孤高のカリスマ逝く。 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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競馬の復習予想も半ばまで来た頃、それは訪れた。三沢光晴の訃報。最初に知らせてくれたのは送信されてきたメールであったが、信じられなくてスルーした。念のためTVをつけるも速報が出ているわけでもない。三沢が死ぬわけがない。三沢が死ぬわけがない。復習予想を続ける。夜のニュースで三沢の訃報がニュースとして数秒触れられた。どうやら真実のようだ。驚きを禁じ得ない。おいらから好かれた人は、おいらの中では一度殺される運命を背負っているが(亡くなったとき冷静に動くため)、三沢が死ぬなどと言うことは想像すらしたことがなかった。あの三沢は死なないだろう。絶対に死ぬはずがない。


しかし三沢選手が亡くなったことは頭の片隅では理解できた。三沢選手はもう現場でリングにたつような状態ではなかったのだ。何時なにが起きてもしょうがない状態にあったとおいらは思う。プロレスリング・ノアは、選手層も薄く、地方興行するにしても、親日のように選手を回転利用して一部を休ませるというようなことがなかなか出来ない。だからダメージの蓄積は他団体の比ではないのだ。小橋選手が手術に手術を重ねて1年半休んで復帰してきたときも、医者にリングで死ぬ覚悟を宣言し静止を振り切ってのことであった。


プロレスの低迷、若手の伸び悩み。三沢や小橋に頼るほかないノアの現状。レスラーはリングで死ねれば本望と人は言うかもしれないが、おいらとしては三沢選手にはリング外でもできることがあったと確信している。早く引退して欲しかった。でもノアという団体のことを思えば、三沢選手の性格上それができないのもよく理解できた。自分を信じて共に全日を出て付いて来てくれた選手のことを考えれば、自分だけリングから身を引くなどできようはずもない。


三沢選手が如何に偉大だったか、プロレスを囓ってなければ知るはずもないだろうが、三沢選手は特別な人であり、また偉大な人だった。鶴田戦、ハンセン戦、おいららにどれだけ夢と希望を与えてくれたことか。ああもう言葉がない。言葉がないよ。おいらはノアとの接点が全くないけれど、これからは三沢選手が守ってきたノアを会社と選手が一丸となって守り発展させるしかありませんね。おいらはこれからもノアの試合を観には行きません。だからこそ、ノアが凄いことになっているよと、おいらの耳にまで届いてくるような活躍を期待しています。おいらの足がノアの会場に向くよう盛り上げて下さい。そしたら、おいらも三沢選手の死が意味あるものだったと飲み込めるかもしれない。


それでもおいらは本当に悔しい。三沢選手がなくなるなんて。闘魂三銃士との優劣や、U系とのシングル絡み、おいらの夢をそのまま天国へと持って行ってくれた三沢選手には、感謝の念しかない。夢を切り売りすることなく、命を削って闘い続けてくれたあなたは本当のプロレスラーです。あなたに感謝やお礼の言葉を投げかけたいけど、おいらは本当に書くことができない。悔しくて悔しくて。おいらが思春期に最初に趣味に選んだのはプロレスです。そこにはあなたがいました。無念です。本当に無念です。


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おいらは実家に戻り肉好きの三沢選手のために盛大に弔いの焼肉を敢行した。昔撮った写真を肴に三沢談義に花を咲かせる。三沢のエルボーは最強だった。フェイスロックは痛い。三沢と小川が遭遇した時といったらなかった。震え上がったね。小橋とのシングル戦はいまでも語り草だよね。そんなことを話し合った。自身の部屋を家捜しすれば、昔のプロレスの写真が出てくる出てくる。おいらが最初に見に行ったプロレス観戦は近所の体育館にやってきた全日本プロレスの興行だった。メインは「三沢、秋山組 VS 川田、田上組」。いまとなっては地方巡業では考えられない夢の組合せだ。


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三沢選手のことを話し合っていたら、無償にファイプロがやりたくなった。三沢の強烈なローリングエルボーがみたい。物置からセガサターンを引っ張り出して、急遽のファイヤープロレスリングで追悼試合です。深夜遅くまで人とゲームをやったのなんて久々だったなあ。久々のプロレス観戦から競馬の全盛期のような予想、そして三沢選手の訃報。プロレスの写真を発掘して、セガサターンの電源を入れる。なぜか高校生時分のことに思いを馳せる出来事が続いております。なんかあるのかな。困ったね。(おわり)