1つ前の日記のつづき。(文字制限にひっかかったので) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

とかなんとか5㎞地点通過。スタートゲートで計測を開始した腕時計を確認。“2726秒”


まさかの26秒オーバー。自分で出せる限界MAXけっこう飛んだけどなあ。ここは一つ借金と考えることにしよう。26秒の借金。たかだか26秒の借金でも、“サブフォー”という目標の前では致命的。次の5㎞で完済しなければ未来はない。


10㎞地点通過。腕時計を確認。“5522秒”(つまり5~10㎞間ー2756秒)


皆さんやりましたよ。フルマラソンの出出し10㎞を55分ペースで走ってやりましたヨ! 一応これだけで意味はある。おいら脚質が完全に追い込み型だから、“サブフォー”狙うなら絶対脚質チェンジしないといけないわけ。スタート直後に行き脚がついただけでも今回収穫はあった。ともあれ腕のマジックと時計を見比べれば、まだ22秒の借金。


15㎞地点通過。腕時計確認。“1時間2347秒”(つまり10~15㎞間ー2825秒)


腕のマジックと見比べると147秒の借金。ここらで大分予定より遅れてきたわけです。話しはここらへんから展開させていこうか。いや、もう5㎞進めてしまおう。


20㎞地点通過。“1時間512秒”(つまり15~20㎞ー2715秒)


ペース表と見比べると12秒の借金。ここにきて45秒も借金返済したことになる。この日の5㎞最速をマーク。このまま上手くすればもしや“サブフォー”達成できるのじゃないか。読んでいるだけの皆さんは、「たまさん結局無理だ無理だと下げておいて、また最後に大逆転みたいなマスターベーション的展開を披露する気なんだね」と思っているかもしれない。確かにタイム上は順調に見える。が、しかし、この時のおいらはもうとっくに死に体と化していた。気力だけで走っていたと言っていい。話しはここから展開させよう。


20㎞地点を1時間512秒で駆け抜けたおいら、一見“サブフォー”の望みを繋いでいるかのようにみえる。がしかし、おいらはとうの昔から“サブフォー”どころではない窮地に立たされていた。まず出出しからの㎞524秒ペースに、肝臓が悲鳴をあげる。が、肝臓の悲鳴は放置していれば治ることを経験則で知っていたので無視。事実、肝臓の悲鳴は無視しているうちに消えた。次にきたのが、10㎞地点を過ぎたあたりの腹痛である。小腸大腸あたりから我慢ならぬ腹痛サイン。ペース維持して走りつつも、原因検討。これはマラソン経験上はじめての痛みである。もしや前日夕飯にタブーとされている根野菜を摂取したことに起因しているのではないか。なるほど根野菜を摂るとガスがたまるとの記述を読んだ。それをおいらはおならがたまると解釈したが、どうやらそうではなかったらしい、走るのに不適切な放出できないガスがたまっているようなのである。脂汗タラタラ。まいった腹痛と闘うはめになるとは。走りながらできることといったらベホイミ(幹部に両手のひらを当てて気を送り、体内で悪なるものと闘っている善なる要素の活性を即す気功術の一種である)くらいしかない。


ここで、おいらは真なる意味で、マラソンは厳しいものだと理解した。いままでも目標を設定して大会に挑んだことはあった(5時間切ろうとか)。がしかし、それはいま考えてみれば、いまだ自由の傘の庇護のもと走っていただけであったと身にしみる。その日の気候や自分の体調と相談しながら走る。それがどれだけ楽なことだったかと。初めておこなった事前に用意したペース表通りに走るという決意は、自分の体調がどうであれ走らなければならないという有無を言わさぬ非情さがある。そしてこの日の天気が快晴というマラソンにとって最悪な部類だったことも拍車をかける。端からいつもよりペース速く走っているのに、この日照り。体力も奪われていくというものだ。当初のおいらは、“サブフォー”達成できないと知っていながらも、達成するべく万全の対策を練り、5㎞ごとにある給水所を1つ飛ばしで活用するという秘策を用意していた。(5㎞地点無視、10㎞地点給水、15㎞地点無視….


でもどうだ。あまりの体力の消耗具合に、給水所を無視するなどといった秘策は発動することすらできなかった。ここでおいらは思い出した。昨年のおいらは基本深夜にジョンギングしているという弱点克服のために、二度だけだが、荒川前に、日中(朝や昼)走りにでてみるという日照り克服トレーニングをしていたことを。今回そのことについて、一切考えが及んでいなかったのである。何故走り出すまえに思いつかなかったか、悔やみながらの走りである。


マラソンの素晴らしいところは、走り込んだ時間だけがものを言う運の要素がかぎりなく少ない世界だという点だろう。けして身体が自分に嘘をつくことはない。走り込み不足のおいらが上記のような条件下で出出しから10㎞を5522秒で駆け抜けたらどうなるのか。


10㎞過ぎてやってきたのは、右足股関節痛と左足足首痛のダブルコンボであった。まさか先は長いのにこんなに早く痛みが出てくるとは。驚きと腹痛とわたし。10㎞から15㎞区間は28分台までペースもがくりと落ちた。がしかし、それは驚いたからであって、ちょっとした気のゆるみでおきたこと。股関節痛と足首痛は膝痛とは違って走るのに支障があまりない痛み。膝さえ前に送りだしてしまえば、股関節や足首が痛かろうが走れてしまうものなのである。故に15㎞~20㎞間は、痛みながらも2715秒という本日の区間最速のペースを叩き出し、20㎞“1時間512秒”という“サブフォー”へ辛うじて望みをつなげた。


しかし、おいらの身体がもったのはここまでであった。股関節と足首の痛みの訴えが尋常なレベルではなくなってきたのである。膝が痛くないから脚を前に送り出すことはできる。けど限度というものがあるじゃないか。痛い。そして右と左の痛む箇所が違うことにより、バランスよく前進していかない感覚。おいらは本大会に出場するにあたり、気合い入れるために頭髪を丸坊主にしようと考えていたのだけど、どうせ丸坊主にするくらいなら一度アンシンメトリー(左右非対称)に挑戦してからにしようと思いたち、結果的にアシメの出来に満足してしまったために、人生初の左右非対称で走っているために尚更だ。


25㎞地点通過。“2時間202秒”(つまり20~25㎞ー2900秒)


相当オーバーしている覚悟だったが、まだ2時間20分程度か。腕のペース表と見比べる。258秒の借金。もう無理か。いやまだ大丈夫なはず。駆け抜けながら脳内電卓をはじく。あのペース表にはじつは若干の余裕を仕込んであるのだ。最後の2.195㎞のために20分を用意している。ラストの余裕を前倒しすれば、どういう計算になる。30㎞地点に2時間47分以内に到達できれば限りなく低いけれど可能性は出てくるのではないか。ということは30㎞地点までの5㎞が勝負所か。よし、ここでもう一度出出しの㎞524秒ペースに戻すことができれば! 右足股関節と左足首の厳しい痛みも膝でないことを理由に完全無視。兎に角できうる範囲で両足の回転を速めていく。全ては気力でかたがつくのだ。うぉらららあryらあららっあらあlあ


ボキッ(つづく)