10p. 山行報告(南アルプス全山縦走達成記録)7日目後編 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

出発前に小屋で水をMAXまで補給し中盛丸山を目指した。中盛丸山は登山客から聞いていた通りなかなかの登りであったが、もう書いてきたとおり、わたしは登りを苦にしない体質になっていたから、気にせず飛ばし抜いた。中盛丸山の森林限界を抜ける手前で座り込んでいる人に出会った。少し話しかけ、わたしは先を急ぐことにした。森林限界を抜け稜線に出てからは兎に角走った。怖がっているのは時間の無駄だ。走り抜けろ。


自分がSWAT隊員にでもなったかの如く、中腰で稜線を駆け抜ける。雷はまだ上に来ていなかった。いや来ていないと思いこみたかっただけかもしれないが、背中で音を受け止めながら中盛丸山山頂から駆け下り、森林限界以下に逃げ込んだ。息を整えながらそれでも止まらず早足で進んでいくと、それは来た。


ぜんしんがそうけだつようなかんかくっ!!


間に合ったと安堵している暇はない。急いで、ビバーグの準備。ああ、くるくるくるくる、急げ~


勝った。中盛丸山攻略せりッ! 樹林帯のここならという場所でツェルトにくるまりビバーグ開始。ひまだからフルーツグラノーラをぼりぼり食べていたものの、バンバン落ちる雷を見ていると怖くてしようがない。全身総毛立っているのも雷様に取って食われそうで気分が悪い。いいやもう寝てしまえ。落ちる時は落ちる。怖い思いしながら雷が過ぎるのを待っているくらいなら、寝てしまったほうがいい。体力回復だ。さあ寝るべ寝るべ。



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16:58



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16:59


わたしが選んだビバーグポイントはゴツゴツした岩が転がっている箇所であったが、なんというか非常にわたしの背中の曲線にリンクしており、以前のわたしのマイカーであったヴィッツの車中泊を思い出させていた。わたしはヴィッツでの車中泊が嫌いではなかった。というか、やっぱりわたしは何処でも寝られるらしい。このビバーグも快適とすら思いながら眠りについた。


起きた。時計を目にやると1時間近くは寝ていたようである。全身総毛立った感覚はなりを潜め、雷も落ちてはおらず、ゴロゴロ鳴っているだけという程度まで回復していた。さらに1020分待つも雷は鳴るのを止めることはなく、わたしのほうが限界に来てしまっていた。というのも、寝れてしまう図太さはいいけども、兎にも角にもこんな地べたで本気睡眠とっていたらあーた、このままでは体温奪われまくって死んでしまうよ! ようするに凍えるほど寒くなってきたのである。


防寒対策をして雷が完全に鳴りやむのを待つか否か・・・うーむ、否でしょ。今の状態なら小兎の先のテン場跡まで行ける!


わたしは行けると判断し、広げたものを撤収。小兎岳へと向かうことにした。行くと決めたら駆けろ駆けろ。SWAT隊員の気分でGO,GO,GO,GO連呼しながら突っ走る。



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17:48)これが越えねばならない小兎岳とその先に控える兎岳。無名なのにこのでかさ!!兎岳でか過ぎる。こいつはやっかいだぜ。



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17:54)小兎岳を雑魚キャラのように切って捨て、元テン場に到着するも、雷の音のする方向と回数から推測してビバーグする必要はないと判断、兎岳に取り付いた(この頃になるとあまり雷がゴロゴロいわなくなっていた)。道中、幕営している人が1人、座り込んでいる人が1人いた。写真は兎岳に取り付いた際に撮ったもの。赤石岳山頂から鳴りだした雷と付き合って、よくここまで来られたものだ。雷の音もほとんどしなくなったから、もうだいぶ疲れていたので、兎岳は普通のペースにまで落として登っていた。すると、


ピカツ!!


ピカ ピッ~カ


ピカチュウかよ! いや冗談さておき、写真なんて撮っている場合ではなかった。絶対帰って報告書提出したら怒られるよ・・・。よしんば、この雷強行は現場判断として許してもらえたとしても、写真撮っている場合じゃないだろと、この撮影という愚行は万死に値するお怒りを受けるに違いない。遠足は家に帰るまでという格言があるじゃないか。避難小屋に着くまではこの戦いは終わってはいなかったのに、なんで撮影なんてしてるのよ!!


百名山でもましてや二百名山や三百名山でもない兎岳。しかしその標高は2818mもあり、栃木の主な山々より遙かに大きい。その山頂が別世界であることは推して知るべし。


兎岳に取り付き登り出すと、雷の音はほとんど鳴ってないのに、兎に角、頭上でよくフラッシュが焚かれた。その度にわたしは比喩でもなんでもなく、山肌に向かってヘッドスライディングしたのである(まだ早足ではあったから伏せようとすると結果ヘッドスライディングになる)。あまりの怖さにストックを前方高くに放り投げながら走ったりとわけのわからないことをしだしていた。落ちるなら前方に大きく投げ出したストックに落ちてくれと考えていたのだろうか。願望に近いな。


走りながらも、兎岳には山頂に出なくても済む巻き道があったはずだと考えていた。巻き道を利用すれば、避難小屋まで15分は短縮できる。山頂への道に入らないようにしなければならない。舵を左左に取りながら駆け上っていた。しかし!



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18:12眼前に現れたのは兎岳の標識なのだった。オーマイガッツ!(おーわたしのかみがみ!)わたしは「世にも奇妙な世界」の主人公よろしく死を悟った。ここまで落雷に見舞われず走ってこれたのは、この兎岳の山頂にわたしを迷わせ導くためのものだったのかと。来る必要のない兎岳山頂で落雷にあって死ぬなんてなんてなんて愚かなんだろう。これが最後なら写真でも撮っておけカシャッ。


しまった。ここで死を覚悟する奴があるかとまた先輩方に怒られてしまうではないか。写真なんて撮っている場合じゃない。山頂が一番危険なんだ、駆け抜けろ、駆け抜けろ。本当にミスの多い山行だった。反省しきりだ。帰って報告するのが憚れる。まあしかし、文字にすれば長いが、こういった思考の流れは一瞬で、山頂には当然10秒もいなかった。でもこういった時、時間はゆっくり流れるものなのだ。あなただってそういう経験の一度や二度あるでしょう。


兎岳山頂から聖岳方面へ飛ぶように下山。避難小屋はまだか、まだか、飛ぶように駆け抜ける。見えたし!あれだし!兎岳避難小屋はそれはもう外装は廃墟同然。人が泊まれるようなそれではなかった。でもわたしはネットで調べて知っていた。数年前に中は改装されて、小綺麗になっているということに!! こんな最後の最後で落雷にあうなんて冗談じゃないぜ。突っ込め、南無さん!!


3.山小屋情報

兎岳避難小屋の様子はこのサイト(http://www.yamatabi-hanatabi.com/hijiridake2011-2-4.html )が詳しい。外は廃墟同然ながら、中は小綺麗で風雨はしっかりと凌げます。虫やネズミが出るということもありませんでした。携帯トイレなどが段ボールの中にいっぱい積まれていました。昔は携帯トイレがないせいで、小屋内で用をたしてしまう人が多く、糞尿まみれだったとか(避難小屋の性質上、用をたしたくても外に出られなかったのが原因)。この携帯トイレ完備と小綺麗な改修のおかげでそういったこともなくなったそうです。ただ小綺麗とはいえ、単なる6畳程度の箱というだけで、他はなにもありません。4,5名寝ればもういっぱいという程度の空間です。あまりここで宿泊するという前提で計画を立てないのが望ましいでしょう。わたしの縦走計画の場合ここに宿泊する以外道がなかったので、前提にしてしまいましたが。みなさんはカツカツな計画を立てずに余裕ある縦走計画を立てましょうね。わたしからのお願いでした。


そもそも長期縦走を計画する際には、予備日を1日くらい設けるべきだよな。わたしも設けてはいたけど絶対その予備日を使う気なかったからなあ。そういうのは予備日とは言わないんだよな。ちゃんと使える予備日を設けるべきだった。これも反省点。でも89日の全山縦走に意味があるといえばあるんだよな。これ相当早いからね。普通レベルの体力ではまず真似できないでしょう。フフフ


4.その他

フフフじゃない。この日の反省点は多過ぎる。雷鳴時の強行判断は正しかったのか。現場にいるわたしは、中盛丸山越えはできうるとの判断に間違いなかったと思っているが、それは自分にしか分からないこと。雷が鳴ってから稜線や山頂に向かうのは定石から大きく外れており、批難は免れない。わたしも単独縦走でなくパーティーがいたら行かなかったし、また全山縦走というチャレンジ中でなかったら行かなかった。全山縦走と死のリスクを天秤にかけてしまったのは事実である。これはとても怖いことだが、報告の中ではまとめきれぬほど、自分というものが表に現れているので、書ききることは難しい。わたしが死についてどう思っているか。死生観にまで触れなければならなくなるからである。


ただわたしは山で死ぬ気など毛頭なかったし、そのようなことはあってはならないと分かっている。入山の死のリスクは常に0ではなく、そのリスクと山行目的を天秤にかけているのは何時も同じと思っているだけ。トレランの大会や練習中、両側が崖で落ちればおさらばのコースを駆け抜けているわたしは死のリスクが高確率であることを知りつつも、その大会を完走するためにその大会に出る。オベリスクの天辺にセルフも取らず登るのはそれなりの死のリスクがあると感じたが、オベリスクのてっぺんに立つという目的とてんびんにかけ、わたしはてっぺんに立つことを選んだ。雷も同じように判断したまでだ。考えに考え、自分なりの論理と状況分析に従って、死のリスクはオベリスクやトレラン大会よりも低いとの判断のもと、強行したのである。しかし、雷はプロでも恐れる不確定要素の多い危険である。雷を他のリスクと同じように考えて良かったのかは疑問の余地がおおいに残る。反省として登山と雷についての書籍を一冊読破することをここに誓う。


因みに、兎岳避難小屋には先客がいました。大学山岳部所属の二名の若者で、南アの主脈を甲斐駒あたりから縦走しているとのことであった。初期の悪天続きで小屋での停滞を余儀なくされ、わたしより山に入っている期間はこの時点で2日くらい長くなっているとのこと。就寝までお互い山について色々と語り合い、とても楽しい時間となりました。若いっていいよね!


さて、もうひとつ。この日の避難小屋での睡眠は防寒対策をしてシュラフカバーにくるまって寝たのだけど、いやこれが寒いのなんのって。何度も寒さで目が覚めてしまいました。自分で自分の身体をさすってあげなければいてもいられぬほどの寒さで、かなり大変でした。とはいえ、起きたといっても、1回1回の睡眠は1時間くらいはとれていたみたいだし、最終的なやばさまで行っていたわけではない。残りの予備の服を着るとか、レインウェアを着るとか、保温シートにくるまるとか、ツェルトにくるまるとか、そういったまだまだ防寒に手を加えることは可能なレベルにいながら、避難小屋という狭さから、うるさくするのは悪いと思って、我慢してみただけのこと。本縦走の防寒装備に抜けや間違いがあったとは思っていない。


雷は深夜まで鳴っていた。やはりここまで強行して良かった。今日ここまで辿り着いてなかったら、全山縦走の道は閉ざされていたことだろう。明日はどのくらい進めるのだろうか。心配しながら、身体をさすっていた。寒いよ、寒い。


次回「山行報告(南アルプス全山縦走達成記録)8日目」に続く