『胡桃亭』(那須塩原)- 蕎麦漫遊記27。 | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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本投稿で蕎麦漫遊も27店目となりました。始めたのが昨年の5月3日のことだから、いつの間に1年過ぎていたことになります。時の流れとは早いものです。さて、おいらが訪れてきた蕎麦屋さんですが、じつはかなり偏りがありました。それは訪れた店舗の分布状況。じつは、おいらの訪れた蕎麦屋さんの27中24が南部の蕎麦屋さんなのです。北部は3店舗しか足を運んでいませんでした。これは裁判所の支部の立地の関係で、栃木の南部には、栃木支部、真岡支部、足利支部と支部が三つあるのに対し、北部には大田原支部しかありません。その大田原支部の仕事が基本的においらが関わらないので、それはもう北部に行くチャンスがない。そこで一計。これからは北部仕事にも参加しようと思うわけです。困っている仕事に「助けましょうか?」みたいな形で(なんという食い意地)。いうわけで、早速手に入れた大田原仕事。昼時に「胡桃亭」さんに寄ってまいりました。本店も例の如く、おいらの基本書「再訪そば処栃木の名店を歩く」に掲載されているお店です。


箱はわりと蕎麦屋さんとして自信をもっていますというような作りで、石臼飾ってあったり、なにが飾ってあったり。使ってる皿や接客もよかったので期待が高まる。メニューを眺めると“そばがき・せいろ・かけそば”をすべて食べられる“蕎麦三位”なるものがあったので、それを注文。それにしても割高なお店である。外観も接客も器も値段にちゃんと反映されているようだ。


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注文したあとに三種類の蕎麦が一辺に出てきたら嫌だなと心配していたら、やはりそこはちゃんと考えていてくれるらしく、まずは“そばがき”が目の前に現れた。ふーむ、そばがきを食べるのは始めてではないが、記憶は遥か彼方で薄れきってしまっている。どれ、楽しみである。箸をつける。(すぅぬうぅ~ま)って、もちふわじゃないか!


そばがきは、おいらの想像と違い、しっかりとした質量をもって形をなしているのでなく、もちもちとしたものがふんわりと纏まっているだけのような質感であった。泡に形容してもいいような柔らかさをもちつつ粘りもある。面白い。どれまずは一口。ぱく、なるほど。ウマウィッシュ♪(死語)これはなんですか! もちもちとしていて味わいが深いが、素材のよさが前面に出ているというより、絶妙な調理法に一本取られたような感覚。味の広がり方と消え方がなんとも形容し難い具合で、箸を休めることができない。うん、いいね。いいよ、これは。とても、贅沢な気持ちになれる一品で、あっという間に完食してしまった。美味い!


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いやあ、これは他も期待大ですな。えーえー、そうです。そうでしょうとも。ワクワクしていたら(最近のおいらは蕎麦屋で蕎麦を待っていると文字通りワクワクしてしまうのである。病気か?)、あまり待たされずに次品の“せいろ”が目の前に到着。つなぎを一切使用していないとメニューで自慢している十割のせいろである。石臼での超粗挽きを売りにしているとのことで、色とりどりの星がびっしり散りばめられているのがわかる。目を凝らすとだまのような白いつぶつぶもチラホラ。ほほぅ、見せてくれますなあ、しかし内実はいかに。


蕎麦を数本箸でつまみあげる。なるほど長短は不揃いで、啜り上げるにはものたりない十割らしい蕎麦である。ぱくっ、噛む、噛む、まず届いてくるのは食感である。ざらざらとした粒子を感じ、繋がっているのかいないのか、そんな危うさを感じるような蕎麦である。噛めば口内に面白い味が広がってくる。うん、美味い。しかし!


これは北海道産の蕎麦粉でファイナルアンサーだぎゃぁぁ! 食後車に積んである基本書で確認、やはり北海道産であった。香りが立たないはずである。なぜ栃木に店を構えて北海道から蕎麦を仕入れなければならないんだ。おいらにはそこのところが本当によく分からない。本店は、せいろは北海道産、田舎そばは馬頭産(那須)と使い分けているようである。その意図は何処からくるのか。蕎麦にはおいらの理解できないことが山のように隠されている(恐るべし)。ともあれ、できれば馬頭産の田舎そばを味わってみたかった。


結局なにが言いたいかといえば、おいらはここのせいろにはあまり満足しなかったということである。香りはたってないし、味も噛めしめれば広がるが、非常に淡い北海道産のそれである。長所は凝ったつけ汁にある。出汁がよくとれている上質なもので、ざらざらとした食感の蕎麦との相性も抜群であった。が、出汁の風味がしっかりしているので、上記の淡い北海道産の味わいは吹き飛ぶ。食事としてはいいが、蕎麦を楽しむという意味ではどうか。


むむむ。やっかいなことになってきた。亞空間で蕎麦と問答しているようではないか。蕎麦が意思をもっておいらに問いかけてくるのである。お前のスタンスはいかようかと。子どものころ、「美味しんぼ」というアニメの脇で「ミスター味っ子」という料理アニメも放映していたと記憶しているが、その味っ子の過剰な演出にはげんなりしたものであったが、今思い返せば、あの演出はあながち嘘ではないなと思うのである。料理を口に運べば、衝撃のあまり龍が飛び出し、料理と宙をさまよい会話するなど、ざらにあるのだから(大丈夫なのかよ)。


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もしもし? はい? お下げしても宜しいでしょうか? ああ、すいません。どうぞどうぞ。空になったせいろがさげられ“かけそば”が目の前に現れた。蕎麦漫遊を始めて始めての暖かい蕎麦である。暖かい蕎麦との初遭遇。否応なく緊張する。おいらはいままで何度となく“かけそば”を食べてきた。しかし、おいらは本当の意味で“かけそば”を味わったことがない。“かけそば”とはなんなんか。今となっては検討もつかない。よし、ここは邪推なしだ。真っ裸のふるちんの状態でかけそばと対峙したい。できるのか、おれに。やれるのかよ?!


ああ、今日のおいらの筆のテンション酷いわ。(@これは余談だ)


温かい汁に箸を入れ、中から蕎麦をつまみ上げる。蕎麦はせいろと同じものを使用しているようで、星が散りばめられたそれ。よくよく考えれば十割のそばを“かけ”で出す店なんてあるのか? 普通十割そばは“十割”と特別扱いでメニューに鎮座しているよな。他メニューは皆8割だったり9割だったり。しかし、ここは基本が“十割そば”。なにを頼んでも“十割”だから、ざるやせいろに“十割”の冠はついていない。この“かけそば”も他店なら“十割かけそば”という品書きになるのだろうか。


なんどなく、零コンマ云秒で意識が飛ぶ。目の前の蕎麦に集中するんだ。何割だろうが、かけそばなことには違いあるまい。口内に放り入れてしまえばいいのさ。ええい、パクッ。もともとせいろですら「ざらざらとした粒子を感じ、繋がっているのかいないのか、そんな危うさを感じる」と表記したほどの蕎麦である。温かい汁に沈んだそれは、もう柔らかいもいいとこで、歯ごたえもなにもあったものじゃない状態である。が、どうだ。むむむ、なるほど。パクッ。ほほう、なるほど、パクッ。こういうことだったのか。パクッ、パクッ、、、、


“かけそば”はなんのためにあるのか。かけそばの状態では蕎麦の香りはまず残ることがない。これは過去訪問した蕎麦屋の店主も公言していたのだから間違いがない。そこの店主に“では、なぜ蕎麦の風味を殺す「かけそば」というメニューがあるのか”と訊ねたことがあった。店主は、冬は暖かいほうがいいだろうと、おいらが満足するような答えを返してくれなかったことを覚えている。おいらはいまやっとその時の疑問に回答を得た。確かに、ここの“かけそば”も“せいろ(冷たいそば)”の状態で感じることのできた風味が残っているようなことはなかった。やはり温かい汁に浸された蕎麦から風味を味わうことはできないのである。がしかし、そのような一点に囚われるならば、おいらは蕎麦初心者の誹りを免れないだろう。この“かけそば”には、“せいろ”にはない魅力があったのである。それつまるところ蕎麦の穀物としての側面の味わいである。粒子の粗い蕎麦は温められてまるで芋のような味になっているのである。蕎麦が穀物であることの喜び。蕎麦の味がするということじゃない。蕎麦の穀物としてのねっとりとしたような舌触りや食感である。これはもはや蕎麦ではない。いやしかし、汁に沈んでいる物は見まがうことない蕎麦である。むむむ、これは“かけそば”ではないはずだ。しかし! ああ、頭が痛い。兄さん、頭が、頭がわれるように痛いんだ!


とまあ寸劇よろしく完食したのである。美味いかと言われると「いやはや」というほかない。簡単に言ってしまえば、おいらには分からないのである。始めて出会ったものを美味い枠に振るのか、不味い枠に振るのかは、そうは簡単に判断できないだろう。おいらの脳は驚いたというただ一点を指し示している。因みに、ここのかけ汁もいかん。普通の蕎麦屋が出すようなかけ汁ではなく、料亭が出すような出汁の利いたシンプルで力強いかけ汁なのである。汁も違ければ、入っている蕎麦も違うときたら、いや本当になにがなんだか。


が、おいらはやはり蕎麦についてなにもまだ分かっていないのだと再認識した。確かに考えてみれば、冷たい蕎麦と温かい蕎麦、冷たい蕎麦のほうが勝るという単純な関係であれば、ここの“蕎麦三位”というメニュー自体“考えなし”の誹りを免れないだろう。が、現にここは“蕎麦三位”と称して、食べ比べてくださいとばかり、冷たい蕎麦のあとに温かい蕎麦を出す。それは、やはり客が感じ分けなければならない、蕎麦の側面があるのである。おいらは蕎麦の香りと味を第一にしている。それはこれからも変わらない。摘み立ての蕎麦の実をその日のうちに石臼で時間をかけて挽き、それをその日のうちに打って茹でる。これ以上の贅沢はない。新鮮な蕎麦の香りを嗅ぎたいとおいらは願っているのである。そして味わいたい。でも蕎麦のそんな一面だけを見ているのでは勿体ないことである。蕎麦が、私の別の側面も見てとおいらに問いかけてくるのである。あとはおいらの器量の問題であろう。まだまだ経験不足である。


ともあれ“かけそば”からこれだけ多くを学ぶとは想像もしていなかった。人生悟った風では勿体ないなと、感慨一塩である。因みに、そば湯はとろみが強くてこれまたオリジナリティに溢れたものであった。凝っているね。(おわり)


【那須塩原】胡桃亭/蕎麦三位(そば掻き、せいろ、かけそば) ☆☆☆★ /そば湯 ☆☆☆★


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【素材情報】

そば粉:馬頭産(田舎そば)、北海道産(せいろ)十割

つ ゆ:本がえし/本ぶし、サバぶし、ムロあじ

薬 味:葱、わさび、辛味大根


【蕎麦まとめページ】

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