13p. 山行報告(南アルプス全山縦走達成記録)最終日 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

1.スケジュール

光岳小屋(テン場)水場 4:00

0:15 4:15

光岳4:25

0:15 4:40

光岳小屋

2:20 7:00

易老岳

1:45 8:45

希望峰

0:55 9:40

茶臼岳

0:30 10:10

茶臼小屋(テン場)水場

1:30 11:40

横窪峠(水場)

1:10 12:50

ウソッコ沢小屋

1:05 13:55

ヤレヤレ峠

0:30 14:25

茶臼岳登山口

0:40 15:05

南アルプス登山指導センター 計11時間05分 約17km トータル127km

(但し左記タイムは地図表記。個人的には15時までに到着予定)


2.道中報告及び感想

計画では4時発となっていたが、昨日中に下山を15時から16時に変更しておいたので5時発とできた。よくよく考えてみれば、小屋から光岳山頂まで15分とかからない。4時に出ても暗くて記念撮影どころではないではないか。まったくトンチンカンな計画を立てたものだ。もっと想像力を駆使して計画を立てねばならない。光岳山頂は展望がまったくないので御来光が見られるわけでもないから、5時を待って散歩気分で山頂に向かった。膝の痛みが消えていたことに安堵。


山頂には当然のように誰もいなかった。さて、バッテリー持ってくれよと願いながら、ミニ三脚にコンデジを固定し、電源はギリギリまで入れられないので、構図は経験則から当たりをつけて割り出し、昨日準備を施したタオルをすぐに広げられるよう何度か反復練習し、セッティング完了。よしOk。さあ頼むぞ、バッチコ~!


電源ON。構図が問題なかったことを素早く確認。セルフタイマーセット。シャッター押し込む。標識に向かって走る。タオル広げる...よし、問題なし


pi pi pi カシビーブゥゥゥム


ん?なんだ?今のは撮れたのか?撮れなかったのか?カメラに駆け寄ると電源は落ちていた。ONにする。起動しない。


ON OFF ON OFF ON


何度か試すも起動しない。ダメか。バッテリーは完全に底をついてしまった。最後の撮影をして保存後に力尽きたのか。撮影中に力尽きたのか。果たしてどちらか?わたしには皆目検討がつかなかった。南ア全山縦走達成の記念撮影だ。分からない以上は楽観論でことを進められない。一応手はある。取りあえず、誰か来るのを待とう。いや、ただ待っているのもあれだから、光石でも見に行くか(光岳の山頂付近には、光岳と呼称される理由となった下界からだと光ってみえる岩がある)。片道10分弱くらいの行程を下り、別になんだということのない(ガスっていて眺望がないため)石を観光し、山頂に戻るも人がいなかったので小屋まで戻った。小屋には昨日から宿泊している集団のお客さんがまだおられたので、話しかけ、早速お願いをする。


申し訳ないんですが、カメラ貸して頂けませんか?


いやいや、そこのあなた、別にカメラ借りて山頂まで撮影しに行こうってわけじゃないのよ?自分のSDカードにちゃんとさきほどの写真が保存されているか確認させて欲しかっただけのこと。バッテリーがなくなってかくかくしかじかなんですよ~と説明して、カメラを借り受けカードを差し込む。さあて写っているかな?どれどれ



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ぺっぺぺ~~~~ん。おお、ばっちり写っているじゃないか。良かったなによりだわ。これであとは下山するのみ。お礼を言いつつ、また全山縦走達成ということで、話しが弾み、小屋を出たのは6時を遙かに回ってしまった。うーむ、終始出遅れている感じだなあ。無意識の自分が帰ることを嫌がっているのか?


ともあれ、こんな感じでやっていると、下山の迎えの合流時間である16時には到底間に合わなくなってしまう。別に今日は最終日ということでお気楽山行をやれるってわけじゃない。17㎞を16時までに下りきるには一応急ぎの山行になる。早め早めに行動しなければならない。


頭を切り換え、真剣に下山に取り組むことにする。お世話になった御主人に別れを告げて、下山開始。一応膝の痛みは寝たことでなりを潜めてくれている。走れる内に走っておこうか。小屋を出てすぐのセンジュヶ原から静高平、易老岳までのフラットな鞍部は走りくだった。ただ易老岳山頂に着く前に昨日の膝の痛みは再発し、わたしを苦しませだした。まあこれは当然の帰結だろうね。


さて、このあとは特別書くことがない。茶臼小屋に着いたら水場で水をMAXにし、あとは下り一辺倒の長い道のりである。茶臼小屋までの間、兎岳避難小屋で一緒した山岳部学生2名に出くわして挨拶を交わしたり、小屋で宿泊が一緒だった方に追いついて言葉を交わしたり、南アルプスは登山道が限られている上、皆日帰りというわけではないから、山の中で何度もこのように出会うことができる。そこが南アの魅力の一つかもしれない。


辛い辛いと長々と書いてもしようがないので書かないが、89日の山行で一番辛かったのは何時かと聞かれれば、最終日の下山と答える。膝が痛いというのは、登りに響くのではなくて、当然下山に響く。膝を守っている着地筋が着地の衝撃を吸収できないから激痛となって下半身を駆けめぐる。膝をやったときの下山ほど辛いことはない。それも昨日6時間本気走りして受けたダメージと同伴の17㎞山行である。推して知るべし。


ただわたしは嬉しかった。辛かったけど、それは昨日のわたしが望んだことでもあったからだ。余力を残さないという考え方は、登山ではタブーだ。けして皆さんが真似していいようなことではない。でもわたしにとって、この山行は修行だった。南アルプス全山縦走は目的であり通過点でしかなかった。計画書にも書いたが、この縦走は9月の上野原トレイルレースを完走するための練習であるし、また9月末に初めて挑戦するウルトラマラソンへの壮大な身体作りという修行なのだ。だから余力を残して下山していいわけがない。


わたしの欠点には全力を出し切れないというのがあって、マラソンでも完走した後体力残ってたりと、全力をだしきるということの危険性(いつなにがあるかわからないから)を常に念頭において、ある程度の余力を残してしまうというよく言えば、しっかりとした生存本能が備わっているのだ。だからトレランの大会に初めて出たときとまったく同じの、膝が痛くて痛くてしょうがないけどゴールに向かわなければ終わらないというこの久々のシチュエーションに興奮し、また存分に味わい尽くした。泣けるほど痛いけど、これがいいんだ!


茶臼小屋からの下山路は、吊り橋を渡るような沢越えや渡渉などがあるのだけど、沢をみつけては頭を洗い、顔を洗い、膝上の大腿四頭筋まで渓流に沈めてアイシング。兎に角何度となく渓流とじゃれ合った。しゃーしゃー、しゃーしゃー、勝○氏のように声を出しては水をかぶって気合いをいれなおしたかな。ほんとギリギリだったのよ、うん。


横窪峠まで辿り着いた頃には、右膝は本当に限界で、右をかばっているから左まで痛くなり出し、もうその頃になると、ゆっくり慎重に歩を進めてもダメージを軽減できるようなことはなくなってて、それじゃあ走ってしまえということでびっこを踏みながらだけども重力に身をまかせて駆け下りることにした。


やったことのない人には分からないかもしれないけど、下山の膝のダメージは、駆けたほうが縦方向の力を横に逃がすことができるので、圧倒的に痛くないのだ。これ本当。下山は慎重にゆっくりやるより、ある程度のスピードに任せちゃったほうがダメージも少なく済ますことができるのですよ(でも止まるときの負荷がもの凄いから止まり方を学ぶ前にやると危険です)。というわけで駆け出し、泣きたくなったら、最終日までザックに残っていたカロリーを取りだしては頬ぼって誤魔化した。はっきりいって、アミノ酸系と糖分で身体も頭も麻痺させて乗り切ったようなものだな。あれははっきりいって詐欺でした。


下山し尽くし、最後のアトラクション畑薙大吊橋(http://www.youtube.com/watch?v=fMYwM8yumyc )に到着したときの喜び。渡りきるのに3~4分かかる長い長い吊り橋は、風がびゅーびゅー吹いていたけど、怖いということはなく、逆にとても気持ちが良かった。


大吊り橋を渡りきってもまだゴールではない。ここから林道を2.5㎞歩いて初めてゴールである南アルプス登山指導センターに辿りつく。時計を見ると迎えと約束した時刻16時まで残すところ20分を切ろうとしていた。よし、大会でいうところのラストスパート区間だな。まだ走れば間に合う。計算通りだ。ほんなら行くぜ!


書いてこなかったけど、わたしは最終日もトレランの大会のつもりで下山してきた。すなわち最終制限時間を迎えと合流する16時に設定したのだ。16時までに下りなければ失格。これに間に合わせるためだけに、膝の痛みに涙しながらも鋭意下りてきたのである。大会に出たことのない人には分からないかもしれないけど、制限時間に間に合わせることの大事さ、それに伴う11秒での泣き笑い、それらを知っていれば、タイムに間に合わせるために何がなんでもがむしゃらに走るということが当たり前のようにできる体質になっているものなのだ。わたしはゴールまで精一杯駆けた。ダム湖が右手に広がっているだけで、なんの眺望もない林道だったけど、やっぱり山を走るのが好きだな。そう思いながら駆けた。いや、ゴール直前のこの快感がいいのかも。終わるんだなと思うと、なんとも言えない感慨を覚えるよ!


ゴールの登山指導センターが見え、ゴールラインのようなゲートに迎えられ、この全山縦走は終わりを迎えた。89日終わってしまえばあっという間だった。このくらいの期間なら凄いことをやったってイメージもない。感覚としては23日と何も変わりはしない。8泊でも2泊でもワントライだから気分的には同じかも。


でもそれも主観でしかないか。変わらないと思えるような準備をし、わたしに変わらないと思える体力があったってことだろう。そう思うと、長期縦走の正否は、縦走出発前にすでに決していることになるのかも。開始前の準備と自分の能力ですべてが決まってしまうわけだ。自分の能力で無理だと思うような長期縦走の計画は立ててはいけない。逆に計画をたて準備をし、行けると自分の能力を信じることができたなら、それは計画の段階から成功したようなものなのかも。


結果はアクシンデトがどうのこうのという運不運もあるから、実際には付いてこない時もあるかもしれないけど、結果はやっぱり二の次なんだと思いたいな。ようは結果ではなく、どんな風に楽しんだのか、どんな風にワクワクできたのかってことだと思う。成功失敗2つに1つだけど、冒険心が満たされた今となっては、89日快晴続きで、すんなり縦走達成したかもしれない自分より、ガスで道迷いをし、重要アイテム紛失、暴風雨に低体温症、夜間行、出会い、サンダル、雷雨の中の強行軍、トレラン、膝痛、雷鳥の羽根イベント、これら全てわたしが出発する前には想像もしてなかったようなことばかりだ。わたしの場合結果もついてきたけど、結果がついてこなかったとしても、わたしはこれら一つ一つの出来事を抱きしめてお礼を言うことができるよ。わたしが次のステップに進むためには、欠かせない出来事だったと分かるから。わたしをレベルアップさせるために誰からしら面白可笑しく工夫してくれたんだと思う。泣きたい時もあったけど、本当に絶妙なレベル設定でした。誰か知らないけど本当にありがとうございます!


ゴールしたのは162分。じつは自分で設けた制限時間16時には間に合わなかった。でもこれは大会ではないから、別に2分程度気にしない。間に合わせようと走れたことに意味がある。奧の駐車場のほうから迎えがこちらに近づいてくる。山をやらないその迎えは、特段わたしがなにをしてきたのかも知らず、また興味もなく、逆に自分が悪戦苦闘してきた畑薙第一ダムまでの山道の険しさに興奮し、目をランランと輝かせながらいろいろと話し出す。この人はこの人なりに冒険したのだなと思いながら、話しは車の中で聞くから取りあえず写真一枚いいかな。うん、そうそうあそこで。カメラのバッテリーが死んじゃっててさ。で、温泉行こうよ、温泉。畑薙まで来たら絶対入って帰らないといけない温泉があるんだってさ。そうそう、急がないと、栃木につくのは深夜になっちゃう。さあ早く早く。急いで急いで、



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カシャっ


この山行報告は次回の総括に続きますが、それは山岳会に提出する報告のまとめとして書くだけのことで、ネットにあげるようなものでは実際ありません。次回はつまらない反省ばかりになると思いますので、本日ここでご挨拶させて頂こうと思います。長い長い山行報告でしたが、多数の方に読んでもらえたみたいで、本当に嬉しかったし、書く励みになりました。長い間読んでいただいた方、また多数のコメントを頂いた方、本当にありがとうございました。


山には沢山入っているのに、なかなか報告として纏められない自分が、今回最後まで書き上げられたのは皆さんのおかげだと本当に思っています。そしてこれからもなるべく書くように努めます。だからこれからも是非遊びにきてやってください。山は楽しいですよね。同じ山でも行った景色や山行形態で報告がまったく違ってきます。それぞれの経験があって感じ方があります。わたしも皆さんの山行記録から沢山の参考にさせてもらってます。本当にありがとうございました。山好き最高♪♪


次回「山行報告(南アルプス全山縦走達成記録)総括」に続く