4. ぼくは今こそ昨シーズンのマラソンについて振り返らなければならない。 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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さて、前回までで大田原マラソンでのサブフォー失敗については書き終えた。今日からは大田原マラソン以後に参加した大会について簡単に書いていきたい。


おいらが大田原以降に参加したマラソン大会は年を跨いでの下記4大会。


126日(日)第5回那須烏山マラソン(ハーフ)

1213日(日)第5回さのマラソン(42.195㎞)

214日(日)第1回いわきサンシャインマラソン(42.195㎞)

411日(日)第2回おやま思川ざくらマラソン(ハーフ)


おいらの当初の計画によれば、大田マラソンはサブフォーを達成するためにペースを落として走ろうと考えていた(オーバーペースを避けるため)。だから、大田原マラソンでサブフォーを達成したとしても、再度フルマラソンに参加する必要がある。サブフォー達成後のフルマラソンでは全力で走り、自分が出せる限界のタイムに挑戦しようと思っていたのだ。そこで大田原後も第5回那須烏山マラソン(ハーフ)という調整レースを挟んで、第5回さのマラソン(42.195㎞)に挑戦するというプランを練った。まさかサブフォー失敗して挑むことになるとは夢にも思わなかったが・・・。


しかし、大田原後にもフルにエントリーしていたことは幸いであった。サブフォーへのリベンジをすぐにでも果たすことができるのだから。


126日(日)第5回那須烏山マラソン(ハーフ)■

調整レース。ハーフマラソンは昨秋だけで6レース目。無難に下記の通り纏めて完走しておいた。タイムにばらつきがあるのは、本大会のコースがフラットでなく勾配があったため。


5㎞ 2413 

10㎞ 2747秒(52)

15㎞ 2456秒(1時間16分)

20㎞ 2737秒(1時間44分)

GOAL 1時間50


1213日(日)第5回さのマラソン(42.195㎞)■

そしてやってきた昨秋2度目のフルマラソン当日。おいらはインフルエンザを発症させていたのでした(爆)。39度の高熱が出ていたのから、サブフォー挑戦とかそういった話しはもう無いものとなりましたが、高熱出ているなら、それはそれで都合がいいやとマラソンにはそのまま参加することにしました。風邪やインフルエンザから来る高熱ってのは、布団にくるまって下げる方法が一般的だけれど、激しい運動をして下げる方法もあるのです。ようは身体を温めて免疫力をあげてウイルスやっつければいいだけの話し。布団にくるまっていても暇なので、おいらは走りながら治すことを選択。で、下記のようになった。


5㎞ 263150

10㎞ 2641685313秒)

15㎞ 2648191時間20分)

20㎞ 2621351時間46分)

25㎞ 2923332時間15分)

30㎞ 3640572時間52分)

35㎞ 4258603時間35分)

40㎞ 4554084時間21分)

GOAL 4時間42


この日は兎に角ウイルスをやっつけるために序盤から最高のパフォーマンスを発揮。20㎞地点までは26分台のペースを刻み、グリゴーゲンが底をついて身体が動かなくなってから到達した25㎞地点で1時間46分。これは大田原マラソン時の記録を3分も上回る自己最速でありました。39度も熱出てるのに、すげーぜおいら。ま、その後は足も動かなくなったので、ゴールまで歩いたような按配ですが、激しい運動のおかげでインフルエンザウイルスは何処かへ吹っ飛んだのは書くまでもない。


因みに、この大会でおいらはとてもいい経験をした。それはグリコーゲンが底をつく瞬間を意識的に体感できたということである。フルマラソンで35㎞の壁とよく言われるのは、人間の貯蔵エネルギーが上手に満タンにできたとしても、基本的に35㎞分くらいしか貯蔵できないことから来ている。だからこそ、その他試行錯誤してフルマラソン走りきるだけの工夫や調整及び準備をしていくわけだけど、このエネルギー切れというのは足腰の丈夫さや精神面とはまったく無関係だということを、このレースでおいらはよく理解できた。


この日のおいらはスタートから26分台のペースを刻み続けた。すると22㎞あたりで途端に足が重くなり動かなくなる瞬間がやってきたのである。まだ22㎞しか走っていないから、心肺もピンピンしていたし、足腰に痛みもない、精神面も万全だ。にもかかわらず足だけ重くなり運動するのが困難になったのである。普通この現象が起こるのは30㎞過ぎたあたりである。しかしこの日はインフルエンザを発症させていたので、いつもより貯蓄エネルギーが不足しており、すぐにエネルギー切れになってしまったのだろう。しかし、この22㎞地点でのグリコーゲン切れ現象は、頭もクリアに働いている時点でのソレであったから、非常に明確にその現象を捉え把握することに成功したのである。あれはそう、まるで自分の身体メカニズムの設計図を見せられたような明解さであったなあ。サブフォーとは関係なくなってしまったけれど、ためになったレースになったことだけは間違いない。


次回は年を跨いで参加した後半2大会について書いていきたいと思います。(つづく)