Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』 -37ページ目

Daybreak

バンド活動報告--


今回は、

Bassの新メンバーが加入し、
全パートのメンバーが揃い、

バンド初の新曲も完成し、

これから本格的に活動が進んでいくため、

それらの御報告と新曲の紹介の前に、

詳しく話せていなかった、

元々、結成準備をしていた、
新バンドの、結成の白紙撤回からの、

ロックバンド・No Momentへの、
発展的解消と、僕の加入の、

経緯について--


昨年の夏…

人生再起を成し遂げ、

新たな地へ移住・定住し、
新たな自分自身として、
新たな人生をスタートさせ、

バンド活動も再開することとなった僕は、

僕の、凄惨な転落人生からの、
孤独で壮絶な人生再起劇による、
バンド活動休止に伴い、

(いつ活動再開できるか、わからなかったため、)
僕以外の全メンバーが脱退という形で、
メンバーが僕一人だけの状態で、
無期限活動休止となっていた、

僕が中心となって結成し、
リーダーとメインコンポーザーも務めていた、

ビジュアル系ロックバンド、
podsol≒suicideに関しては、

既に、活動当時で、最低限は、
バンドの音楽性での楽曲を、
創り切ることができていたこと、

人生再起劇の日々を通して、
音楽性の幅や哲学的な世界観も広がっていたこと、

かつてのメンバー達への申し訳なさや、
新たな人生をスタートさせることも鑑みて、

唯一の在籍メンバーの権限により、
解散を宣言したため、

podsol≒suicide時代の世界観も踏襲しつつ、
新たな音楽性の、

“新バンド”を、
結成していくこととなった。

新バンドでは、僕の世界観と、
新たなメンバーの音楽性とが合わさることで、
新たな音楽性を築いていくため、

楽曲は、新たなメンバー達と、
共作で、制作する方針とした。


そして…

新バンドの、新たなメンバーとして、
楽曲の共作パートナーとして、
共に中心メンバーとして、

2年前の秋に、ライヴを観に行った、
昔からの友人がDrumsを務めていたバンドにて、
Guitarを務めていた、

その友人からの紹介で知り合い、
好きな音楽の趣味が合っていて、
仲の良い友達になっていて、

ライヴでのギターの演奏は、とても繊細で魅力的で、
ステージに立つ姿は、輝いていて、
物凄くカッコよくて、オーラがあって、
憧れのアーティストでもあった、

ギタリストAが、
(※本人が、自身の活動が軌道に乗るまで、
公にしない意向であるため、名前は伏せる。)

ちょうど、そのバンドを、
脱退していたということで、

是非とも、彼と一緒に、
新バンドを結成したいと思い、

彼を誘ったところ、
快く承諾してくれたため、

彼と共に、新バンド結成の、
準備をしていくこととなった。


そして、そんなタイミングで、偶然にも…

僕がpodsol≒suicideの前に参加していたバンドにて、
Drumsを務めていたメンバーから、

『Tamaさんとバンドやるの楽しかったから、
よかったら、また誘ってよ!』

…と、連絡があった。

とても嬉しかったが…

…人生を再起し、過去は断ち切り、
新バンドは、新たなメンバーと共に、
結成しようとしていたということもあり、

過去のバンドで一緒に活動したメンバーとは、
もう活動するつもりはなかった…

…しかしながら、3年振りに、再会してみたところ、

お互い、色々と、生活の状況や、
バンド活動に対する方向性なども変わっていて、

活動時の名前も、表記を改名するとのことで、

お互い、過去は関係なく、新たな気持ちで、
新たな音楽を、奏でていくことができそうだと思い、

前の前のバンドでDrumsを務めていたドラマーを、
新バンドのDrumsのメンバーとして、
迎え入れることとなり、

あとは、Bassのメンバー探しだけとなった。


しかしながら、今年の2月…

僕は、ギタリストAから、告げられた--

『やっぱり、Tamaとは、一緒にやれない…』


…僕と彼とは、“音楽性”は、非常に近い。

一方で…

音楽によって表現する、
“世界観”は、

podsol≒suicide時代から踏襲していた、
僕のダークで病的な世界観が、

彼とは合わないのではないかと、
懸念が示されていた。

また、(これは、そう言われたわけではないが、)
昨年末には、僕が、色々とあって、
情緒不安定になってしまったということもあり、

信頼を失ってしまった部分もあったのかもしれない…


そして、彼は、新バンドには、
参加しない意向を固め、

既に、別のバンドを、
前述の彼の前のバンドの、メンバーでもあった、
ギタリストBと共に、結成していた。

それが、このバンド、
No Momentである。


以降も、ギタリストAとは、
仲の良い音楽仲間の友達として、交流が続いた。

そして、彼が結成した、No Momentの、
彼が作曲した楽曲のデモ音源を、
聴かせてもらった。

…たしかに、僕の音楽性とは、
ちょっと違ったバンドであった。

しかしながら、
とても繊細で魅力的な音楽性で…

“新たな音楽性”との、
出会いであった。


…僕は、ギタリストAに、申し出た--

Vocalが不在であった、
No Momentに、

僕が、Vocalとして、
“加入”したいと…


…改めて、僕は、従来の自身の音楽性よりも、
“新たな音楽性”を、求めているということ、

そうしたこともあって、もし加入できるなら、
No Momentでは、彼が懸念していた、
podsol≒suicide時代のような、
ダークで病的な世界観は踏襲しないということ、

もちろん、僕のことだから、
少し繊細な世界観にはなるかもしれないが、
それは、ギタリストAの繊細な音楽性と、
合わないということはないということ、

結成予定であった新バンドは、ビジュアル系で、
No Momentは、ビジュアル系ではないが、
僕も今は音楽性の幅が広がっているので、
ビジュアル系でなくてもいいということなど、

想いを、伝えた。


…断られると思っていたが、

ギタリストA曰く、

No Momentも、
結成予定であった新バンドと同じく、
メンバー達みんなで、
音楽性を築いていく方針なので、

僕が伝えた条件であれば、
No Momentで一緒にやっていけると、

受け入れてくれて、

あとは、ギタリストBに会って、
彼が作曲したデモ音源も聴いてから、
加入を決めてほしいとのことで、

ギタリストAと話をした、その日に、
早速、ギタリストBと会い、

聴かせてもらったデモ音源も、
なかなかセンスのある音楽性で、
気に入ったのだが、

それ以上に、とても良い人で、
とても面白い人で…(笑)

楽しくバンド活動ができそうだと思った。


こうして、2月末をもって、
新バンドの結成は、“白紙撤回”となり、

3月より、僕は、
No Momentに、加入し、

No Momentには、
Drumsも不在であったため、

結成予定であった新バンドの、
Drumsのメンバーも、事情を説明し、
共に加入してもらうこととなり、

結成予定であった新バンドは、
“発展的解消”となった。


そして、No Momentは、活動が進んでいき、

その後、ギタリストBの、
高校時代の友人である、ベーシストが、
Bassのメンバーとして、新たに加入し、

新曲も完成し、現在に至る。


新曲は、ギタリストAが作曲した原曲に、
僕が歌メロを作曲し、歌詞の原詞も作詞し、

原曲の各パートを、各メンバーが、
それぞれ、アレンジし、

原詞も、原曲作曲者のギタリストAから、
リクエストを聞いて、アレンジし、

さらに、メンバー達の意見を交え、
全体的に、アレンジを重ね、

メンバー全員で、作詞・作曲し、
出来上がった楽曲である。


僕からは、原詞の作詞者として、
新曲の、歌詞の解説--

作詞をするにあたって、
ギタリストAが作曲した原曲を聴くと、

まず、イントロは、真っ暗な闇夜に、
明るい太陽が昇っていき、夜が明け、
清々しい青空が広がっていくようなイメージで、

ところが、イントロが終わると、
Aメロは、静かな曲調となり、

再び、闇夜に覆われてしまうようなイメージで、

しかしながら、Bメロに移ると、
力強いロックサウンドとなり、

再び覆われた闇夜に対して、立ち向かい、
力強く闘っていくようなイメージで、

そして、サビは、
イントロと同じ展開なのだが、

Aメロ・Bメロを聴いた後では、
全くイメージが違い、

イントロは、自然に、
闇夜が明けていくようなイメージに対し、

サビでは、苦労して闘いを乗り越えた果てに、
闇夜が明けていくようなイメージであった。

…僕は、曲名を、“夜明け”を意味する、
『Daybreak』と、名付け、

何度も暗闇が繰り返される情景に重ね合わせた、
孤独で壮絶で波瀾万丈な自身の過去の境遇と、

僕だけではなく、作曲者の彼も、
苦労してきたのを、僕は知っており、
他のメンバー達も、きっと同じだと思うが、

そんなメンバー達が、波瀾万丈の果てに出会い、
今、こうして、共に、バンドで、
音楽を奏でることができている、喜びと、

これから、このバンドで、
過去に囚われず、新たな音楽を、
みんなと築き上げていくという、決意を、

“夜明け”という、叙景の世界観で、表現した。


やはり繊細な世界観にはなってしまったが、

前向きな歌詞は、
ギタリストAから高く評価され、

結果として、かつて結成予定であった、
新バンドで、目指していた、

僕の世界観とギタリストAの音楽性が合わさっての、
新たな音楽性の創造が、実現した形となった。


いつか、ライヴやCDで、
この曲を聴ける日を、
楽しみにしていてほしい。

それ以上に、僕自身が、

この曲を歌う日を、
楽しみにしている--


『Daybreak』
作詞・作曲・編曲:No Moment (※原詞作詞:Tama)

I was shouting the song of despair with the length.
But, people are requesting a happy song from me.
No one listen to my voice. I can't make a happy song…
Then, the friends showed up, and the song was given.

深き闇夜は 静かに切り裂かれ
喜びの声と共に 風に導かれる

闇を越えて 届けたい
形を変えて 届くなら 壊せ!
孤独を 打ち破る ユートピアへ
Daybreak…『ほら、夜が明ける』

I'd attemped suicide. I'm loneliness and loveless still now…
この苦しみは消えることはないけれど
流れてきた音色に 忘れかけていた
歌声を発してみよう…傷痕、消えた

旅路の果てに ここに辿り着いたのは
僕だけではなかった 共に奏でるため

霞む光さえ 見えず
影を引き 輝き失せた 空さえ
心の眼には たしかに 何かが映った
Daybreak…『ほら、夜が明ける』

「一人」でも 「独り」じゃない
たとえ 夜が 明けなくてもいいさ
暗闇を 燈した 光の幻想
Daybreak…『今、歩き出す』

ラヂオ



『東京民報』という、
新聞を、購読し始めた--


日曜日のみ発行、4ページのみ、月額400円と、

週1だけ短時間で読める安価な新聞で、

新聞名の通り、
東京都の情報に特化した、

地域ローカル紙で、

支持政党である、日本共産党の、
東京都委員会の、地方機関紙が、
独立している新聞社であり、

左派・革新的な論調である。


地域の情報を、
進歩的な政治哲学と共に、
知り、学び、考察し、

地域に根付いて、
知性を培っていきたい。

Viola.



バンド活動報告--


今日は、スタジオ練習で、
池袋郊外のスタジオへ。

東京都内でも、

僕は、下町である東部の、
さらに北部の郊外に住んでおり、

Drumsのメンバーは、少し遠方から、
北部の郊外に車で遠距離通勤しており、

他のメンバーは、西北部の郊外に住んでおり、

それぞれ離れているが、かろうじて、
北部という地域区分では共通しているので、

東京の中心繁華街である西部の、
3大都市(新宿・渋谷・池袋)の中では、
北部に位置し、

僕は東部なので少し遠く時間はかかるが、
路面電車で乗り換えなしで行けるため、

池袋が、活動拠点となっており、

スタジオ練習やミーティングの際には、
混雑を避ける目的と、
Drumsのメンバーが仕事帰りに車で来るため、

その郊外の、スタジオや、
周辺の喫茶店等で、集まっている。


そして、今日のスタジオ練習では、

まだ決定はしていないのだが…

Bassのメンバーが見つからないため、

なんと、僕が、
“Vocal&Bass”として、
兼任をする案が浮上…

僕がベースを弾きながら歌った(笑)


…実は、僕は、中学時代に、
所属していた部活の、吹奏楽部で、
コントラバスを担当していたため、

エレキベースを弾くことができるのだ。


ベースを弾きながら歌うのは、
なかなか難しかったが、

久々にベースを奏で、
懐かしい気分であった。

speeeaker



最近、“MD/CDラジカセ”を、
使っていないことに、気づいた--


…音楽好きで、バンドもやっているのに、
意外だと思われるかもしれないが、

(ラジオは、元々、聴かず、)

CDは、パソコンの、
内蔵CD/DVDドライブで、
再生することができ、

録音に関しては、今は技術が進歩して、

昔のような、CDの音源をメディアに録音して、
メディアを再生するという、概念はなくなり、

CDの音源をパソコンにデータ変換して取り込めば、
パソコンでも聴くことは勿論ながら、

さらにパソコンに取り込んだ音楽データを、
iPod等のポータブルプレーヤーに入れれば、
iPod1台で何千曲も持ち運びできる時代となり、

カセットテープは勿論ながら、
かつて、カセットテープに代わり登場し、
次世代の最先端メディアと言われていた、
MDですら、古い存在となり、

CD再生、MD録音・再生、
カセットテープ録音・再生、ラジオ、

MD/CDラジカセの、全ての機能が、
必要なくなってしまった。


…しかしながら、ノートパソコンは、
内蔵スピーカーの音質が悪く、

iPod nanoは、イヤホンを繋がないと、
聴くことができない…


そこで…

北千住のノジマにて、
“ミニアンプスピーカー”を、
購入してきた。

お気に入りのカラオケ店、
『カラオケの鉄人』で使用されている、
マイクやスピーカーと同じメーカーの、
audio-technicaの製品をチョイス。

ちなみに、iPod用のイヤホンも、
バンド活動用のマイクも、
audio-technicaの製品を愛用している。


こうして、パソコンやiPodに、
スピーカーを繋いで、

MD/CDラジカセのように、
音楽を聴くことができるようになった。


…これで本当に、

MD/CDラジカセが、
不要になってしまった(笑)

エメラルド・ブルー



人生再起と共に移住した新たな地、
荒川区・南千住にて、

新たな長期アルバイトが見つかるまで、
(日雇労働者の街ということもあり、)
単発アルバイトを繰り返してきたが…

…ようやく、新たな長期アルバイトが、決定!


新たなアルバイト先は、

コンビニエンスストア、
FamilyMart--


過去、アルバイトは、
(登録制・派遣・短期・単発を除く)

コンビニ、不動産屋、居酒屋にて、
経験をしてきたが、

その中でも、コンビニが、
8割をも占め圧倒的に、最も経験が長く、

同じチェーンで、故郷と東京の、
計2店舗での、経験があるのだが、

故郷の店舗にて真面目に出来なかった反省から、
東京の店舗では一生懸命に取り組んだということもあり、

仕事のスキルにも、それなりに自信があり、

過去の経験を充分に活かすことができるため、

過去にアルバイトをしていた、
かつて存在した、コンビニチェーン、
am/pmを、吸収合併した、

FamilyMartにて、
アルバイトをすることにした。


プライバシー保護のため、
店舗名は非公表とさせていただくが、

南千住には、ファミマが、3店舗あり、

その中でも、自宅マンションからは、
最も離れた店舗なので、

基本的には自転車通勤で、
雨の日などの徒歩では、
約15~20分かかってしまうが、

あまり近すぎない方が、
プライベートとの住み分けもできるので、
悪くはないでしょう。


引き続き、大学に通いながら、
生活費・家賃・学費・活動費のための、
アルバイトもしていく生活となるが、

不安定な単発アルバイトの繰り返しから、
安定した長期アルバイトとなり、

大学も、もう4年生なので、ゼミの授業と、
春学期は、1科目だけで、週2のみ、
秋学期は、卒業論文(授業なし)だけで、週1のみで、
多くの日数や時間、シフトに入ることができるため、

安定して充分な収入を得ることができる。


また、今回のアルバイト先のシフトは、
曜日・時間帯固定ではなく、

出勤希望日・時間帯を提出し、
1ヶ月ごとに決まるシステムなので、

バンド活動や就職活動との、
スケジュール調整も、安心。


そして、個人的には、
今回のアルバイト先では、
アルバイトを通して、

下町の郊外ということもあり、
アルバイトスタッフも御客様も、
地域住民である場合が多いと思うので、

この人生再起と共に移住した地域に、
根付いていくことができたり、

実は、将来は、フランチャイズでもいいので、
独立して個人事業で働きたいと思っているので、

コンビニのフランチャイズ経営についても、
学ぶことができたらと、思っている。


…人生再起と共に、
荒川区・南千住に移住し、
新たな人生がスタートし、

ちょうど、9ヶ月…

一人きりでゼロからのスタートで、
不安定な日々から始まり、

何もかも全てが難航し、苦悩が続き、
度重なる御失望もさせてしまい、

少し時間はかかってしまったが…

…こうして、この春、

バンド活動も再開し、

大学の卒業要件単位修得も概ね完了し、
大学卒業後の進路希望も決まり、就職活動も始まり、

新たな長期アルバイトも決まり、
移住先の地域にも根付いていくことができそうで…


…記念に、荒川区役所にて、

荒川区の、公的身分証明書、
『住民基本台帳カード』を、作成した。


これから、荒川区民として、
この荒川区・南千住で、

この再起後の人生を、
建設していきたい。

釘を打つのは弾圧



昨日は、荒川区議会議員選挙であった。

人生再起と共に、荒川区に移住してから、
初の、区議会議員選挙…


投票所は、荒川区立南千住第二中学校。

中学校の校舎内に立ち入る機会も、
あまりないので、

投票のために、ほんの数分、
立ち入っただけではあったが、

個人的には、中学時代まで、
平穏な人生を送っていたということもあり、

なんだか、出身中学でもないのに、
中学時代の明るい青春を思い出し、

懐かしく感傷的な気分になってしまった…


僕が支持している政党は、

『日本共産党』--


選挙権を得た、約2年前…

元々、個性的な少数派であったことに加え、

高校時代には、凄惨な転落人生により、
故郷も友人も家族も、自分自身さえも、
何もかも全てを失い、

その後、家出をしての、
上京もして、各地を転々としての、

大学に通いながら、
生活費や家賃や学費のための、
アルバイトもしながらの、

孤独で壮絶な、人生再起劇の日々に、
苦労していた僕は、

こんな個性に不寛容な日本は、
こんな辛い想いをする社会は、間違っている、
こんな苦労を、他の人にはしてほしくない…

…この間違った日本社会を、
みんなが平等に幸せになれる社会に変えたい!

…という、想いから、

格差のない平等な社会、“共産主義”の実現のため、
大きな変革、“革命”を目指す、
『共産主義革命』を、掲げた政党であり、

どの政党よりも、強く、
格差社会に反対し、社会変革を主張し、
政府や政権を批判している、

共産党を、支持政党として、選んだ。


そして、選挙の際には、
共産党の候補者に、投票し、

大学の近くの会場で開催された、
共産党の党首、志位和夫・委員長の、
講演会を、個人的に聞きに行ってみたり、

大学で、共産党の学生運動組織である、
『民主青年同盟』と、出会い、
“大学無償化”の、署名活動に協力したりもして、

ちなみに、民青からは、加入の勧誘もあり、
少し興味はあったものの、

個人的には、“平等”なだけではなく、
個性が尊重される、“自由”な社会への、
変革を望んでおり、

共産党の全てを支持しているわけではなく、

組織に縛られるのも好きではなく、

そして、何よりも、当時は、
孤独で壮絶な人生再起劇により、

バンド活動も休止となっており、
サークルすら辞めることになってしまっていて、

学生運動をやっている余裕などはなかったので、
勧誘は御断りをさせていただいたが、

人生再起後、荒川区移住後も、
一人きりでゼロからのスタートで、
不安定な日々から始まり、苦悩は続き、

変わらぬ想いで、
共産党の支持を続け、

昨年の、参議院議員選挙では、
東京選挙区は、
共産党の、小池晃さん(落選)、
全国比例区は、
共産党の、市田忠義さん(当選)、

2週間前の、東京都知事選挙では、
無所属で、共産党・推薦の、
小池晃さん(落選)に、投票した。


そして、今回の、荒川区議会議員選挙では、
共産党の、相馬堅一さんに、投票。

荒川区は、共産党の支持率が高いようで、
共産党の区議会議員の方が、
なんと、6名もいらっしゃり、

その中から、南千住が地盤である、
相馬さんを、選んだ。

そして、今回の選挙では、全員が再選、

僕が投票した、相馬さんは、
なんと、2位で当選!


…孤独で壮絶な人生再起劇の果て、
運命的に、導かれ、辿り着き、

人生再起と共に移住した、
荒川区・南千住--

南千住には、日雇労働者向けの安宿が密集する、
ドヤ街の、『山谷地区』があり、
ホームレスの方々が、非常に多く居られ、

荒川区には、朝鮮市場や朝鮮学校があり、
朝鮮語や朝鮮文字が街中に溢れており、
朝鮮人の方々が、非常に多く居られ、

貧困や差別など、様々な事情を抱えた人々が、
困難な境遇に苦労しながらも、
多様なライフスタイルで生活している、
地域特性のある街であるということもあり、

共産党の支持率が高いのかもしれない。


…奇遇なことに、そんな、この街は、

孤独で壮絶な人生再起劇の果ての、
この再起後の人生にも、

哲学的な世界観と、
独特なライフスタイルの、
この個性的な僕にも、

そして、共産党支持者としても、

この上なく、相応しい。


この、再起後の人生においては、

この、荒川区を、
“居場所”にしていきたい。

爆竹



ブログの更新を、再開する。

多大なる、そして、度重なる、
御心配、そして、御失望をさせてしまい、

大変、申し訳なかったが、

ちょうど、春が訪れ、新年度も始まった、
絶好のタイミングで、

数々の、難航していたことに関して、

色々と、良い御報告--


まず、バンド活動に関して--

2010年7月1日より、

新バンド結成に向けて、
準備を進めてきたが…

…この度、2011年2月末をもって、

結成予定であった、
新バンドは、

結成を、
“白紙撤回”とし、

2011年3月より、

僕と共に新バンド結成準備の中心メンバーであった、
Guitarのメンバーにより、
既に結成されていた別のバンド、

『No Moment』に、
“発展的解消”とし、

僕とDrumsのメンバーは、
No Momentに、
“途中加入”という形で、

バンド活動を再開することとなった。


詳しい経緯や音楽性などについては、
またの機会に御話しさせていただきたい所存であり、

新バンドに期待してくださっていた皆様には、
申し訳ない気持ちではあるが、

また、御報告が、
1ヶ月遅れになってしまったが、

これから、改めまして、

ロックバンド、
No Momentの、

Vocal、
Tamaとして、

よろしく御願い申し上げたい。


ちなみに、結成予定であった新バンドは、
ビジュアル系ロックバンドであったが、

No Momentは、ビジュアル系ではなく、

僕も、ビジュアル系の中でも、
1990年代の昔のビジュアル系が、
好きであるということや、

今は、やはり昔の音楽にはなるが、
1980年代のビジュアル系の前身的なバンドや、
1960年代のグループ・サウンズなど、
ビジュアル系以外のロックも聴き、

また、最近の音楽だと、
個人的に朝鮮に興味や縁がある影響で、
韓流ブームも相まって、
韓国音楽も聴いていたりして、

好きな音楽も、自身の音楽性も、
幅が広がっているということもあり、

これを機に、

『ビジュアル系“卒業”』を、
宣言したいと思う。


そして、大学では、最終学年の、
4年生に、進級--

前学期は、過去に色々とあった影響で、
遅れてしまっていた単位修得のため、

3年生の秋学期にして、
過去最多の科目数を履修することとなり、

友人達が、卒業要件単位修得を概ね終え、
就職活動等に取り組んでいるなか、一人で寂しく、

生活費・家賃・学費・活動費のための、
アルバイトもしながら、

新バンド結成準備活動(当時)もしながら、

さらに、幾多の不幸な出来事が重なり、
精神的に病んでしまっていたなか、

朝から夕方まで毎日、授業を受け、

非常に、大変で、苦労したが、

無事、全単位を修得することができ、

今年度、4年生では、
必修のゼミと卒業論文以外には、

この春学期に、2単位の授業を1科目のみで、
卒業要件の単位数を取得できることとなった。


記念すべき、
大学で最後に選択する科目は、

『哲学入門』--

…実は、僕が通っている大学は、

東洋大学なのだが…

…高校時代、凄惨な転落人生により、
不登校になってしまった影響で、学力が低下し、
偏差値は60から39まで落ちてしまい、

(難関私立文系志望であったが、
短期間で学力を回復するため、)
超難関国立理系受験生向けの、
非常にレベルの高い、

駿台予備校に、最後の半年間だけ通うも、
50台前半までしか回復できず、

大学受験では、
志望の難関私立大学の入試は、
全て不合格となり、

滑り止めで入試に合格した、
第5志望の、中堅私立大学の、
東洋大学に、進学したという経緯から、

当初は、入学した大学に対して、
あまり誇りが持てなかったどころか、
学歴コンプレックスも抱いていて、

2年生の秋には、かつての第1志望の大学の、
“3年次編入学試験”も、受験しようとしていた。
(※当該編入試が実施されなかったため断念)

しかしながら…

大学では、とても楽しい大学生活に恵まれ、

授業では、幅広い選択科目の中から、
多様な知性や教養を個性的に培うことができ、

ゼミでは、学びたい専門分野を、
高度に研究することができ、

そして、この大学時代に、
人生再起を成し遂げたということもあり、

また、東洋大学は、

前身が哲学を学ぶ学校であり、
『諸学の基礎は哲学にあり』を建学精神とし、
哲学系の科目が充実しており、

哲学的な僕には合っており、

さらに、現代の入試難易度では、
『日東駒専』(日本・東洋・駒澤・専修)で、
中堅レベルとされているが、

古くは、“政治学”の早稲田、“経済学”の慶應義塾、
“法学”の中央、“哲学”の東洋で、
『4大私立大学』として、

超難関レベルの『早慶』(早稲田・慶應義塾)や、
難関レベルの『MARCH』のうちの一つの大学と共に、
(明治・青山学院・立教・中央・法政)

由緒ある名門大学であったということも知り、

誇りを持って、東洋大学を、
卒業していこうと思い、

(哲学系の科目は、既に履修したことはあるが、)

最後は、東洋大学の礎である、
哲学を学んで、卒業していくことにした。


ちなみに、大学卒業後の進路に関して…

詳しくは、またの機会に、
御話しさせていただきたいが、

…当初は、(他大学の、)
大学院・修士課程への、
“進学”を希望し、

大学院受験に、
取り組んでいくつもりであった。

しかしながら…

検討した結果、

“就職”を希望することに、変更し、

4年生になってからと、
かなり出遅れてしまったが、

就職活動を、始めることとなった。


…こうして、
ビジュアル系ではないバンドに加入し、
就職活動も始まるため、

金髪・長髪の、派手な髪型から、一転し、
黒髪・短髪の、落ち着いた髪型に。

…代わりに、就活時以外の髪型は、
ハードなヘアスプレーで、派手に逆立て、

バンド活動時には、
かつてビジュアル系であった名残で、
少しだけ軽いメイクもして、

1980年代のロックミュージシャン風に(笑)


さらに、アルバイトも、

人生再起後、移住先の地では、
長期アルバイトも見つからないまま、
不安定な単発アルバイトを繰り返す日々であったが、

派手な髪型でなくなったということもあり、
応募できる求人の選択肢の幅が広がったため、

新たな長期アルバイトが、
ようやく、決まりそうで…


…凄惨な転落人生からの、
何もかも全てを失い、各地を転々としての、
孤独で壮絶な人生再起劇の果て、

9ヶ月前、

新たな自分自身として、
新たな地に移住・定住し、
新たにスタートした、

この、再起後の人生…

ここからが、
真のスタート。

東日本大震災

ブログ更新停止中に、
更新してしまい、申し訳ない…


3日前、かつてないほどの、
大きな地震が、発生した--


僕が住んでいる、
荒川区は、震度5、

マンションの外壁は、崩落し、
部屋の中は、物が散乱…

現在も、大きな余震や、
生活物資の品薄状態などが、続いている。


しかしながら…

震源地の、東北地方の東部では、
震度7という想像を絶する巨大な地震が発生し、

津波により街は壊滅的状態、
二次災害により大火災も発生、
原子力発電所の爆発による放射能漏れと、
凄まじい被害に遭われており、

そんな状況のなか、被災者の方々は、
ライフラインが途絶え、生活物資も不足し、
避難所で非常に苦しんでおられる…


そんななか…

僕が好きな、ロック歌手の、
GACKTさんが、

今回の震災の被災地への義援金を募る、
基金を設立なさった--

GACKTさんは、関西地方に居られたこともあり、
阪神大震災も経験なさっていると思う。

ブログでは、地震発生から連日、
被災地を御心配なさる御言葉や、
災害発生時の対策や注意を呼びかけておられ、

被災地の力になりたいという熱意から、
基金を設立なさったことだと思う。

…僕も、この基金に、
義援金を寄附しようと思う。

もちろん、GACKTさんが設立した基金だから、
寄附するというわけではない。

テレビのニュースを通じて、
被災地の惨状を目の当たりにし、

少しでも助け合えないものかと思いながらも、
何もできないという状況のなか、

GACKTさんによる基金設立の情報が入り、

その熱意に心動かされ、
協力させていただきたいと思った。

被災地の皆様方のために、僕からも、
義援金寄附の協力を、呼びかけたい--

◎SHOW YOUR HEART基金
設立:GACKT
協力:NHN Japan


ちなみに…

つい先日に終わってしまった恋の相手が、
青森県に住んでいるため、

震源地からは遠く離れてはいるが、
同じ東北地方ということもあり、

心配になって、ダメ元で、
メールをしてみたところ…

…なんと、奇跡的に、返信が来た(笑)

話によると、青森でも、
停電が続いているとのこと…


被災地において被害に遭われた皆様には、
謹んで御見舞いを申し上げるとともに、

皆様の御無事と平穏な生活の再建を、

心から、
御祈り申し上げたい。

謹慎処分

また同じ過ちを、
繰り返してしまった…

…ブログの更新を、停止する。

しっかりと、反省を重ねて、

成果が出せたら、
戻ってくる。

Lost.

また恋が終わってしまった…--


実は、度々、何もしていないのに、
相手が、急に不機嫌になることがあった…

…けれど、優しく受け止めて、
いつも、機嫌を取り戻してくれて、

恋は終わらなかった。


しかしながら、今回は…

あんなに、僕も少し困っちゃうくらいに、
相手から連絡をくれていたのに、

『もう連絡してこなくていい』と言われ、

あんなに、まだ会ってもいないのに、
僕のことを好きだと言ってくれて、

あんなに、電話越しに、
互いに笑いながら話していたのに、

あんなに、楽しくて、
幸せだった日々が、終わってしまい…


…また恋が、

実らぬうちに、
終わってしまった…