栃響 +父の日。(週末にまつわる雑記) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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競馬の復習、三沢選手の訃報、様々なことに見舞われながらも、おいらは先日曜日に、宇都宮市文化会館へ栃木県交響楽団(略して栃響)の定期演奏会に出向いてまいりました。自由席で1200円。今回はまったく縁のなかったブラームスとのことでしたが、1200円で生の楽器の音を楽しめるチャンスはあまりありませんし、定期演奏会の日に予定が入ってないこともあまりないことなので、進んで参加してまいりました。


曲目は、下記3曲にアンコール1曲。トータル2時間弱の演奏会です。

①ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死

②ウェーバー/ファゴット協奏曲

③ブラームス/交響曲 第4


 冊子に記されている曲の解説を読んでいると、「トリスタンとイゾルデ」はワーグナー自身の悲恋話しから来ているとのことだった。いうことは、「ロミオとジュリエット」の大元はワーグナーということになるのだなあ。と勉強になった。


 外部からソリストを迎えることの多い栃響の定期演奏会ですが、今回はN響のファゴット奏者菅原恵子さんが来ておられました。ファゴットという楽器は、クラシック素人のおいらは注目したこともない楽器で、「のだめカンタービレ」でファゴットだぁバッソンだぁと聞き囓った程度です。ソロで聞くとオケでこんな音鳴ってたかあ?と首を捻りたくなるような、抜けた汽笛のようなる音がします。ソロで聞く機会もあまりないでしょうから、勉強になりました。


 勉強勉強と書いているけれど、まあ別に勉強しに行っているわけではなく楽しんできているのですが、如何せんおいらの文章の生み出し方が、その時感じていたことや行いをそのまま写述するようなものだから、文章化できるようななにかを感じていなかったら書くことがない。クラシックを聴いているときはあまりものを考えていないように感じる。


おいらは基本的に目を閉じて聴いてしまう質なのだが、最初導入は映画と一緒で、作曲家や指揮者らの意図を読みとるべく、聞き耳を立てます。おいらはクラシックにもストーリーがあると思っているので、その曲を聴いているというより、ストーリーを組み立てながら泳ぐという感覚でしょうか。だから最初は頭で考えてはいるんです。「導入は黙々と確かな足取りで街へ向かっている主人公が見える。目的はなんだろう?」みたいな具合で、がしかし、聴いているうちに思考が飛ぶというか、結局ストーリーをうっちゃって聴いているというかストーリーに取り込まれて正気を失っているというか、とりあえず、40分もの交響曲が終わると、え?もう40分経った?と思う。だから意識的になにかを得ているような感覚があまりない。(無意識でもなにかためになっているのか甚だ疑問ではあるが)


細かいところでは、この交響曲にはトライアングルが使われていたのですが、とても印象的に使われていました(珍しいような)。それと勉強していったところ、ブラームスは、ロマン派の変奏曲の大家と言われているようで、「本交響曲の最後にパッサカリアが用いられているのが印象的で」みたいなことを読んでいったので、そこを注意して聴こうなんて考えていたけど、いざ聴き出すと、そこだけストーリーから外れているような感じで、イマイチ掴みかねたね。オチだけ作家主義に走っていて理解できない映画を観させられたような感覚。でもそれは観る側が理解できなかったというだけで、作曲家の問題ではない。勉強になりました。


なこんなと、いつも一人でぶらりと行く定期演奏会でしたが、今回は父の日も近かったので、両親を誘って行ってみました。聞いたところ、二人とも生まれてこのかったクラシックを生で聴いたことがないというのです。うちの両親は無趣味なうえに遊びを知らない人だから理解できたけど、やはりいろいろ触れた上で無趣味でいるのでなく、様々なことを体験してこなかっただけなのだなと感慨が深い。初体験というのはなんでも興味深く楽しめるものだ。二人とも喜んでくれた上に、超安価におさまってなによりでした。(最後のしめの一文余計です)