近況538.おもいもよらない夏⑦「雨降って地固まる」 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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流れは思いもよらずに古賀志山へ。15日に本年5回目の古賀志山入りをしてから、19日、22日と続けて入り、結果23日もトレラン予定から転戦して古賀志山でクライミングになりました。わたしの夏は古賀志山とともに終わるようです。


まあでも2つの台風が猛威を振るう天気図を眺めるにつけ、そんな予感もしていたので、素直に流れは古賀志山だなと切り替えることはできました。


今からわたしがこのシリーズの最終話としてダラダラ書くことは、わたしが今年クライミングの練習をほとんどしてこなかったことに起因しています。冒頭にも書いたとおり、15日で5回目の古賀志山。今年は他エリアでも登ったと言えるのは、松木ジャンダルム、烏帽子沢中央カンテ、マチガ沢東南稜、朝日岳東南稜、あとはGWの北鎌かな。こんなもん。クライミングはじめて以降もっとも登ってない年と言っていいでしょう。


ジムも週1回ペースで、7月末の時点で34回。その内ロープを出したのは2回と来てる。本当に今年は自然・人工を問わず、クライミングをもっともやってこなかった年なのです。


しかし、わたしはこの日、来てそうそう死亡遊技(5.11a)を落とせる予感から、ウォームアップなしで死亡遊技に取り付きだし、この日の5回目のトライでRPすることに成功してしまうのでした。


さてはて、これでわたしは人工壁・自然壁双方で5.11aを落としたことになったわけです。だけど、時間が経って訪れた感慨は、これでイレブンクライマーだ!という喜びや初級者を卒業できたという安堵ではありません。5.11aを落としたところで、わたしはわたしであり、落とす前も落とした後もなんら変わっていないのですから。


ドラクエよろしくベホイミを覚えた的なレベルアップをしたのなら、これで竜王のダンジョンのかなり奥深くに行けるようになったぞとワクワクできたかもしれないけれど、単に現状の自分の力量が客観的にしめされただけでしかなく、自分の中でのまだまだ感は半端がないまま。


そして思う。そもそもなんで今のわたしが自然壁の5.11aを落とせてしまったのだろうかと。わたしは上記で書いてきたように、今年はほとんどクライミング練習をしてこなかったのだから辻褄が合わないじゃないか。


2012年にクライミングを始め、人工壁5.10bを登ったところで行き詰まり、ボルダリングも真面目にやるようになり、グレードは4級、自然壁の最高グレードは5.10a(こん時は本当に嬉しかった)。


2013年にはジムの年パスを買って週3通い。人工壁グレードを5.11aまで上げて、ボルダリングは3級を1つ落とし、自然壁のグレードは5.10b


2014年はジム通いはあまりしてなかったけど、ボルダリング2級を3ルート落とせて、自然壁は5.10c。人工壁ではロープはほぼ出さなかった。


そして2015年。人工壁はほぼ触っておらず、ボルダリングも週1程度。自然壁のルートクライミングも8月登り出すまでは4回だった。これでなんでずっと行き詰まっていた5.11aを落とせるということになるのか。


死亡遊技に始めて取り付いたのはジムの年パスを購入してクライミングの練習に一番真面目に取り組んでいた2013年だが、その時はワンテンで跳ね返され最後まで登れず終い。2014年はそのワンテンでも登れなくなった。


なのに、もっとも登っていない今にして落とせるなんておかしいでしょう。これを理屈付けずに喜ぶことなんてできない。で、こういうウダウダ話に付き合ってくれる仲間と話していると、やはりスポートクライミングというのは安全性が保証された中でのクライミングであり、結果登りに集中できるわけなんで、そこでグレードを上げていくという行為は、ある意味ではルートを記憶し、必要なムーブを習得するだけの世界だということ。


逆にそういう意識で練習していかないとグレードが上がっていかない。当然わたしにはそんな意識は毛頭ない。現に人工壁ではじめて5.11aを落とした2013年の後、今に至るまで5.11bのルートに取り付いたことすらないのだ。わたしはグレードの更新こそが山屋の成長に繋がるものではないという構図にモチベーションを維持することができなかったのかもしれない。


そして人工壁で5.11aを落とした翌年、自然壁に専念します。でも何度となく通っても5.10c止まり。それもそのはず。自然壁もグレードの更新こそが山屋の成長ではないわけだし、自然壁で求められていることもまた、ルートの記憶とムーブの習得といった人工壁に求められていることとなんら変わらなかったのですから。わたしはそういうのが向いてないんだと思う。


因みに、2014年にボルダリングのグレードを2級まで上げられたのは、偶然でしかなく、落とした2級3ルートはすべてスラブだったし、人の靴を借りて落としたものなので自力ではありません。わたしのボルダリング力は高くみつもっても3~4級あたりでしょう。


で、じゃあなんで練習もしていないわたしが突如として自然壁5.11aのRPの鐘を鳴らすことができたのかといえば、それはやはり山屋として修行してきたことの成果が生かされたのだと思います。つまり5.11a程度ならスポートクライミングの練習をしていなくても落とせてしまうのかもしれないという事実です。(大袈裟に言ってしまえばですが)。


高グレードを登れるからと言って危機管理能力が高いとは言えません。うちの会にもわたしなんて手も足もでないようなグレードを難なく登るのに、山では危なっかしくて見てられないというような仲間はいます。こんなことは今のクライミング新時代の御時世では自明の理。登れるグレードを更新していくことと危機管理能力を高めることはまったく比例していないばかりか、そもそもグレードの更新は危機管理能力という要素にはなんらの影響を与えていません。わたしは逆もしかりと思っていましたが、どうやらそこがそうじゃないんじゃないかということに今回気付いた。


つまり危機管理能力を上げていけば、グレード更新にも繋がるという事実だ。


わたしが今年やってきたことと言えば、①本当に登れるのか記録のない厳冬期の赤岩滝の登攀だったり、②松木ジャンダルムの厳冬期登攀だったり、③磐梯山東壁の雪壁登攀だったり、④いろいろな沢登りでトポでは巻けと書いてある滝にルートを見出し、直登してみるという試みでした。


そういうグレードとしては高くない数々の登攀経験が、わたしをスポートクライミングのグレード更新に導いたのだと結論付けたい。


そして、今シーズン頑張ったアイスクライミングの影響もあるかもしれない。今年は6級の氷柱に取り付く機会を得られたのですが、トップロープですら3度目でようやくトップアウトというヘタレぶりでした。でもあの時、クライミングは如何にして楽に登るかでしかないのだという確信をもてた。


その確信をもとに、雪壁登攀、滝の登攀に挑みながら、やはりわたしはずっと如何に楽して登るか、如何に核心から逃げるかしか考えてこなかったように思う。それはルートクライミングでも同じで、わたしは今では逃げることばかり考えて登るようになっている。死亡遊技の制限に拘ったのも、なんで危ない制限に縛られなくちゃいけないんだというところから始まり、制限があるならあるで、その明確な線引きが知りたい。そのルール違反の線引きが分かれば、わたしはルールの範囲内ギリギリの楽な手段を用いて、死亡遊技を登ってやるぞと考える、で登ったわけだ。


そこには、死亡遊技をねじ伏せたわけでもやっつけたわけでもないわたしがいるのです。過去の自分との意識の違いが、わたしに自然壁5.11aのRPをもたらしたのではなかろうか。


わたしが書いているのは、ボルダラーやフリークライマーに向けてではなく、自分はアルパインクライマーになりたいと考えている人や、強い山屋になりたいと思っている人に対してだ。やっぱ強くなるには山に入るしかないんだよ。そりゃそうだよ、日本のすげえグレード登っているようなトップクライマーも、その登るクライミングルートだけではなく、すげえ山行もやっている人が多いからね。


自分を理想像に近づけるための一手段であるはずのクライミングやらなにやらのグレードの更新に翻弄されて、結果的に山という危険な場所に入ることを疎かにしてはいけない。わたしが年パス買ってジム通いにやっきになっていた時がそうかもしれないし、自然壁のゲレンデに週2で通っていたときもそうかもしれない。そして、今夏の目標に掲げていた4級の沢を遡行するという4級という数字に拘り続けた、数週間前の自分もそうだったのだろう。


数字に囚われていると怪我のもと、事故のもと。わたしも今夏、成長したいがあまり、手段であるはずの沢の遡行グレードに囚われ、数字のマジックにはまっていた。雨が続き、無理くりの4級沢遡行は中止となり、古賀志山のクライミングが続いた。いまとなっては5.11aを落とさせてもらった古賀志山がわたしを導いた気がしてならない。


なにを隠すこともない、古賀志山は、わたしの山人生の中で、ターニングポイントが訪れた時には常に祈願しに言っている守り神でもあるのだ。今回もきっといい感じに依怙贔屓して目をかけてくれたに違いない。


今年はおもいもよらない夏になったけど、想像以上の収穫があった。休日雨天3連発すべて古賀志。これをターニングポイントにして、また次へ繋げていきたいと思います。考えてみると、中央アルプス全山縦走を敗退していなければ、この流れはなかったのかもしれない。そう考えるとなにがどう転ぶかは最後までわからないものです。取り敢えず、よい夏でした。ありがとう。(おわり)