3年連続!! たままたまた42.195㎞挑戦。(いままでの経緯) | 栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

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人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

おいらは昨年の春同様、今年も「東京・荒川市民マラソン in ITABASHI」に参加することにしました。これで070809年と3年連続フルマラソンを走ることになります。何故走ることになったのか、その挑戦動機を今日は書く予定だったのだけど、少し予定を変更して、おいらが最初にマラソン大会に出場するきっかけまで遡ってみたいと思う。


おいらは基本的に運動音痴なので、スポーツといえるものに取り組んでいたのは小学生時の6年間の剣道だけであった。それからはぶくぶくとよく肥え、時には痩せ、また肥え、時には痩せのくり返しをしていた。要するに体重や見た目に感心がなかったのです。大学を卒業後、そういった生活を思い直して少しは運動を生活に取り入れようと思うようになった。その頃から水泳やジョギングを取り入れてきたが、それは体を動かすための手段でしかなく、意識して取り組んでまではいなかった。


徒歩ることを前提としている街東京で、それ相応の体型を手に入れたおいらは満足して運動をしなくなったが、宇都宮に引っ越してきて2か月、ふと気が付くと人生最高体重を記録していた。その当時ミクシィに投稿がこれだ(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=205105978&owner_id=1064357  ,http://mixi.jp/view_diary.pl?id=206278440&owner_id=1064357&org_id=205105978 )。書いている本人もまだフルマラソン挑戦に繋がるとは思ってもみなかった頃のことである。


上記068月に、おいらは体脂肪計を購入し、1年間で10㎏減量することを宣言する。詳細はミクシィで報告してきた通りであるが、おいらは減量の回答を見付けて、鋭意取り組み、1年間で10㎏減量することに成功した。その減量方法の主役こそがジョギングである。おいらは当初は5㎞も走ればばてている様相だったが、時機に馴れ、コンスタントに10㎞走ることができるようになった。1年間ずっとジョギングし続けたおいらは、078月、減量作戦終了と共にジョギングを止めることに一抹の寂しさを覚えたのである。それは戦時下では英雄だなんだとちやほやされる軍人が、太平の世では人殺しと蔑まされるのと同じように思えた。


おいらはこの減量作戦を共に戦いぬいたジョギングと記念になる何かを残そうと思った。そこで思いついたのが、3カ月後に開催される河口湖マラソン(フル)に出場するというプランだった。それは最初漠然とした考えだったが、減量作戦終了した8月時、調べ出すと、河口湖フル出場の申込みも宿泊施設の予約やツアーの申込み等々、もろもろが締切ギリギリということが判明する。迷っている暇がなかったので、ちょっとした思いつきだったものが、可決されそのまま実行に附されたのである。ある意味ラッキーだったかもしれない。兎にも角にも、11月末の河口湖フルに参加することになった以上、どうすれば完走できるのか考え、前哨戦として、11月冒頭に開催される那須塩原ハーフにも参加を申し込み、おいらのダイエット成功記念フルマラソン挑戦のプログラムは形作られていきました。


以上のように、おいらのとっての未知の世界だったマラソン大会への参加表明は、ただの減量成功記念を祝うためのファンランでした。だからフルマラソンを完走できればそれで十分であり、その点、河口湖フルは制限時間が6時間もあるので、完走できないはずがないので都合がよく、また富士山の麓を走るのは観光旅行と兼ねられるなとの邪な考えも考慮にいれて、軽い気持ちで参加することにしました。


おいらは1年減量のために走り続けていたとはいえ、ずっと11㎞以上は走らないできました。だから初めて20㎞走ったのは、079月に入ってからです。その20㎞を無事に完走し、初めての大会出場となる那須塩原ハーフも完走し、河口湖フルも見事に完走しました。おいらとしてはこれでジョギングとの関係は終わるはずでした。しかし、同じく河口湖を完走したことのある知人からクレームが入ったのです。それはこういうことでした。おいらの河口湖フルは完走したことにならない。なぜならば、途中1時間も歩いているからであると。


おいらとしては、河口湖フルに参加したのはあくまで減量記念だったから、制限時間の6時間以内にゴールできればいいという考えがありました。だから走りながら、富士山の景色を持ち歩いていたカメラで撮影したりしていたのです。知人曰く、そのように徒歩りまくってのゴールは、42.195㎞を完走したことにならないというのです。42.195㎞、歩くことなく走り続けて初めてフルマラソン完走したと言えるのだと。


自分も歩いて完走したのに何様なんだと思うわけですが、おいらとしてはそもそも参加の前提が違いましたのでどうでもいいことでした。がしかし、その当時のおいらとしては歩かないで完走することなど、容易いことに思えました。おいらのもっとも優れた特性は“忍耐”なのです。小学校低学年の時点で、忍耐と刻まれた石を持ち歩いていたほどです。この糞詰まらない人生を生き抜くのに最初に育てておかなければならないのが“忍耐”だと悟り、おいらは忍耐力を鍛えることだけは独自にやり抜いてきたのです。


というわけで、おいらは河口湖マラソンで歩いたのは、もともと歩くことに抵抗がなかったからであって、歩くなと言われれば歩かずに42.195㎞くらい完走できることを証明すべく、4カ月後の083月開催の荒川フルにエントリーするのでした。そして有言実行、歩かずに完走を成し遂げます。これでおいらとマラソンの関係は終止符がついたのです。(つづく)


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人生初の20㎞走。(前編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=552869097&owner_id=1064357

人生初の20㎞走。(後編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=554735959&owner_id=1064357&org_id=552869097

初ハーフマラソン体験記(前編)「那須塩原ハーフマラソン」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=740849692&owner_id=1064357

初ハーフマラソン体験記(後編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=742041095&owner_id=1064357&org_id=740849692

初フルマラソン体験記(前編)「河口湖日刊スポーツマラソン」

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=742783332&owner_id=1064357&org_id=742041095

初フルマラソン体験記(後編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=743795006&owner_id=1064357&org_id=742783332

初フルマラソン体験記(後日談)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=744784325&owner_id=1064357&org_id=743795006

東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(挑戦動機)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=993225271&owner_id=1064357

東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(本番当日・前編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=999801687&owner_id=1064357

東京・荒川市民マラソン in ITABASHI(本番当日・後編)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1001578593&owner_id=1064357

3回那須塩原ハーフマラソン

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1105500590&owner_id=1064357