Night Runner Report Vol.13「ウルトラマラソン出場記」 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

たまのブログ


NESチャンピオンシップ・ファイナリストの称号をひっさげて、昨年9月、わたしはウルトラマラソンにデビューしてきました。選んだ大会は地元栃木の陶芸の里・益子で開催されている「城内坂ウルトラマラソン(100㎞)」です。栃木県民ランナーとしてこの大会を完走しておかなければ、なにをか言わんやであります。


しかし、残念なことにこの城内坂ウルトラマラソンは、日本でもっとも厳しいウルトラマラソンとまで言われている大会です。というのも、この大会10㎞を10周するのですが、その1周の高低差が230mもあるのです。高館山という山を越えねばならず、それを×10走るので、累計標高差は2300m!100㎞で2300mの標高差を走らされる大会なのです。んな阿呆な大会があっていいのでしょうか? でもそれは現実にある、しかも地元に。逃げるわけにはいかんでしょう、あーしかし如何ともしがたい。


後日談ですが、フルを2時間30分台で走る知り合いのランナーの方から聞かされたところ、城内坂に出場して故障したランナーは数限りないとか。「城内坂ウルトラマラソンには出ないほうがいい」というのは有名な話しなんだそうです。ようは生半可な大会ではないのです。その大会をわたしはウルトラマラソンデビューの大会に選びました。本大会出場以前に走った最長距離は北丹沢耐久の44㎞(トレイル)です。ロードだとフルマラソンの42.195㎞が最長記録。こんなわたしにロード100kmなんて完走できるもんなんでしょうかね?ワクワクしますな(笑)。


しかし!しかしですよ!なんと驚くなかれ、わたしはウルトラマラソンを走り終えた今、皆さんに向けて何も書くことがないのでした(がーん)。正直な話し、はじめて上野原完走した時や、道志村の第1関門で跳ね返された時のほうがよっぽど辛かった。なんで、こんなことになってしまったのだろう。順をおって紐解いていくしかあるまい。


わたしはこのウルトラマラソンを完走できませんでした。残念なことに台風が上陸して、わたしが9周目(90㎞)を走り終えたときに大会が中止になってしまったのです。だからリタイアしたわけでも制限時間にひっかかったわけでもないのに、完走していないという、なんとも中途半端な90㎞までしか記録されていません。これぞ天の悪戯以外のなにものでもない。


まあでも、人生には流れというものがちゃんと用意されていて、この大会中止にもわたしは自然に納得することができました。つまり、天がわたしにもう一度ウルトラマラソンに出なさいと言っているわけです。はじめてのウルトラ、しかも城内坂で辛い思いもせずに完走していたら、わたしは間違いなくウルトラに2度と出場しなかったでしょう。しかし結果は完走できなかったので、わたしの性格上今年も出るほかなくなった。なんつうか、人生って上手くできているよなと思う。わたしは望んでないのに必然的にそういう次に繋がる方向へ導かれていくのだ。もう馴れっこだけど、つまり好きで辛いことを選択しているわけじゃないってことが言いたい。


閑話休題。城内坂ウルトラマラソンは、制限時間17時間を目一杯使いたい人は3時にスタートです。つまりわたしみたいな鈍足ランナーは夜明けから走り始めて日没後にゴールするわけですね。なんというか尋常ではありませんよね。でもそんな風には当日のわたしは思ってなかったね。単純にワクワクしてた。


●1周目(10㎞)通過タイム1時間11

暗いし景色も楽しめないので流した感じ。当然飛ばす気はないから、スローペースを維持。ウキウキしながらの走り出しだったかな。こんな峠10周も走りたくないよ!うひょーみたいな具合で。(トイレと脱いだ上着を車に戻して10分休憩)


2周目(20㎞)通過タイム2時間23分 rap1時間12

日の出を拝み、念願のゴール地点のエイドがオープンし始める。日本一過酷とされているウルトラだけに、日本一を標榜するエイドステーションが用意されている。1日中多種多彩なものが食べられるそうです。朝一でなにも並んでないテーブルに最初に登場したのはうどんでした。さっそく頂きます♪(トイレと食事で10分休憩)


3周目(30㎞)通過タイム3時間4356秒 rap1時間20

気温も上がってきて気持ちよくなってくる。フルマラソンには30㎞の壁があるけど、毎周回ゴール地点で10分休んでいるから、まったくそういう感じはない。疲れとかも一切なし。まだまだ余裕~♪3周目のゴール地点通過時には、うどんの隣にしるこが並んでいた。当然頂く♪(トイレと食事で10分休憩)


4周目(40㎞)通過タイム5時間5分 rap1時間22

これでおよそフルマラソンと同距離を走ったことになる。このタイムに2.195㎞分足したら、5時間18分くらいかな。その内40分は休憩しているわけだし、そのくらいのタイムだとフルと同じ距離走ってもまったく疲れませんね。足腰もまだまだ大丈夫だった(まだ半分走ってないから、ここで痛くなられたら困りもんだが)。1周ごとに10分休憩を入れる作戦は大成功しているようだ。流石おれとここで一度だけ褒めておこう。4周目ではしるこの隣におにぎりが並んだ。2個頂く。(トイレと食事で10分休憩)


5周目(50㎞)通過タイム6時間32分 rap1時間27

これで半分走ったことになる。50㎞で6時間30分なら上出来。制限時間は17時間だから余裕にみえるけど、基本毎周回峠を越えているので、徐々に急な登りは走れなくなっている。時間的余裕はそんなにはないとみて吉だろう。5周目ではおにぎりの隣にカレーが!!当然頂きました♪(食事で10分休憩)


6周目(60㎞)通過タイム8時間24分 rap1時間52

やっぱりここらへんから未知の距離だよね。足首下に若干の痛みが出てくる。でもあまりにもスローなペースで走っているため辛いと思えるほどのこともなく、なんか楽しかった。6周目8時間経過してもまだ午前中なんだよね。徐々にね、景色が変わっていくのね。それが飽きさせないんだよ、この大会。夜中、夜明け、早朝、そして正午でしょう。この日はお祭りでもあってね、陶器を買いに来た人がこのくらいの時間帯から町に溢れるんですよ。でもって、わたしたちのような奇特なランナーに馬鹿なことやってるな~的な白い目線を投げかけてくれたりするんですよ。そりゃあなんちゅうかここらへんからが本番だよなあって思うでしょう!!え?思わないの?思うよ、絶対! この周回中に応援に来ていた知人ランナー夫妻と遭遇してエールを送ってもらえる。元気そうだから大丈夫だねみたいな感じでね。凄い励みなる。楽しいことしかないんだわ、楽しい、楽しい、楽しい、楽しいって、そんなことしか考えてなかった6周目。エイドにはカレーの隣にサンドイッチが並んでいたので頂く。(食事と知人と会話で20分休憩)


7周目(70㎞)通過タイム10時間23分 rap1時間59

ばてはないんだけどね、やっぱ筋肉には余力がなくて、登りはほぼ歩くような感じになっちゃう。10㎞で休憩時間を入れても2時間オーバーしそうな勢い。2時間オーバーすると制限時間にひっかかる可能性も出てくるから、そこは意識的にボーダーラインとして調整しなければならない。7周目からipodで音楽を聴き出す。最近大会出場中に音楽を持ち歩くことなんてなくなっていたけど、最後の40㎞は音楽の力に頼ろうと最初から決めていた。バテてはないから走れる下りとフラットなとこだけ走るって感じが続く。7周目にはサンドイッチの隣に焼きそばと餃子が登場していたので頂く。(トイレと食事で休憩15分)


8周目(80㎞)通過タイム12時間22分 rap1時間59

さきほどの知人夫妻が探しにきてくれてエールを送ってもらう。さらには会の先輩も応援しに来てくれて、感謝感激で発憤するほかない状況に。登り坂を歩いてるときも他のランナーの皆さんと励まし合ったりしながら、楽しい一時。このくらいの距離になると給水所でリタイアを申告するランナーたちが一気に増える。ここまで来たからには頑張ろうなんて簡単に言える距離ではまだない。だってあと2030㎞もあるのだから。大会運営側は「マラソンシーズンは始まったばかり!怪我したら意味ないよ!目標はもっと先の大会でしょう?リタイアしたら?」と積極的にリタイアを薦めてくる(頑張れなんて絶対言わない)。その言葉は誘惑に他ならないけど、道理に適っているので皆吸い寄せられてリタイアしていく。わたしは若干足首下が痛いくらいなもんで、ゆ~っくり走ってるから基本的に消耗してなくて、そういうのを観察しながら、ドラマフルなビューティフルとか思っていた。わたしも股関節と膝に痛みが出ていたらリタイアしたかもね。出なかったことだけが救いだったと自分の足腰をたたえたい気分。8周目には焼きそばと餃子の隣にパスタが出ていたのでそれをいただく。(トイレと食事で休憩10分)


*因みに、本大会のゴールの制限時間は17時間なのですが、15時間以内に90㎞地点を通過しなければならないという関門がありまして、わたしは80㎞を通過の時点で2時間38分残しで9周目に突入できたので、これで関門突破はほぼ確定致しました。ひいては完走もなったと安堵した次第です。やっぱ出たからには完走したいですからね。


9周目(90㎞)通過タイム14時間21分 rap1時間59

9周目の途中の給水所で、台風で大会は中止となった旨知らされた。しかし、悔しいという思いはなかった。そもそもスタート前から台風が夕方前には上陸すると予報で言っていたし、7周目くらいから風が強くなりだし、8周目からは雨がポツポツと落ち始めていた。最初から中止になるだろうと思っていたのだ。まあこればっかしは如何ともしがたい。110㎞に2時間使わないというギリギリの攻防に7周目から突入していたけれど、一度もオーバーすることなく交わせたし、最後の1周を前に2時間29分残せたのも完走できた証としては十分なタイムだろう。いまとなっては何周しようと同じである。あと一周がなんだ。よく頑張った、自分はよく知っている、お疲れさま~~~~~~~~~


的な、的な。的な感じで大会を終えた自分には、特別書くことがないのだな。それは100㎞といっても17時間もかけていいのなら、そんなに辛くないという事実がそこにあると思えてしまったからなんだ。城内坂ウルトラマラソンを完走するという意味では、わたしはデビューにして完全に凌駕してしまった感さえした。毎周回10分必ず休むというのも、これは100㎞というウルトラではなく、10㎞を10周するトレーニングでしかないんだというメンタルトリックで、見事に心的ストレスを軽くしてみせたし、なにより事実わたしは100㎞も走ったというより、昔部活動で学校を10周してこいと顧問に言われて、へばりながら10周したあの1㎞×10周的な感慨、走れば走るだけ残り周回数は必ず少なくなってくれる喜び、わたしはそういうなんとも言えない若かりし頃の自分を呼び起こし、10㎞×10周が1㎞×10周であるかのような錯覚まで起こすに至っていたのだった。


というわけで、まさに私的な主観に飲み込まれて、このウルトラマラソン出場は人に書いて伝えるようなことではなくなってしまったのだ。まあ長くなったので、一端筆を置きます。(つづきはまた明日)