしただけでしたが、なんと4時間以上かかってしまいました。精神的にバテにバテました。。


で、午後に仲間と合流してルートクライミング。本当はこの日始めて古賀志山のマラ岩というエリアで登ったのですが、バテバテでなんの感慨もなかったので、その話はスルーして、いつものエリアに戻ってからの話しをします。


この日はもう3級ルートで体は出来上がっていたので、死亡遊技(5.11a)をやろう!という提案をしました。いやね、この前里帰りに帰ってきた仲間が斯く斯く然然で、死亡遊技は2ピッチ目までは制限気にしなくていいってことになったんですよ。それなら登れるんじゃないかって~


師匠「いや、○○くん、そんなこたあないだろ。出だしから制限はあるよ」


たま「いやいや、でも仲間が・・・」


師匠「なら、そこに死亡遊技を作ったセッターがいるから聞いてみよう」


たま「へ?なんですか?セッターがいるって?へ?」


なんと隣で死亡遊技のルートを作った小菅さんがいるのだった。しまった師匠にこんな話しするんじゃなかった。制限無視して登ってRPと言っちゃえばそれで良かったのに~



小菅さんはわたしが聞きたくなかった、上から下まで制限だらけである旨を丁寧にも教えてくれたのでした。ようは死亡遊技の正しいルールはこうだ。出だしから右フェイスはOKも、クラックに足を突っ込むのは禁止。当然クラックより右側に足を置くなんてもってのほかだ。中間部の下のクラックは横になるまえ、クラックの走り始めの縦のクラックも足を使ってはダメだそうな。そして、上部のバランシーなところは左に逃げてはいけません。とのこと。


滅茶苦茶やないか。折角登れそうだと思ってたのに!こんな制限だらけとはね・・・とほ~


なんの気無しに今年中に落とせるような気がしていた死亡遊技(5.11a)はまたわたしの目の前からひらりと飛び立ったいってしまったのでした。。ああああ、ううう


がしかし、そんな制限の中、仲間が完登したのでした。その死亡遊技を!「やったー、これで憧れのイレブンクライマーだ~」っと最高の笑顔を見せています。イレブンクライマー誕生の瞬間を見せつけられたら、こっちだってやる気にならざるを得ないでしょう。おれだって今年中に落としてやるんだからね!プンプン


さて、そんなこんなその日のクライミングを終えて、翌日の山行の準備をします。翌日はトレランで山に入る予定です。がしかし、またもや雨天で仲間が古賀志山に集結するとの連絡が飛び込む。トレラン予定山域も雨。雨でも走ろうと思っていたが・・・、15日、19日、22日と何の因果か古賀志と向き合ってきた。この際だ、明日も古賀志に転戦だ!(⑦につづく)