Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』 -2ページ目

喪明けまで闘わなくてもいい



お久しぶりです。

覚えてますか?

Тамаです。

生きてます。


7月1日、

新体制崩壊から、約3ヶ月…

人生再起12周年を、
生きて、迎えることができた。


12年前、凄惨な(第一次)転落人生からの、
何かも全てを失い、各地を転々としての、
壮絶で孤独な、人生再起劇の果て、築き上げた、

この、再起後の人生は、

人生再起後も、波瀾万丈と苦悩が続きながらも、
建設と前進を成し遂げていき、

約8年前には、再びの人生壊滅の危機、
第二次転落人生に見舞われるも、

心支えてくれた存在との出会いもあり、
再起後の人生を護る、辛く過酷な闘いに、
勝利し、樹立された、

『新体制』の下、改めて再スタートし、
以降、存続が支えられ、

(現在、容態は長期的に安定しているが、)
途中からは、長年の苦労が祟ってか、
不治の病を抱えながらも、

不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、

余生さえも生き終え、身辺整理をも完了させ、
2年前には、一旦の終結が宣言され、

以降、昨年までは、
“安らかな終末”に、突入していた。

(※昨年までについては、2021年6月16日、
および、当該記事に記載の期日の、
各ブログ記事を、御参照いただきたい。)


しかしながら、ちょうど1年前、昨年の夏…

再起後の人生を、再びの壊滅から護る、
過酷な、第二次転落人生解放闘争当時、
辛かった時、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立に導き、命と人生を救い、

その後、新体制を、共に過ごし、
支えていた存在を、

失うこととなってしまった…


そして、新体制を支えていた存在を、
失うこととなってしまった結果、

新体制は、“崩壊”することが、確定し、

昨年の夏から秋にかけては、この影響で、
喪に服すなどしていたということもあり、

4ヶ月半以上もの、長期に亘り、
地域と職場を除き、音信不通にもなってしまい、

昨年の秋の終わりには、

崩壊することとなった、新体制は、

かつて、第二次転落人生により延期されていた、
ソロでの音楽活動の始動を、一番の目的とした、
第二次転落人生解放闘争の、結果として樹立され、

ソロでの音楽活動の、存在意義であったため、

新体制の崩壊に伴い、存在意義を失い、
新体制樹立と共に始動し、新体制下で続いてきた、

ソロでの音楽活動は、終了することとなり、

最後に在籍したバンドの脱退時に、
最後の音楽活動であると宣言していた、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

音楽活動を、“引退”することも、確定し、

年が明け、今年の年始から、約3ヶ月間、

最後の音楽活動として、
ラストシングルCDのリリースと、
ラストライヴ映像の配信を行い、

最後に、音楽活動引退のみならず、
新体制崩壊としての、最後のイベントとして、

新体制を樹立に導いた、第二次転落人生解放闘争の、
戦勝の聖地、富山県富山市にて、

御別れイベントの生配信も行い、

約3ヶ月前、2022年4月10日、
新体制樹立8周年をもって、

新体制は、崩壊することとなり、

こうして、第二次転落人生解放以降、
存続を支えてきた、新体制の、崩壊により、
この再起後の人生は、

身辺整理までをも完全終結させていることは、
不幸中の幸いではあるものの、

安らかな終末は、無しとなり、
この終末も、末期となり、

まだ遠い先のことのように言っていた、
安らかな終末を終えた果てに迎えるであろうとしていた、

最期の物語が、
幕を開けてしまった…


…新体制崩壊後は、

新体制崩壊の最後の最後で、
(全てのイベントを終えていたことは、
不幸中の幸いではあったが、)

近所の路上で、かなり派手に、
足を挫いて、転倒してしまい、

右足首を靭帯損傷、さらに、
歩行困難による二次災害で、右手も負傷し、

全治3,4週間(初診時)の、
大怪我をしてしまったということもあり、

治療とリハビリのため、療養の日々となったが、

全治3,4週間と診断された怪我は、

なんと、約3ヶ月が経った現在も、
まだ完治には至っておらず、

仕事に復帰したのも、
つい、今月からであり、

まだ数ヶ月、リハビリの継続や、
後遺症の改善が、必要となる見込みで、

“杖”も必要な生活となってしまったが、

先月の末から今月の初めにかけては、

再会を約束していた、大学時代の友人や、
近隣地域(茨城県)の先輩とも、再会を果たせ、

ほんの少しだけではあったが、
参議院議員選挙の支援運動にも参加でき、
(※政治活動については、また後日、
秋に更新予定のブログ記事にて。)

さらに災難は続き、猛暑が続くなか、
エアコンが故障してしまい、
繁忙期のため、修理までに相当な時間がかかり、
熱中症の危機にも見舞われるも、

“除湿冷風機”を購入し、
エアコンの冷房の代わりとしては程遠いが、
なんとか、暑さを凌ぎ、

こうして、なんとか、生きて、
人生再起12周年を、迎えることができた。


さて、今日は、新体制を支えていた存在を、
失ってしまってから、1年が経ったため、

これをもって、“喪明け”とすることとし、

喪中に相当していたため、延期していた、
毎年恒例の正月行事、

葛飾区の仏教寺院、柴又帝釈天での、
厄除けを、行なってきた。

願目は、安らかな終末が続けば、
『除災得幸』をチョイスする予定であったが、
終わる人生に、幸せは必要ないので、

人生の最期、良き終わりを迎えられるよう、
『悪星退散』をチョイス。

また、身辺整理完了から1年が経った昨年、
“一周忌”に相当したため制作した、

“生前位牌”も、持参し、

厄除けの際に、僧侶の方と共に御経を唱え、
位牌への魂入れとした。


そして、喪中に相当していたため、
正月は、肉も魚も卵も禁止としていたので、

喪明けを祝して、正月に禁止としていた、
肉を、解禁ということで、

1年前の新体制を支えていた存在との別れに際し、
想い入れのある地のうちの一つとなった、
宮崎県から、取り寄せた、

(鶏)肉に(豚)肉を詰めた料理、
『手羽先餃子』を、おつまみに、

天涯孤独で、身寄りのない僕が、孤独死した場合、
荒川区役所によって、死後、
埋葬・供養される予定の、無縁仏がある、

立石(葛飾区)の、名物である、
梅割りハイボールを、

近所のスーパーマーケットの缶酎ハイではあるが、
弔い酒として、嗜んだ。


この再起後の人生は、

第二次転落人生解放以降、存続を支えてきた、
新体制が、崩壊したことにより、

以降、3回目の人生滅亡の危機、
『第三次転落人生』の、情勢下にあり、

もう、存続の保証がない状態となっているが、

存続する限りは、最期の最後まで、

人生の状況としては、既に、
何もかも全ての悔いなき完全終結を果たし、
生き終えているという状況であるため、

人生が終わるか、終わらないかの、闘いではなく、

良き終わりを迎えるか、不幸な終わりを迎えるかの、
闘いになるとは思うが、

むしろ、終わるからこそ、終わるなら終わるで、
終わり方というものがあるので、

かつての、人生再起劇や、
第二次転落人生解放闘争と同じように、

第三次転落人生に対しても、
強い信念で、最後に闘う意志があり、

これだけ波瀾万丈な生涯であった、
この僕らしく、

また何かしら、劇場的で個性的な結末で、
最期を迎えることになるとも思うので、

最期の最後まで、
見送っていただけたら思う。


そして、人生再起と共に始まった、
この、公式ブログも、

再起後の人生が存続する限りは、
最期の最後まで、存続する。

ただし、今後は、

年4回のみ更新の、
“生存報告ブログ”となる。

もしも、更新が途絶えたら、

再起後の人生は滅亡し、僕は死亡したと、
判断していただきたい。


再起後の人生が存続する限りの、
残された時間は、

再起後の人生を、共に生きてきた地であり、
再起後の人生の、神聖なる絶対的象徴である、

荒川区にて、

荒川区に対する、感謝と恩返しの気持ちと、

壮絶で孤独な人生再起劇の果て、最終的に辿り着き、
移住・定住し、僕の居場所となった地でありながら、

奇しくも、多様な社会的に弱い立場の方々の、
居場所となっている、地域特性のある、荒川区の、

人権を護りたいという想いで、活動してきた、

政治活動の、“遺志継承”として、

荒川区では、

旧・日本社会党~社会民主党の流れを汲んで、
立憲民主党に合流し、継承された組織である、
『社会民主主義フォーラム』の会員が、

僕一人だけという結果となってしまったため、

社民フォーラムの組織を、荒川区に築き、
僕亡き後にも、遺すための、

最後の活動に、取り組んでいきたい。


…本来であれば、新体制崩壊後、
この約3ヶ月の間に、計画や準備を行い、

今日から、取り組んでいくつもりであったのだが、

この約3ヶ月間は、怪我により、
治療とリハビリのため、療養となってしまい、

さらに、まだ数ヶ月、リハビリの継続や、
後遺症の改善が、必要となる見込みであるため、

この約3ヶ月の間に出来なかった、
計画や準備を行いつつ、

怪我のリハビリ継続・後遺症改善に、
専念するため、

秋頃まで、もう少し、
お休みをさせていただきたい。


…第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えた、
新体制は、崩壊し、

大怪我による痛みと、体が不自由な生活に苦しみ、
辛い治療とリハビリの日々を過ごしてきた、

この約3ヶ月間は、

韓国の、ビジュアル系ロックバンド、
트랙스(TraX)(※2019年に解散)で、
Guitarのメンバーであった、

정모(ジョンモ)さんの、ソロ最新曲、

『끝이 좋으면 다 좋아』を、
ずっと、聴いていた--

曲名は、日本語で、
“終わり良ければ、全て良し”。

悩んで辛い時は、考えすぎないで、
疲れて苦しい時は、しばらく休んで、
ゆっくり歩いていっても、
良き終わりを、必ず迎えられるよと、

優しく応援してくれるような歌詞の、
穏やかなポップスバラードナンバーで、

辛い日々の中で、
励まされ、心癒された。

…もう、僕は、音楽活動を引退し、
僕が皆様に届けられる音楽はないので、

代わりに、僕の心を支えた音楽を、
皆様にも、御聴きいただけたらと思う--

◎정모『끝이 좋으면 다 좋아』[Music Video]



緩やかに計画を考えつつ、
もう少し休ませていただき、
ゆっくり歩み出していき、

良き終わりに、
向かっていきたい。




Android携帯からの投稿

新体制崩壊

新体制樹立、8周年を迎えた。

しかしながら、これをもって…

この、『新体制』は、
“崩壊”することとなった--


8年前…

ただでさえ、凄惨な(第一次)転落人生からの、
何かも全てを失い、各地を転々としての、
壮絶で孤独な、人生再起劇の果て、
築き上げた、再起後の人生を、

再びの壊滅の危機(第二次転落人生)から護る、
第二次転落人生解放闘争に勝利し、

悲しいことに、苦悩の第二次転落人生に導いた、
戦犯・加害者という存在となってしまった、

当時に付き合っていた彼女とは、
話し合って円満に別れ、

(なお、元カノは、当時のことを、深く反省し、
その後は、酷い目にも遭われ、
現在も、苦労なさっているので、

もう、それ以上、責めるつもりはなく、
むしろ、応援する気持ちであり、
僕以外の犠牲者・被害者の皆様にも、
恩赦を呼びかけている。)

第二次転落人生解放闘争終結により、
第二次転落人生の幕開けとなった事件への、
リベンジのために転職した前職から、
新たに別の好きな仕事を選べるようになり、

第一次転落人生(不登校だった高校時代)の過去から、
同じ辛い境遇の人々を救いたいという想いで、

不登校支援のNPO関連事業所での、
学習支援講師・カウンセラーの、
新たな仕事に転職し、

第二次転落人生の幕開けとなった、
僕の当時の職場を巻き込んで、
元カノが起こした事件により、辞めることになった、
前々職へのリベンジとして転職し、

第二次転落人生を共に闘った、
前々職と同業他社である医薬品小売業の前職にて、
実務経験を経て、資格試験に合格し、取得した、

医薬品登録販売者資格は、
副業で活かせることになり、

第二次転落人生解放の、一番の目的であった、

第二次転落人生により、
長らく始動が延期となっていた、

ソロでの音楽活動が始動し、
音楽活動が再開し、

第二次転落人生により、より尊さを実感した、
再起後の人生を共に生きてきた荒川区にて、

地域事情も鑑みて社会民主党(当時)と共に、
(現在は、立憲民主党に合流)
地域での政治活動も新たに始め、

そして、過酷な第二次転落人生解放闘争の、
とても辛かった時代、心の支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立に導き、
命と人生を救ってくれた存在は、

引き続き、新体制を支える存在となり、
共に過ごす日々が始まり、

こうして、第二次転落人生解放闘争勝利の結果、
再びの壊滅から護られた、再起後の人生は、

新たに樹立した、『新体制』の下、
改めて、再スタートした。


新体制樹立以降、
再びの壊滅から護られた、再起後の人生は、
この新体制によって存続が支えられ、

この再起後の人生も、
新体制下での建設と前進が功を奏し、

凄惨な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
途中からは、苦労が祟り、不治の病を抱えながらも、
何もかも全ての、完全なる終結を果たせ、

2018年7月より、(それまでと比べたら、)
長年の苦悩から解放され、
余生に、突入し、

2019年7月には、余生さえも、
ある程度、楽しみ、生き終えてしまい、
身辺整理に、突入し、

2020年7月には、身辺整理をも、
全て完了させ、

再起後の人生は、せめてもの悔いなき、
綺麗で円満で平和的で祝賀的な、
一旦の終結の宣言がなされ、

終末に、突入し、

以降、再起後の人生が、
(第二次転落人生解放以降、それを支えてきた、)
新体制によって続く限り、

容態が安定し続けて、
不治の病を抱える体が持つ限り、
長年の壮絶で波瀾万丈な境遇に、
傷だらけになった心が持つ限り、

引き続き、新体制樹立と共に始まり、続けてきた、
仕事や副業を、今後も続けながらの、
ソロでの音楽活動や地域での政治活動も、
ひっそりながらも続けながらの、

ファンや支持者の皆様、仕事等の関係者の方々、
第二次転落人生から救ってくれた存在、
そして、地域の皆様方と共に、

再起後の人生を共に歩んできた、
この、荒川区(および近隣地域)にて、

それらの地域や人々に、
感謝の恩を返し続けながらの、

安らかな終末を過ごすこととなっていた。


しかしながら、それから1年も経たない、
昨年、2021年の、春の終わり…

再起後の人生を、再びの壊滅から護る、
過酷な、第二次転落人生解放闘争当時、
辛かった時、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立に導き、命と人生を救い、

その後、新体制を、共に過ごし、
支えていた存在を、

失うこととなってしまい…


新体制を、支えていた存在を、
失うこととなってしまった結果、

新体制は、崩壊することが、確定し、

身辺整理までをも完全終結させていることは、
不幸中の幸いではあるが、

安らかな終末は、無しとなり、
この終末も、末期となり、

まだ遠い先のことのように言っていた、
安らかな終末を終えた果てに迎えるであろうとしていた、

最期の物語が、
幕を開けてしまった…


そして、同年の、秋の終わりには、

崩壊することとなった、新体制は、

かつて、第二次転落人生により延期されていた、
ソロでの音楽活動の始動を、一番の目的とした、
第二次転落人生解放闘争の、結果として樹立され、

ソロでの音楽活動の、存在意義であるため、

新体制の崩壊に伴い、存在意義を失い、
新体制樹立と共に始動し、新体制下で続いてきた、

ソロでの音楽活動は、終了することとなり、

最後に在籍したバンドの脱退時に、
最後の音楽活動であると宣言していた、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

音楽活動を、引退することも、確定し、

年が明け、今年、2022年の、
年始から、約3ヶ月間、

最後の音楽活動として、
ラストシングルCDのリリースと、
ラストライヴ映像の配信を行い、

最後に、音楽活動引退のみならず、
新体制崩壊としての、最後のイベントとして、

新体制を樹立に導いた、第二次転落人生解放闘争の、
戦勝の聖地、富山県富山市にて、

御別れイベントの生配信も行い、

こうして迎えた、
新体制樹立8周年をもって、

新体制は、崩壊することとなった。


この新体制の8年間と、その前史である、
第二次転落人生および解放闘争に関しては、

新体制樹立から3年前までについては、
2019年4月20日と、当該記事記載期日、

3年前から昨年までについては、
2021年4月10日と、当該記事記載期日、

第二次転落人生および解放闘争については、
2021年7月13日(23時46分)の、
(※3本立て記事の2ページ目)

各ブログ記事にて、詳しく振り返っているので、
それぞれ、御参照いただくこととさせていただきたい。


音楽活動に関しては、

既に、最後の活動を終えており、
引退の御挨拶もさせていただいているが、

日付としては、本日をもって、引退となり、

最後に、動画サイト・YouTubeにて、

3月22日に、新体制崩壊の最後のイベントも兼ねて、
新体制を樹立に導いた、第二次転落人生解放闘争の、
戦勝の聖地、富山県富山市より、
配信サイト・TwitCastingにて、生配信を行なった、

御別れイベント生配信、
『#お別れ富山』の、アーカイブ映像に、

富山訪問紀も、織り交ぜ、

ラストシングルCDに、
カップリング曲として収録した、
『孤高とは (Last Version)』(※Instrumental)を、
BGMとした、

“アーカイブ ミニ動画”を、
公開させていただき、

(◎視聴URL

また、公式ウェブサイトにて、

バンド時代を含む、
過去のプロフィール写真を纏めた、

『音楽活動引退メモリアル写真集』も、
掲載させていただき、

(◎Тама 公式ウェブサイト

最後の事務的な御知らせとして、

音楽活動引退に伴い、本日をもって、

リリースされている、全ての、
CD,Blu-rayDisc作品は、廃盤となる旨、

以降、作品に関する御問い合わせ、
在庫限りの作品の販売に関しては、
その他、各種の御問い合わせも含め、
個別に御対応させていただくこととなるが、

明日以降、公式ウェブサイトに掲載の、
公式メールアドレスへの、御問い合わせに対しては、
対応させていただける保証はなく、

いわゆる、“ダメ元”で、
御問い合わせをしてみていただくこととなることを、
御容赦いただきたい旨、

また、公式ウェブサイトは、
更新が終了となる旨、

ただし、音楽活動記録や楽曲等を、
資料として残すため、閉鎖はしない旨を、

御知らせさせていただきたい。


さて、ここで、最後の最後に、

残念な、御知らせがある--

3月28日…

近所の路上で、かなり派手に、
足を挫いて、転倒してしまい、

右足首を靭帯損傷、さらに、
歩行困難による二次災害で、右手も負傷し、

全治3,4週間の、大怪我をしてしまった…

近所であったため、足を引きずり、
なんとか、帰宅できたものの、

帰宅後は、歩くどころか、
足を着くことすらできず、

その影響で、自宅内で、壁づたいに、
片足で移動した際、変な手の着き方をしてしまい、
手も負傷してしまい、

凄惨な過去の(第一次)転落人生により、
故郷も友人も家族も、何もかも全てを失い、

各地を転々としての、壮絶で孤独な人生再起劇の果て、
最終的に辿り着いた、荒川区に、移住し、
新たな人生をスタートさせ、
天涯孤独に生きてきたということもあり、

身寄りのない、一人暮らしで、
誰にも頼ることができない環境で、

足を負傷してしまい、歩くことができず、
病院にも行くことができず、

非常に、困ってしまっていた。

しかしながら、人生再起と共に、
荒川区に移住して、約12年…

再起後の人生は、移住地域に根付いて、
地域の方々と、共に過ごしてきたということもあり、

地域の方に、救急車を呼ぶしかないだろうかと、
電話で相談させていただいたところ、

区内の訪問介護のNPO団体の、
理事の方に連絡してくださり、

車椅子と、車椅子が乗せられる、
福祉車両の車を、派遣してくださり、
病院に連れて行ってくださり、

本当に、本当に、助かり、
この上ない、感謝の気持ちである。

最後の御別れイベント生配信まで、
何もかも全て、終えていたことが、
不幸中の幸いではあったものの、

最後の最後まで、御心配をおかけして、
申し訳ない気持ちであり、

新体制崩壊の最後が、
このような形で終わってしまい、
後味は悪いかもしれないが、

まぁ…非常に波瀾万丈な人生を生きてきた、
僕らしい、最後まで波瀾万丈な、
終わり方であったと言えるかもしれない。

(第二次転落人生解放以降、)
再起後の人生の存続を支えてきた、
新体制が崩壊するため、

明日以降、人生の存続が、どうなるか、
命の存続が、どうなるか、わからないが、

生きている限りは、最期まで、
治療とリハビリに取り組む所存である。


…ということもあり、

音楽活動用に開設した、
TwitterとFacebookの公式アカウントに関しては、

音楽活動引退に伴い、
本日をもって、終了の予定であったが、

ケガの治療報告も兼ねて、
月末まで、継続したいと思う。

こちらも、そもそも、新体制の崩壊により、
明日以降、人生の存続が、どうなるか、
命の存続が、どうなるか、わからないが、

いずれにしても、以降、
プライベートアカウントとして、
継続するかどうかは、未定である。


新体制と共に始まったのは、
音楽活動だけではない。

現在の仕事と、

第二次転落人生解放闘争の過程で、
取得することとなった、
公的専門資格を活かした、副業も、

新体制樹立と共に、転職し、
新体制下で、働いてきた。

…なので、新体制崩壊に伴い、

実は、仕事と、副業も、

“退職”しようと、考えていた。

しかしながら…

現在の仕事に関しては、
たしかに、新体制樹立と共に転職し、
新体制下で働いてはきたのだが、

第二次転落人生解放闘争終結に伴い、
新体制下では、新たな仕事を選べるようになり、
現在の仕事に転職したという経緯であり、

新体制そのものとは、
あまり関係がないということ、

また、今年度から、
学習指導要領が改訂となり、

需要の少なかった僕の専門科目(地理)が、
高校で必修科目となったということもあり、

副業に関しては、
第二次転落人生解放闘争の過程で取得した、
資格そのものは、新体制を象徴する、
重要な存在の一つでもあるのだが、

そもそも、副業は、
現在の仕事に転職した当初、

専門的な仕事柄、賃金は普通の約2倍だが、
(転職した当時の賃金水準と当時の僕の年齢で)
普通の人の2倍の収入というわけではなく、
勤務時間が短く(一部在宅業務を除く)、

普通の人の半分の労働時間(一部在宅業務を除く)で、
普通の人と同じ収入という計算になるが、

当初、その少し変わった働き方に、
少し不安を覚えていたことと、

せっかく勤務時間が短く、
時間に余裕があるので、有効活用し、

ちょうど専門資格も取得しており、
資格手当てで、効率的に稼げるということもあり、

週に数日、夕方の数時間だけ、
資格を活かした副業も始めたという経緯であり、

まず副業を始めることが先で、副業を選ぶにあたり、
せっかくなので、保有している専門資格を、
活かそうと思っただけのことであり、

また、法律が改正され、有資格者の要件として、
有資格者として、特定期間内に、
一定時間数、勤務しなければ、

有資格者としては、失効してしまうようになったため、
(資格自体は有効だが、有資格者になるには、
実務経験要件として、一定時間数を特定期間、
無資格者として、勤務し直すことになってしまう)

こちらも、そもそも、新体制の崩壊により、
明日以降、人生の存続が、どうなるか、
命の存続が、どうなるかは、わからないが、

前述のケガの療養とリハビリのため、
現在、仕事・副業共に、休職させていただいており、
双方の職場に対しては、御迷惑をおかけして、
申し訳ない気持ちではあるが、

今後とも、仕事では、受講生・クライエントの皆様に、
副業では、患者様の皆様に、心から寄り添い、

仕事も、副業も、当面の間、
続けていく意向となった。


いずれにしても、

第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えてきた、
新体制が、崩壊することにより、

明日以降、この、再起後の人生が、
存続しているという保証はなく、

人生が終われば、当然、
命が終わる可能性も高くなり、
もはや、生きている保証すら、
なくなることとなった。

しかしながら、
これは、悲しいことではない。

この、新体制とは、何だったのか、
思い返していただきたい--

…第二次転落人生により、
再起後の人生が、再びの壊滅に導かれ、

本来であれば、その時点で、

この、人生も、命も、
もう、終わってしまうはずであった。

しかしながら、

過酷な、第二次転落人生解放闘争の、
辛かった時、心支えとなる存在と、
出会うことができ、

闘争に勝利でき、樹立した新体制により、

本来、終わってしまうはずであった、
再起後の人生は、再びの壊滅から護られ、

支えられ、存続することとなり、

無かったはずの、命と人生が、

しかも、(もちろん、凄惨な過去や、
消えない悲しみを、背負っていたり、
引き続き、波瀾万丈で、苦労や苦悩もありながらも、)
とても素敵な日々として、

8年間も、与えられ、

さらに、その8年間で、
過去の清算から、新たな夢、身辺整理までをも、

人生における、何もかも全てを、
悔いなく、完全終結を果たすことができた。

無かったはずの命と人生を、
素敵な日々を、

何もかも全ての、悔いなき、
完全終結を、果たす時間を、

8年間も与えてくれた、
新体制と、

新体制を共に過ごした、
全ての関係者の皆様方に、

この上なく、深く、
心から、感謝を申し上げたい。


前述の通り、第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えてきた、
新体制が、崩壊することにより、

明日以降、この、再起後の人生が、
存続しているという保証はなく、

もはや、生きている保証すら、
なくなることとなった。

第二次転落人生終結以来、
8年振りの、人生滅亡の危機、

『第三次転落人生』(仮称)が、
幕を開けることとなった。


しかしながら、存続の保証がなくなり、
常に存亡の危機にある、
不安定な状態になるというだけで、

この、再起後の人生は、
滅亡しない限り、存続はしていく。

明日以降、存続の保証はないが、
再起後の人生が、存続する限り、

再起後の人生を、
共に生きてきた地であり、

再起後の人生の、
神聖なる絶対的象徴である、

荒川区にて、

活動してきた、地域での政治活動は、
再起後の人生の、具現化であり、

前述の、ケガで困った時、
地域の方々が、手助けしてくださった件も含め、

荒川区に対する、感謝と恩返しの気持ちと、

壮絶で孤独な人生再起劇の果て、最終的に辿り着き、
移住・定住し、僕の居場所となった地でありながら、

奇しくも、多様な社会的に弱い立場の方々の、
居場所となっている、地域特性のある、

荒川区の、人権を護りたいという想いで、

そして、荒川区では、

旧・日本社会党~社会民主党の流れを汲んで、
立憲民主党に合流し、継承された組織である、
『社会民主主義フォーラム』の会員が、

僕一人だけという結果となってしまったため、

社民フォーラムの組織を、荒川区に築き、
僕亡き後にも、遺すため、

再起後の人生の、最期の最後まで、

地域での政治活動に、
取り組み続けていく所存であり、

再起後の人生は、身辺整理までをも、
完全終結させてしまっており、

人生殲滅から新たな人生を築いていった、
かつての、人生再起劇や、

人生壊滅を阻止するために闘った、
かつての、第二次転落人生解放闘争とは違い、

今回の、第三次転落人生(仮称)は、

人生の状況としては、既に、
何もかも全ての悔いなき完全終結を果たし、
生き終えているという状況で、迎えるため、

人生が終わるか、終わらないかの、闘いではなく、

良き終わりを迎えるか、
不幸な終わりを迎えるかの、
闘いになるとは思うが、

むしろ、終わるからこそ、
終わるなら終わるで、
終わり方というものがあるので、

かつての、人生再起劇や、
第二次転落人生解放闘争と同じように、

第三次転落人生(仮称)に対しても、
強い信念で、最後に闘う意志があり、

これだけ波瀾万丈な生涯であった、
この僕らしく、

最期は、また何かしら、
劇場的で個性的な結末で、
迎えることになるとも思うので、

最後の活動、最後の闘い、最期の物語…

最期の最後まで、
見送っていただけたら思う。


もしも、再起後の人生が存続していた場合、

7月には、人生再起12周年を、
迎えることとなる。

人生再起と共に始まった、
この、公式ブログは、

再起後の人生が存続する限り、
存続する。

…もしも、生きて、
人生再起12周年を迎えることができたら、

7月13日に、
ブログを更新したいと思っている。


これをもって、

『新体制』“崩壊”を、
宣言する。




Android携帯からの投稿

#お別れ富山



2日前、富山県にて、
御別れイベント生配信、

『#お別れ富山』を、
開催させていただいた。

オンライン御参加いただいた皆様に、
深く感謝を申し上げたい。


この御別れイベントは、

一応、音楽活動引退に伴う、
最後のイベントという名目で開催したのだが、

厳密には、音楽活動引退というより、

最後の音楽活動となった、
ソロでの音楽活動を、

かつて、第二次転落人生による、
長らくの始動延期状態から、

始動に導き、存続を支えた、

そして、第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の、存続を支えた、

『新体制』の、“崩壊”に伴う、
最後のイベントということで、

8年前、新体制を、樹立に導いた、

ただでさえ、凄惨な(第一次)転落人生からの、
壮絶な人生再起の果てに築き上げた、再起後の人生を、
第二次転落人生による、再びの壊滅から護った、

『第二次転落人生解放闘争』の、

戦勝の聖地となった、

富山県富山市にて、
開催することとなった--


富山への行きの列車には、

ちょうど、期間限定で、
JRの会員制インターネット予約サイトにて、

乗車13日前までの予約限定、
ICカード乗車券限定で、

北陸新幹線の乗車券が、
なんと、3割引で購入できる、
お得な切符が発売されていたため、

北陸新幹線『はくたか』を、利用。

8年前に富山を訪れた当時は、
北陸新幹線は開通していなかったが、

特急『はくたか』を、利用したため、
(※北陸新幹線の開通と共に廃止)

当時と同じ列車名が継承された新幹線に乗って、
富山へ向かうことができ、感慨深かった。


富山訪問は、6回目、約4年振り。

この8年の間に、北陸新幹線が開通し、
富山駅と駅前は、再開発が続いてきて、
訪れる度に、街景色の変化を目にしてきたが、

今回も、新たな大型ショッピングモール、
『MAROOT富山』が、駅前に建てられており、

また新たな、さらに発展した富山駅前の、
街景色の変化を目にすることとなった。


富山に到着後は、

8年前に富山を訪れた当時、
富山の地で初めて食事をした、

駅の立ち食い蕎麦店、
『立山そば』にて、軽く食事。

当時は、駅舎内の改札前の、
レトロな立ち食い蕎麦店で、
北陸新幹線開通後は、新駅舎外の入口沿いに、
リニューアルオープンしているが、

東日本と西日本の中間地点という土地柄、
関東風と関西風の中間のような独特の蕎麦汁に、
富山の象徴たる『立山』(連峰)の文字が施された、
蒲鉾が添えられた、変わらぬ味と見た目で、

富山を初めて訪れた、あの日を思い出させる、
ノスタルジックさが、心に沁み、
北陸地方の冬で、寒冷な気候ということもあり、
蕎麦の温かさも、体に沁み、

心身共に、暖まった。


そして、富山を訪れた際には、
必ず、宿泊に利用してきた、

それどころか、富山ではなく、
金沢などの近隣都市を訪れた際にも、
宿泊だけは、わざわざ富山へ行き、利用してきた、

なんと、半ば、ここに宿泊するためだけに、
富山を訪れたこともあったほど、
お気に入りのビジネスホテル、

『α‐1富山駅前』に、チェックイン。

ホテルの公式サイトにて、14日前までの予約で、
宿泊料金が割引になる、早割プランがあったため、

前述の新幹線と同様、
お得な料金で、利用することができた。


こうして、富山にて、
御別れイベント生配信は、スタート--

配信は、ホテルの宿泊部屋の室内から、始まり、

冒頭に、少しだけ、
ガラス張りで、富山駅前の景色が見渡せる、
ホテルのエレベーターに移動し、
富山駅前の風景を配信し、

その後は、再び宿泊部屋に戻り、
以降は、室内にてトークの生配信。

まずは、α-1 富山駅前の、魅力を力説、

次に、苦悩の第二次転落人生から、過酷な解放闘争、
富山での勝利までの、約2年間の前史と、
8年間の新体制を、簡単に振り返り、

そして、過酷な第二次転落人生解放闘争当時、
心支えとなり、闘争勝利と新体制樹立に導き、
命と人生を救い、新体制の存続を支えた存在であった、

女性アイドルグループ、乃木坂46の話題にも、
乃木坂46ファン卒業以来、約8ヶ月振りに触れ、

終盤には、元を辿れば、この全ての元凶であった、
悲しいことに、第二次転落人生に導いた、
戦犯・加害者という存在となってしまった、
当時に付き合っていた彼女に関しても触れ、

元カノは、当時のことを深く反省しており、
その後は酷い目に遭われ、今なお苦労もなさっており、
もう責めるつもりはないので、

僕が、どのような結末になっても、
皆様も、元カノのことを、
責めないであげてほしいと、呼びかけ、

最後は、最後の御挨拶の後、

感謝の想いを、富山に因んで、
『ありがとやま』の、

ミニホワイトボード掲揚と、
掛け声で、締め括り、

御別れイベント生配信は、終了。

意外とトークが弾み、
1時間半も続いてしまい、

音楽活動引退ラストライヴ映像配信までは、
非常に暗い雰囲気が続いてきたが、
それを終えてからは、気持ちが少し楽になり、

音楽活動も人生も、この新体制下で、
何もかも全て、やり切っての、
音楽活動引退・新体制崩壊ということもあるが、

何より、最後に、こうして、
また富山を訪れることができた喜びもあり、

意外と、暗く寂しい雰囲気もなく、
決して、明るく楽しい雰囲気ではなかったものの、

しみじみと落ち着いた雰囲気で、
御別れイベントを、終えることができた。

画面越しながら、聖地である富山にて、
最後の時間を、一緒に過ごしてくださり、

新体制崩壊の最後を、見送ってくださった、
57名の、オンライン参加者の皆様に、

この上なく、感謝を申し上げたい。


ちなみに、この御別れイベント生配信は、

アーカイブ映像と共に、
富山で撮影した動画も合わせ、
1時間程度に編集し、

“アーカイブ番組”を制作し、
4月10日に公開の予定であったが、

制作しないこととなった。

楽しみにしてくださっていた皆様、
イベント生配信に参加できなかった皆様には、

心より、御詫びを申し上げたい。

(※非常に多くの残念だという声が寄せられており、
理由が憶測で勝手に噂されていることも鑑み、

代わりに、数分~10分程度の、
“アーカイブミニ動画”の、制作が決定、
4月10日までに、公開予定。)


こうして、御別れイベント生配信を終え、

α-1 富山駅前の魅力の一つである、

サウナ付き展望大浴場へ。

寒冷な気候の冬の富山の夜は、
サウナで、体の芯まで温まり、

富山の夜景を眺めながら、
のんびりと入浴し、疲れを癒した。

入浴後は、遅い時間に昼食を食べており、
翌朝には朝食ビュッフェが待っているため、
夕食は食べずに、早めに就寝し、

翌朝は、再び、
展望大浴場にて、朝風呂に入り、

朝風呂では、富山の街の景色が一望でき、
市街地の背景には、輝かしい朝の日差しに照らされた、
美しい立山連峰の雪山景色も眺めることができ、
感動的な朝を迎えた。


朝風呂の後は、α-1 富山駅前の、
もう一つの魅力である、

富山郷土料理の健康朝食ビュッフェへ。

ビジネスホテルの朝食ビュッフェながら、
一般的な、パンやオムレツやソーセージなどと共に、

鱒寿司、とろろ昆布おにぎり、
ホタルイカ甘露煮、昆布巻き蒲鉾などの、
富山の郷土料理や、

自家製の漬物、野菜たっぷり味噌汁、
フルーツヨーグルトなどの、
健康的なメニューも用意されており、

朝から、富山の郷土料理を、健康的に、
満喫できる、朝食ビュッフェとなっている。


朝食後は、のんびりと、くつろいで、
遅めの時間に、チェックアウトし、

せっかく富山まで来たので、
少し観光ということで、

『富山市ガラス美術館』へ--

薬の発祥の地として有名な富山では、
薬の容器のガラス瓶も製造されるようになり、
ガラス美術に発展したとのことで…

…8年前、第二次転落人生解放闘争の、
最後の闘いの舞台として、
富山を訪れることになった経緯には、
医薬品関係の資格試験が関係しており、

また、その闘争に勝利した結果、
改めて樹立した、新体制の下、
音楽活動が再開し、
存続してきたということもあり、

薬が歴史的背景にあり、なおかつ、
音楽と同じ、芸術分野ということで、

第二次転落人生解放闘争の聖地・富山での、
音楽活動引退・新体制崩壊の最後に、
相応しいと思い、見学することにした。


展示作品は、繊細な作品から、
空間全体を使用した壮大な作品まで、

ガラスで作られたとは信じられないような、
巧みな作品から、
ガラスという素材の特性を活かした、
照明と合わせて表現された作品まで、

富山をテーマに創られた作品もあり、

様々な、芸術的で美しい、
ガラス美術作品を、鑑賞することができ、

驚きと感動の連続であった。

記念の土産に、売店にて、

富山大学との共同研究で開発された、
富山湾の海をイメージした、
深く美しい碧色のガラス素材、

『越碧硝子』の、
一輪挿しにも使える、ペン立てを購入。

一輪の小さな造花と共に飾れば、

8年前の第二次転落人生解放闘争のことも、
8年間の新体制のことも、
この日のことも、富山のことも、

永遠に忘れることはないであろう。


ガラス美術館から富山駅までは、
徒歩20分程度ということもあり、
富山の街を散策しながら、

再開発された富山駅と駅前とは違い、
変わらない景色に、

想い出と感傷に浸りながら、
富山駅へ戻っていった。


帰りに、富山駅の駅弁・土産物店にて、

今回は、富山訪問史上、初めて、

8年前、第二次転落人生解放闘争の、
最後の闘いを終えた直後、
まだ不安を抱え、疲労に満ちながらも、
解放感を感じながら、空腹を満たした、

想い入れ深い、御当地グルメである、
富山(ブラック)ラーメンを、食べなかったため、

また、前日に、前述の立山そばでも、
名物の、白エビ天ぷらが、
売り切れで、食べられなかったこともあり、

ちょうど、白エビを使用した、
富山(ブラック)ラーメンの、
自宅で調理するタイプの商品が、販売されていたため、

帰宅後に、味わいながら、想い出と感傷に浸るため、
テイクアウトで、購入。


帰りの列車は、

8年前に富山を訪れた当時、

若かった頃、ローカル線での、
鉄道一人旅が趣味であった名残で、

帰路は、特急も新幹線も使わず、
普通列車を利用したため、

今回も、のんびりと、
普通列車を、利用することに。

当時、富山を通っていた鉄道路線は、
JRが運営する、北陸線であったが、

北陸新幹線の開通に伴い、新幹線が通る区間は、
JRが運営を手離し、第三セクター化され、
(自治体が出資しての私鉄化)

富山県内の区間は、
県や沿線の市町村の出資で設立された、
あいの風とやま鉄道が運営する、

あいの風とやま線に、変わっており、

機会があれば、乗ってみたかったので、

最後は、あいの風とやま線に乗車し、

車窓から、富山の市街地を見送り、
郊外の閑静な住宅街の風景を経て、

沿線に広がる、長閑な田園風景、
北には、富山湾の海景色、
南には、立山連峰の雪山景色を、眺めながら、

富山を去っていった。


ただでさえ、この再起後の人生も、
不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、
余生となり、身辺整理も終えた影響で、

近年は、遠出の機会がなかったことに加え、

新型コロナウイルス感染症流行情勢の影響で、
最近は、外出も自粛してきたため、

感染防止策も徹底しながらの、
久々の遠出は、なかなか大変ではあったが、

久々に、かつての趣味であった、
鉄道一人旅の気分も楽しむことができ、

そして、何より、

新体制崩壊の最後を、

8年前、新体制を樹立に導いた、
第二次転落人生解放闘争の、戦勝の聖地、

富山で、終えることができて、

とても幸せな最後であった。


こうして、約3ヶ月間、取り組んできた、

音楽活動引退・新体制崩壊に関する、
リリースやイベント等も、

これをもって、全て終了となったが、

もう、本当は、心身共に、
最後の活動すら、行うことが、
困難な状態であった…

…そんな、この3ヶ月間、心支えとなったのは、

8年前、再起後の人生を、再びの壊滅から護る、
過酷な、第二次転落人生解放闘争当時、

辛かった時、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立に導き、命と人生を救い、

その後、約7年半、
新体制の存続を支えた存在であった、

女性アイドルグループ、
乃木坂46であった。

約8ヶ月前、推しメンとして、
一番に応援してきたメンバー、
松村沙友理さんの、グループ卒業と一緒に、

身辺整理までをも、完全終結を果たしている、
自身の人生の状況も鑑みて、
僕も、乃木坂46ファンを、卒業した。

公式には直接の関係はないという見解だが、

新体制の存続を支えた存在である、
乃木坂46の、ファンを卒業したことは、

支えとなる存在を失い、その後、
新体制が崩壊に至ることとなった結果を鑑みれば、

新体制崩壊に至る、
最初の引き金であったのかもしれない。

乃木坂ファンは卒業しているが、
新体制崩壊の最後は、

かつて、新体制を樹立に導き、
新体制の存続を支えた存在であった、
乃木坂46を、

また少しだけ、
心支えとさせていただくこととし、

中古で安価にではあるが、
ちょうど昨年末にリリースされていた、
ベストアルバムを、購入し、

この間にリリースされていたシングルも、
1作だけであったこともあり、
カップリングも含め、楽曲のみダウンロード購入し、
この間にリリースされていた、全楽曲を聴き、

動画サイトにて、公式に公開されていた、
Music Videoも、鑑賞し、

乃木坂46のコンテンツに触れるのは、
ファン卒業以来、半年振りであったが、
数十年振りに再会したかのような感覚で、

グループ卒業を見送ることなく終わっていた、
高山一実さんや生田絵梨花さんをはじめ、
この間に卒業なさっていた4メンバーの、
卒業ソロ曲や卒業センター曲も、MVと共に見送り、

インターネット配信による映像ではあるが、
星野みなみさんの卒業セレモニー、

デビュー10周年を記念してのイベント、
『乃木坂46時間TV』内での、スペシャルライヴ、

そして、今日も、
北野日奈子さんの卒業コンサートと、
イベント映像も、視聴し、

感傷的な世界観の楽曲や、
卒業イベントの映像に、感動させられ、
楽しいライヴ映像に、元気をいただき、

最後の最後、再び、少しだけ、
心支えとさせていただいた。


しかしながら、奇遇なことに…

富山からの帰路、列車の中で、
まさかの、このタイミングで、

とあるニュースが飛び込んできた--

かつて、過酷な第二次転落人生解放闘争当時、
心支えとなり、闘争勝利と新体制樹立に導き、
命と人生を救い、新体制の存続を支えた存在であった、

乃木坂46で、ファン当時、“推しメン”として、
一番に応援していたメンバーであり、
そのメンバーのグループ卒業と一緒に、
僕も乃木坂46ファンを卒業した、

松村沙友理さんの、
“熱愛報道”であった。

個人的には、乃木坂ファン卒業後は、
乃木坂46卒業後の松村さんの個人活動も、
追ってはいないので、

本来、そのような情報は、
知る由もないはずなのだが、

御相手の方が、なんと、あの、
超大物YouTuberの、ヒカルさんとのことで、

大きく報じられたため、
このニュースを知ることとなった。

…僕は、当時、深い感謝や想い入れがあり、
ファンとして熱心に応援はしていたが、

本気で恋をしてしまっているファン、
いわゆる、“ガチ恋”ではなかった。

しかしながら、それでも、
異性のアイドルということもあり、
正直、恋するような感情が、
全くなかったと言えば、嘘になるし、

前述の通り、乃木坂46、
とりわけ、松村さんは、
第二次転落人生解放闘争の、
辛かった時、心支えとなり、

その後、第二次転落人生に導いた、
当時の彼女と別れ、

乃木坂46、とりわけ、松村さんに、
夢中になり、握手会やライヴや舞台にも通い、
追いかけていた存在であったという経緯もあり、

そのニュースを聞いて、最初は、
少し、動揺してしまった…

しかしながら、

前述の通り、乃木坂46、
とりわけ、松村さんは、
僕にとって、命と人生を救ってくれた、
心支えとなってくれた、“恩人”であり、

松村さんは、乃木坂46時代、
病んでいたがゆえ、起こしてしまった、
不祥事スキャンダルの過去に、
向き合いながら苦悩し、苦労なさったので、

松村さんには、幸せになってほしいし、

御相手のヒカルさんは、
YouTuberということもあり、
緊急で、今回の熱愛報道に対する、
コメント動画を、公開なさったのだが、

ヒカルさんのコメントからは、
真摯な気持ちが強く伝わってきたので、

まさかの、新体制樹立に導いた、
第二次転落人生解放闘争勝利の聖地、
富山にて、新体制崩壊の最後を過ごし、

その帰路というタイミングで、
第二次転落人生解放闘争当時、心支えとなり、
新体制を、共に過ごし、支えてくれた存在の、
熱愛報道を聞き、

ちょっぴり切ない気持ちもありつつ、
御二方が、幸せになることを、祈って、

これまた、奇遇なことに、
元・恋人の結婚報告を聞いて、
祝福しつつも切ない気持ちが歌われた、

乃木坂46の最新曲、
『最後のTight Hug』を、聴きながら、

感傷に浸りながら、
富山から、帰宅をしたのであった。


さて…

新体制樹立から8年を迎える、
4月10日をもって、

再起後の人生を、再びの壊滅から護り、樹立し、
改めて再スタートさせ、存続を支えてきた、

この新体制は、崩壊を迎える。

歴史的な最後を、
御見逃しなく。



Android携帯からの投稿

告別式-LAST MESSAGE-



音楽活動引退ラストライヴ映像配信を、
3日ほど前に、公開させていただいた。

御視聴いただいた皆様に、
深く感謝を申し上げたい。

後から、チャプターも追加したので、
未視聴の方も、再視聴の方も、
是非とも、御視聴いただければと思う--

◎視聴URL


Тама
音楽活動引退LAST LIVE(※無観客ライヴ映像インターネット配信)
『告別式-LAST MESSAGE-』
収録:2022年2月26日 北千住STUDIO K
配信:2022年3月10日~ YouTube

《SET LIST》
1.Introduction-(TYPE-Ⅱ) (※オープニングムービーと共に)
2.何も無い世界
3.PROMISE
4.…IN STAY(※podsol≒suicide時代の楽曲)
5.Daybreak(※No Moment在籍時代の楽曲)
6.MY EYES&YOUR EYES(※BUCK-TICKのカヴァー)
7.Sing Out!(※乃木坂46のカヴァー)
8.人生(いのち)を ありがとう
[アンコール]
1.I wish you'll be glad.
2.孤高とは (※最後の御挨拶と共に)


引退するというだけあって、

歌声も、パフォーマンスも、ビジュアルも、
劣化と老化が、著しく、

さらに、もう、本当は、
最後のライヴすら行うことが困難な、
精神状態であったことも、影響しており、

御聴き苦しい、御見苦しい箇所も、非常に多く、
寂しく、悲しい、ライヴ映像にはなってしまったが、

それらも含めて、ある意味、
“最期”に、相応しく、

最後のライヴの機会ということで、
ソロでの楽曲のみならず、

バンド時代の楽曲や、
他のアーティストの方の楽曲も、
カヴァーさせていただき、

もう、本当は、心身共に、
最後のライヴすら行うことが困難な、
今の僕に出来る、精一杯の力量で、

“最期”を、表現させていただいた。

御視聴なさっていて、
辛く、苦しい、映像ではあったかもしれないが、

音楽活動人生、最後の姿を、
最後まで、見送っていただき、

この上なく、感謝を申し上げたい。


そして、本日、同タイトルの、

LAST LIVE Blu-rayDisc(特典DVD-R付き)を、
リリースさせていただいた--

残念ながら、著作権の都合上、
他アーティストのカヴァー曲は、
収録なしとなっているが、

ラストライヴ配信映像に加え、

ラストシングル曲、
『人生(いのち)を ありがとう』の、
Music Videoも、収録、

さらに、特典として附属のDVD-Rには、

新型コロナウイルス感染症流行情勢により、
無観客ライヴのディレイ・ビューイングという、
代替形式になってしまいながらも、非常に好評であった、

2020年6月14日に、西新井武道場にて行われた、
ソロデビュー6周年記念LIVE、

『LIVE 2020 
“Нон-сект Радикал(ノンセクト・ラジカル)”』の、
ライヴ映像を、収録させていただいた。

いずれの映像も、インターネット動画サイト、
YouTubeにて、配信させていただいており、
無料で御視聴はしていただけるのだが、

Blu-ray作品という形で、
御手元に残されては、いかがであろうか。

(※作品の詳細や購入方法等は、
前々回のブログ記事にてURL記載の、
公式ウェブサイトを、御参照。)


まだ御別れイベント生配信の開催が残っており、
日付としては4月10日が引退日となるが、

音楽に関する活動は、
これをもって、全て終了となった。

最後ということで、長々と、
これまでの音楽活動を、
振り返ることになるかと思ったが、

バンド時代からソロに至るまでに関しては、
ソロデビュー時、2014年4月30日のブログ記事にて、

ソロでの音楽活動に関しても、
概ね、全て、やり切ったと、宣言した、
2018年7月27日のブログ記事にて、

詳しく、振り返っているので、
御参照いただくこととし、

今回は、ラストライヴ映像配信内での、

MCにて、御話しさせていただいた、
これまでの音楽活動の、簡単な振り返りと、

最後の御挨拶にて、御話しさせていただいた、
簡潔な総括を、要約し、少し補足を加える形で、

終わりとさせていただきたいと思う--


約18年前、平穏な人生を送っていた僕は、
ただただ純粋に、音楽や歌が好きで、

幼かった頃から聴いていた、
ロックバンドやビジュアル系に憧れて、
バンド活動を始めた。

その後、凄惨な(第一次)転落人生に見舞われると、
バンドも解散してしまうが、
また別のバンドの結成に参加し、
転落人生の中で、逃げ場所になったり、

転落人生が明け、新たな気持ちで結成した、
podsol≒suicideが、活動休止に至ったことが、
人生再起の契機や意志や信念になったり、

バンド活動再開を志とした、壮絶な人生再起劇の果て、
再起を果たした、新たな人生では、
新たな音楽性による新バンドの結成に着手、

紆余曲折あって、新バンドは発展的解消、
No Momentへ加入、

そして、No Moment脱退からの、ソロデビュー、

しかしながら、再起後の人生の、
再びの壊滅の危機、第二次転落人生による、
ソロデビュー延期、

そして、再び、音楽活動再開を志とした、
過酷な第二次転落人生解放闘争の果て、
樹立した、新たな体制の下、始動し、
存続をしてきた、ソロでの音楽活動…

…失われてしまった、平穏な人生、
否定してきた、凄惨な(第一次)転落人生、

再起後の人生の前史たる、
第一次転落人生解放~人生再起劇の期間、

連続性なく断絶された、
人生再起の前後をも、

全てを繋いで、存続してきた、

そして、壮絶な人生再起劇に、
過酷な第二次転落人生解放闘争と、

全ての人生の再建や護衛の志となった、

この、バンド活動・音楽活動は、

まさに、“生涯”・“命”であった。


…しかしながら、音楽活動は、

特に、新体制下、
ソロでの、この8年間で、

苦労が祟ってか、途中からは、
不治の病も抱えるなど、困難な環境の下で、

楽曲21曲を、作詞・作曲し、歌・演奏を務め、
Music Video3作品を、制作し、

シングルCD3枚、アルバムCD2枚、
Blu-rayDisc2枚を、制作し、
楽曲・Music Video・ライヴ映像を、リリースし、

ライヴ4公演、ファンイベント3回を、開催し、

楽曲等の、メディア放映も行い、

音楽活動以外も含め、
不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、果たすことができ、

概ね、全て、やり切ったと、宣言し、
人生も、余生や身辺整理に突入した、
規模や頻度は縮小していきながらも、

引き続き、ライヴ公演やファンイベントの開催や、
新たに、冠ラジオ番組の放送も行い、
新体制下、存続をしてきたが、

2022年4月10日をもって、
新体制が崩壊することとなったため、
ソロでの音楽活動は、終了となり、

最後の音楽活動であった、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

引退することとなった。


音楽性に関しては、

バンド時代初期に参加していた2つのバンドは、
漠然としたロックやビジュアル系から始まり、

podsol≒suicide時代は、
ダークで激しい音楽性を確立し、

途中加入・途中脱退した、
No Moment時代には、
繊細な音楽性を培い、

ソロでは、初期は、
感傷的でポップな音楽性から始まり、

後期は、芸術的で壮大な音楽性に進化し、

多少の変遷や進化はあったが、

歌詞や世界観に関しては、

前述のような、
波瀾万丈な境遇の影響もあってか、

悲しい歌詞や、哲学的な世界観を、
一貫して、歌ってきた。

僕がいなくなっても、
僕が遺した楽曲の、音楽性・世界観が、

同じように、辛い想いをなさっている、
誰かの心の支えになれたり、

僕のように、極限を超え、
新たな精神世界に悟りを開く、
きっかけになれればと思っている。


バンド時代を含む、僕の音楽活動の、
全ての関係者の皆様方、

僕の歌・演奏・楽曲を聴いてくださった、
活動を応援してくださった、
ファンやリスナーの皆様方、

ソロでの音楽活動、8年間、
バンド時代を含め、約18年間、

本当に、ありがとうございました。


さて、新型コロナウイルス感染拡大による、
『蔓延防止等重点措置』発令の延長に伴い、
延期となっていた、

富山県での、御別れイベント生配信だが、

3月22日に、開催することとなった。

詳細は、3月19日頃までに確定し、
改めて、公式ウェブサイトにて、
告知させていただきたいと思う。


それでは、3月22日、
インターネットを通じてにはなるが、

最後の音楽活動となった、

かつて、第二次転落人生により、
長らく始動が延期となってしまっていた、

このソロでの音楽活動を、
始動に導き、存続を支えた、

そして、第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の、存続を支えた、
新体制を、樹立に導いた、

再起後の人生を、再びの壊滅の危機から護った、
第二次転落人生解放闘争の、戦勝の聖地、

富山にて、
御別れしましょう。




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人生を ありがとう


2週間前、

音楽活動引退ラストシングルを、
リリースさせていただいた--


Тама
LAST Single CD (特典BEST Album CD-R付き)
『人生(いのち)を ありがとう』
2022年2月12日 リリース

《収録曲》
1.人生(いのち)を ありがとう
2.孤高とは (Last Version)
※特典BEST Album CD-R(※歌詞カードなし)
『Тама ALL TIME BEST~2004-2022~』収録内容:
【バンド時代の楽曲】
1.Never again.../Precious†Rosett′A(2006年~2007年頃?)
(※編曲のみ担当)
2.…IN STAY/podsol≒suicide(2008年)
(※作詞・作曲担当)
3.Daybreak/No Moment(2011年)
(※原詞作詞のみ担当)
(※2004年~2006年頃に活動したバンド、
SQUALL(後のRequiem for Cutter)は、
楽曲が存在しないため、収録なし)
【ソロでの楽曲(2014年~2022年)】
4.Moon
5.PROMISE
6.I wish you′ll be glad.
7.錦糸町ブルース
8.枯葉の泪
9.何も無い世界
10.南国
11.成仏
12.終わる時
13.『人工衛星と称する事実上の弾道ミサイルと思われる飛翔体』に乗って
14.孤高とは
15.人生(いのち)を ありがとう (Live Version) ※ボーナストラック


今回、リリースさせていただいた、
引退ラストシングル曲、
『人生(いのち)を ありがとう』は、

約1年半前、2020年の春、

音楽活動において、もう楽曲は、
最後にリリースしたアルバムをもって、
全て創り切ったと宣言した、2018年の冬以来、

約2年半振りに、奇跡的に、
1曲だけ出来た、新曲で、

凄惨な(第一次)転落人生からの、
孤独で壮絶な人生再起劇の果てに築き上げた、
この再起後の人生も、

人生再起後も、波瀾万丈は続き、
その後は、再びの人生壊滅の危機、
第二次転落人生に見舞われるも、

過酷な闘争に勝利して樹立した、新体制の下、
途中からは、不治の病を抱えながらも、

不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、
余生さえも生き終え、身辺整理をも完了させ、
一旦の終結が宣言され、終末となる直前であった、

当時だからこそ、創ることができた、

決して、幸せな人生ではなかったかもしれないが、

せめてもの居場所や理解者、
支えとなった存在に、感謝をし、

同じような辛い想いを後世にさせぬよう、
最期の言葉を遺して、

人生を終えるという歌で、

その“居場所”の象徴である、人生再起と共に移住し、
再起後の人生を過ごしてきた、荒川区が、
在日朝鮮人の方々が多い街であるということもあり、
敬意を込めて、朝鮮語の単語も歌詞に交え、

ビジュアル系ロックバンド時代の、
ダークでハードな音楽性は勿論ながら、
ソロになってからの、
芸術的で哲学的な音楽性とも違う、

ポップなサウンドと、シンプルな曲調で、

歌詞の中で遺した最期の言葉の数々は、
とてもシリアスな内容であり、
最後は息絶えて終わるような、
とても悲しい終わり方ではあるが、

強い想いを込めたラストメッセージと共に、
感謝の気持ちを歌った、
(あくまでも僕の世界観でにはなるが、)
“前向きな”終わりの曲である。


この曲が出来た約1年半前、

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、
無観客ライヴの、インターネット配信による、
ディレイ・ビューイングにはなってしまったが、

ソロデビュー6周年を記念して行なった、
ライヴにて、未完成な仮のデモ音源ながら、
この曲を、初披露させていただいたのだが、

今回は、ラストシングル曲として、
この曲をリリースするにあたり、

その時に披露した、初期バージョンに、
アレンジを加えて、完成させ、

ヴォーカルも、ついリリースの数日前に、
新たにレコーディングを行なった。

久々のレコーディングであったうえ、
歳も取ってしまったが、

貫禄ある老成された歌声に変わりながらも、
曲の後半では、バンド時代を想わせる、
感情的で激しめの歌い方にもなり、

最後に相応しい歌声と僕らしい歌い方で、
ヴォーカル人生最後のレコーディングを終えた。


ジャケット写真は、楽曲の世界観に合わせ、
愛用してきたマイクや楽器と共に、

葬儀などの弔事(仏式)に用いられる、
(ラスト公式プロフィール写真を使用した)遺影、
(作品名とサインを書いた)香典袋、
仏花、数珠、位牌を、装飾して、撮影。

歌詞カードも、遺書のようなデザインの、
手紙型の歌詞カードを、作製して、封入。

CD盤面は、デビューシングルと同じ、
白無地に黒字のシンプルなデザインを、

ソロ活動初期の無料配布CD-Rと同じ、
直筆サイン仕様で、仕上げた。


一応、シングル曲ということもあり、

新たな撮影はできなかったものの、
過去のライヴ映像等を使用して、

Music Videoも、制作--

前述の、この曲を初披露した時の、
ライヴ映像を、メインに、

過去の(ソロでの)全てのライヴ映像と、
CGアートによる演出も、
織り交ぜて、制作した、MVで、

このMVは、

ラストライヴBlu-rayに、収録予定で、

また、本日より、インターネット動画サイト、
YouTubeにて、配信もさせていただいている。

◎『人生(いのち)を ありがとう』(Music Video)


カップリング曲には、

当初、僕の中では、最後の曲と決めていた、
僕が創る音楽の、全ての完結の曲であった、

最後にリリースしたアルバムの、
最後に収録した曲、

『孤高とは』の、
“Last Version”を、収録--

原曲は、シンセストリングスサウンドと、
デジタル効果音だけの、荘厳な曲調の、

哲学的ながらも、
あまりにも悲しすぎる、
終わりの歌であるが、

Last Versionは、

1曲目の表題曲で、息絶えて終わり、
僕は死んだ設定になっているため、

シンセストリングスのパートは、
アコースティックギターサウンドで、
デジタル効果音のパートは、
クラシックピアノサウンドで、奏で、

バンド時代からサウンドのメインであった、
エレキギターや、
ソロになってから使用してきた、
シンセベースなどの、

エレクトリックな楽器とは、対極にある、

アコースティックな楽器の、
サウンドのみで、演奏し、

さらに、ヴォーカルも無しの、
インストゥルメンタルとなっており、

一方で、終盤には、原曲と同じ、
シンセストリングスサウンドとデジタル効果音が、
少しだけ、入っているが、

これは、僕の死を悼み、
この曲を聴いてくださっている方の、心の中で、
亡き僕の想い出が甦っている様子を、表現しており、

“Last Version”に相応しい、
アレンジに仕上がった。


そして、今作には、
当初、CDでの単独リリースを予定していた、
ベストアルバムを、

CD-Rにて、ラストシングルに、
特典として、附属--

過去の各バンド時代の楽曲を含む、
選りすぐりの14曲に、

ラストシングル曲の初期バージョンのライヴ音源を、
ボーナストラックとして加えた、全15曲を、

Verbatimの、レコード模様の、
CD-Rに、収録。

昔懐かしい、約18年前からの、バンド時代も含む、
僕の音楽を、振り返ることができる、
昔懐かしい、レトロな、レコード模様の、
特典CD-Rとなっている。


また、ラストシングルのリリースに合わせて、
過去にリリースした、旧作CD,Blu-rayDiscの、
在庫処分セールも、開催、

さらに、ラストシングルも含め、
送料無料キャンペーンも、実施--

※昨年11月30以降の御注文から、
セール価格と送料無料を、既に適用。

全ての楽曲とMusic Video、一部のLIVE映像は、
YouTubeにて、配信させていただいており、
無料で御視聴はしていただけるのだが、

全てのCD,Blu-rayDisc作品は、
2022年3月20日をもって、販売終了、
2022年3月31日をもって、各種お問い合せ受付終了、
2022年4月10日をもって、廃盤となる予定なので、

この機会に、CDやBlu-rayの作品という形で、
御手元に残されては、いかがであろうか。


そして、これに先駆け、YouTubeにて、

過去にリリースした全アルバム、
1stアルバム『LONELINESS××××××』と、
2ndアルバム『फिलोसोफिया~フィロソフィア~』の、

全収録曲のフル音源を、
歌詞字幕とチャプター付き動画で、配信--

◎1st Album CD『LONELINESS××××××』(2017年)

◎2nd Album CD『फिलोसोफिया~フィロソフィア~』(2018年)


なお、シングル曲、
『Moon』、『何も無い世界』の、
Music Videoは、

既に、YouTubeにて、配信済みなので、
同チャンネルの配信動画一覧を、御参照。


さらに、この機会に、

ソロデビュー前、最後に所属した、
途中加入・途中脱退した、ロックバンド、

No Moment時代の楽曲、
『Daybreak』(※原詞作詞のみ担当)の音源も、

YouTubeにて、歌詞字幕付き動画で、配信--

◎No Moment『Daybreak』(2011年)


なお、No Momentの前に所属していた、
僕が中心になって結成し、
リーダーとメインコンポーザーも務めていた、

ビジュアル系ロックバンド、
podsol≒suicide時代の楽曲の音源も、

既に、YouTubeにて、配信済みなので、
同チャンネルの配信動画一覧を、御参照。


…さて、残るは、ラストライヴ映像配信と、
御別れイベント生配信のみとなるが、

新型コロナウイルス感染症流行情勢等により、
スケジュールの内容・日程等の変更の可能性ありと、
当初から、告知させていただいており、

1週間前より、公式ウェブサイトにて、
御知らせさせていただいているが、

スケジュールの日程が、
“延期”となっている--


現在、新型コロナウイルス感染拡大・第6波により、

緊急事態宣言の前段階である、
『蔓延防止等重点措置』が、発令され、

2月13日で解除される予定であったのだが、
3月6日まで延長となったことに伴い、

他県への移動の自粛が要請されているため、

3月2日に、開催を予定していた、
富山県での、御別れイベント生配信は、

3月中旬に、延期となった。
(※期日は、3月上旬に、改めて告知予定。)

また、本日、2月26日に、開催を予定していた、
ラストライヴ映像配信も、

本日、2月26日に、無観客ライヴを行い、
映像を収録させていただき、

これから、編集を行い、
制作させていただくので、

公開は、3月5日(10日に再延期) に、
延期させていただくこととなり、
(※編集作業遅れの影響により公開再延期)

3月2日に予定していた、
ラストライヴBlu-rayのリリースも、

3月13日に、
延期させていただくこととなった。

…ちなみに、ラストライヴ映像配信の延期に関しては、
新型コロナウイルス感染拡大情勢と関係なく、

(教育関係の仕事であるため、
受験シーズンということもあり…)
仕事の都合によるものである。

申し訳ない…


今後も、情勢等により、度重なり、
スケジュール変更の可能性もあるので、

前述の、ラストシングルの購入申込や、
旧作CD,Blu-rayDisc在庫処分セールの詳細等も含め、

前回のブログ記事にてURL記載の、
公式ウェブサイトを、
随時、御確認いただければと思う。


音楽活動引退ラストライヴ映像配信…

正直、あまり良いライヴとは言えず、
寂しいライヴ映像にもなるとは思うが、

それらも含めて、最期に相応しい、

ソロでの音楽活動、8年間の、
バンド時代を含め、約18年間の、
僕の音楽活動人生の、

最後の姿を、
見送っていただければと思う。




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FUNERAL TRAIN

音楽活動引退ラストスケジュールの告知--

◎LAST Single CD(特典BEST Album CD-R付き)
『人生(いのち)を ありがとう』
2022年2月12日 リリース
価格:500円(税抜)
《収録曲》
1.人生(いのち)を ありがとう
2.孤高とは(Last Version)
+特典BEST Album CD-R(※歌詞カードなし)
『Тама ALL TIME BEST~2004-2022~』
※バンド時代の楽曲を含む全15曲収録

◎LAST LIVE(無観客LIVE映像インターネット配信)
『告別式-LAST MESSAGE-』
2022年2月26日(3月5日→10日に延期)
19:00~→深夜~翌朝にかけて公開
(※通信環境の都合により公開時刻遅延)
(※編集作業遅れの影響により公開再延期)
(※収録あるいは制作は2月26日)
配信サイト:YouTube
(収録会場:北千住STUDIO K(東京都足立区))
視聴料金:無料
※3月2日(13日に延期) LAST LIVE Blu-rayDisc(特典DVD-R付き)リリース予定

◎御別れイベント(インターネット生配信)
『#お別れ富山』
※新型コロナウイルス感染拡大による『蔓延防止等重点措置』発令延長に伴い、延期。
※期日は、3月上旬に改めて告知予定。
2022年3月2日(中旬に延期) 18:30~ 富山県富山市より生配信
配信サイト:TwitCasting
視聴料金:無料
4月10日 アーカイブ番組をYouTubeにて公開予定
(※制作・公開中止→代わりに、アーカイブミニ動画を制作、4月10日までにYouTubeにて公開)

◎旧作CD,Blu-rayDisc在庫処分セール開催

◎過去の楽曲,Music Video,LIVE映像をYouTubeにて順次公開

※新型コロナウイルス感染症流行情勢等により、
スケジュールの内容・日程等、変更の可能性あり。

--詳細は、公式ウェブサイトにて、
順次、発表させていただくので、
随時、御確認いただければと思う。

◎Тама 公式ウェブサイト


改めまして、

残された時間、最後の時を、

最後まで、よろしく、
御願い申し上げたい。




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マッチ売りの少女



2021年の総括--


2021年は、前年に、

11年半前、凄惨な(第一次)転落人生からの、
何かも全てを失い、各地を転々としての、
孤独で壮絶な、人生再起劇の果て、築き上げた、

この再起後の人生も、

約8年前、再起後の人生を、
再びの壊滅の危機から護る、
辛く過酷な、第二次転落人生解放闘争に、
勝利し、樹立され、

改めて、再スタートし、
以降、存続を支えてきた、
『新体制』の下、

(現在、容態は長期的に安定しているが、)
途中からは、長年の苦労が祟ってか、
不治の病を抱えながらも、

不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、

余生さえも生き終え、身辺整理をも完了させ、
一旦の終結が宣言されたため、

“安らかな終末”となる予定であった。


しかしながら、春の終わり…

第二次転落人生解放闘争において、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立へ導き、

以降、約8年間、
再起後の人生の存続を支えてきた、
新体制を、

支えていた存在を、
失うこととなってしまった…


…夏から秋にかけては、この影響で、
喪に服すなどしていたということもあり、

4ヶ月半以上もの、長期に亘り、
地域と職場を除き、音信不通にもなってしまい、

御心配をおかけして、申し訳なかった。


そして、第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えていた、
新体制を、支えていた存在を、
失うこととなってしまったことにより、

この新体制は、
“崩壊”することが、確定し、

身辺整理までをも完全終結させていることは、
不幸中の幸いではあるが、

安らかな終末は、無しとなり、
この終末も、末期となり、

まだ遠い先のことのように言っていた、
安らかな終末を終えた果てに迎えるであろうとしていた、

これだけ波瀾万丈な生涯であった、この僕らしく、
また何かしら劇場的で個性的な結末で迎えるであろう、

最期の物語が、
幕を開けてしまった…


そして、秋の終わり…

崩壊することが確定した、新体制は、

かつて、第二次転落人生により延期されていた、
ソロでの音楽活動の始動を、一番の目的とした、
第二次転落人生解放闘争の、結果として樹立され、

ソロでの音楽活動の、存在意義であるため、

新体制の崩壊に伴い、存在意義を失い、
新体制樹立と共に始動し、新体制下で続いてきた、

このソロでの音楽活動は、終了となり、

最後に在籍したバンドの脱退時に、
最後の音楽活動であると宣言していた、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

2022年の春をもって、

音楽活動を、
“引退”することにもなった。

引退まで音楽活動、最後まで、
よろしく御願い申し上げたい。


…今年は、喪中に相当すると定めたため、

年越し蕎麦も、御節料理も、無し、

肉も魚も卵も禁止なので、

ダルパラク(豆・ほうれん草)カレーを、
近所のインド料理店からテイクアウトし、
自宅で食べながら、

慎んで、年越し。

毎年、正月恒例の、
初詣も、厄除け(延期)も、
温泉も、カラオケも、無し、

年末年始の御挨拶も、
控えさせていただきたい。


…読んでくれて、ありがとう。

寒い季節となってまいりましたね…

暖かくなさって、御心身ともに、
御気をつけて、御過ごしください。

2022年が、皆様にとって、

良い御年で、
ありますように。




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LAST PARADE



ロックバンド、
BUCK-TICK(バクチク)の、

年末武道館ライヴを、
生放送にて、視聴した。


自身が音楽活動を引退することや、
終末の末期となった自身の人生の状況も鑑みて、

他アーティストも含め、
もう、音楽のライヴの参加や鑑賞は、

個人的に、人生で最後とすることとし、

最後は、

結果的に、生涯で、最も長い期間、
途切れることなく一貫して、聴き続け、

繊細で哲学的な楽曲の世界観が、
自身の人格形成や精神世界にも影響を与え、

最終的に、一番好きなバンドとなった、

BUCK-TICKの、ライヴで、
終わらせたいと思い、

2年近くにも亘って続いている、
新型コロナウイルス感染症流行情勢により、
ライヴ公演の代替として行われてきた、
配信ライヴに、慣れてしまったことや、

終末の末期となった自身の人生の状況も鑑みて、
自宅で落ち着いて楽しむことができるため、

もう、現地のライヴに参加する元気もないので、
(あるなら、まだ最後にしなくていい)

BUCK-TICKのライヴ公演を、

現地のライヴさながらの気分で、
生放送にて、

今回のライヴが生放送された、
有料衛星放送テレビ局、
WOWOWの、番組を、

(衛星放送が視聴できないため、)
インターネット配信経由で視聴できる、
WOWOWオンデマンドにて、

視聴した--


BUCK-TICK
『魅世物小屋が暮れてから〜SHOW AFTER DARK〜 in 日本武道館』
2021年12月29日
日本武道館(ライヴ会場)
WOWOWオンデマンド(配信サイト)

《SET LIST》
1.DIABOLO
2.夢魔-The Nightmare-
3.楽園
4.謝肉祭-カーニバル-
5.Lullaby-lll
6.絶界
7.Living on the Net
8.光の帝国
9.ユリイカ
10.忘却
11.BABEL
12.獣たちの夜
13.堕天使
14.Villain
15.舞夢マイム
16.MOONLIGHT ESCAPE
17.形而上 流星
18.JUST ONE MORE KISS
19.唄
20.ICONOCLASM
21.Alice in Wonder Underground
[アンコール] 
1.恋(新曲(カップリング曲))
2.Go-Go B-T TRAIN(新曲(シングル曲))
3.独壇場Beauty


今回のライヴは、夏に、
新型コロナウイルス感染症流行情勢下、
インターネット配信形式で行われたライヴ、

『魅世物小屋が暮れてから
〜SHOW AFTER DARK〜』の、世界観が、

毎年、年末に、恒例の、
日本武道館でのライヴにて、

有観客ライヴとして、実現したもの。


前述の配信ライヴは視聴していなかったので、
今回のライヴの世界観は、初見となったが、

多様な音楽性と世界観を持つ、
BUCK-TICKの中でも、

ライヴのタイトルからも感じられるような、
芸術的で妖しい世界観が際立っていて、

前半では、その世界観を存分に魅せられ、

中盤では、昨年にリリースされた、
最新アルバムの楽曲が、披露され、

後半では、初期の楽曲を中心に、
アコースティックサウンドによる、
新たなアレンジで、披露され、

個人的には、ライヴを鑑賞するのも、
もう今回で、人生最後であったこともあり、

ただでさえ、繊細で哲学的な、
BUCK-TICKの楽曲の世界観に加え、

初期の楽曲から最新アルバムの楽曲まで、
幅広く披露されたため、

長年に亘って、楽曲を聴き続けてきた、
バンドということもあり、

それぞれの楽曲が披露されるごとに、

それぞれの楽曲を聴いていた当時の、
過去の想い出や、

過去に参加してきた、
BUCK-TICKのライヴを思い出し、

この上なく、感傷に浸ってしまい、

特に、昨年にリリースされた、
最新アルバムの最後に収録された、

『忘却』は、

哲学的ながらも寂しい歌詞と世界観に、
物悲しく重々しいメロディーとサウンドの、
厳かで壮大な芸術的ロックバラードナンバーで、

何もかもが全て、消えていき、
ただ一人残された、悟りの境地の向こう側で、
自らの精神さえも、何もかも全てが、
跡形もなく消え去り、“無”となるような曲で、

個人的には、現在の自身の情況や精神世界と、
楽曲の世界観が共鳴し合える曲なのだが、

昨年、リリースされ、聴いた時は、
ちょうど、身辺整理を完全終結させ、
安らかな終末へと突入したばかりであったため、

厳かで哲学的な、無と悟りの世界観の部分に共鳴し、
悟り開いた感じで、聴いていたのだが、

今回は、そんな終末も末期となってしまい、
最期へのストーリーが幕を開けてしまっている、
人生の情況もあって、

寂しく物悲しく消え去っていく、
無常な世界観の部分が、心に沁みてしまい、

思わず、涙ぐんでしまった…


アンコールでは、9月にリリースされた新曲で、

曲名の通り、BUCK-TICK(B-T)が、
列車(TRAIN)で未来へ向かっていくような、
疾走感の溢れるナンバー、

『Go-Go B-T TRAIN』が、披露され、

新型コロナウイルス感染症流行により、
ライヴ公演の開催が困難な情勢や、

Guitarの今井寿さんが御怪我をされ、
ライヴツアーの中止もあったため、

Vocalの櫻井敦司さんが、
『“B-T TRAIN”、やっと乗れたね…』と、
感慨深く、仰られ、

終演後は、来年の活動予定が発表され、

来年で、BUCK-TICKは、
デビュー、なんと、35周年を迎え、
結成からは40年近くを迎えるが、

まだまだ、終わることなく、
活動は、続いていく。


しかしながら、僕は…

BUCK-TICKの音楽は、
最期の最後まで、聴き続けていくし、

叶うなら、死後、あの世でも、
来世があるなら、生まれ変わっても、
BUCK-TICKの音楽を聴き続けたいが、

本当に好きだからこそ、
志半ばで終わる方が、辛く悲しいので、

終末の末期となった人生の状況を鑑みて、

(他のアーティストや、自身の活動も含め、
音楽に関しては、)

これで終わりということで、
気持ち的に一区切りつけて、

結果的に、生涯で、最も長い期間、
途切れることなく一貫して、聴き続け、
繊細で哲学的な楽曲の世界観が、
自身の人格形成や精神世界にも影響を与えた、

BUCK-TICKに、この上なく、
深く、感謝し、

“B-T TRAIN”には、僕は乗車せず、
見送ることとした。


遠い遠い約数十年も昔、若かった頃、
BUCK-TICKの、初期の楽曲の、
切なく感傷的ながらも鋭く刺激的な、
歌謡ビートロックの音楽性が、
当時若者だった僕には心に沁みて、聴き始め、

僕自身もバンドや音楽活動をやってきたが、
BUCK-TICKは、僕に、音楽的な影響は、
あまり与えなかった一方で、

その感傷的で切ない音楽性は、
僕の人格形成に多大なる影響を与え、

その後、凄惨な(第一次)転落人生に見舞われ、
何もかも全てを失い、壮絶な人生再起劇を経て、
人生再起を果たすも、その後も苦悩は続き、
長年、波瀾万丈な日々が続いたことで、

若かった頃に聴いていた、
BUCK-TICKの初期の楽曲は、
平穏な人生を送っていた遠い遠い昔の、
かけがえのない想い出の音楽と化し、

約8年前までは、BUCK-TICKの、
初期の楽曲だけに限り、
平穏だった過去に縋るかのように、
長年、聴き続けていたが、

そんな長年続いた波瀾万丈な境遇の果て、
初期とは音楽性の違う、その後のBUCK-TICKの、
ダークで病的な世界観に、深く共感するようになり、

波瀾万丈な人生は、止まることを知らずに続き、
とても辛かった再びの(第二次)転落人生からの、
再起後の人生を再びの壊滅から護る過酷な闘いに、

ついに精神は極限を越え、悟り開かれてしまい、
最近のBUCK-TICKの、壮大で哲学的な、
精神世界にも、共鳴できるようになり、

第二次転落人生解放闘争勝利の果て、
新たな体制を樹立し、護り抜いた再起後の人生を、
改めて再スタートした、約8年前からは、

BUCK-TICKの、初期の楽曲のみならず、
全ての時代の楽曲を聴くようになり、
ライヴにも行くようになり、
一時期はファンクラブにも加入し、

その後も、BUCK-TICKは、僕の、
芸術的世界観や哲学的精神世界に、影響を与え、

最終的に、BUCK-TICKは、
僕の一番好きなバンドとなり、

結果的に、連続性なく断絶された、
人生再起の前後をも繋いで、

僕が、生涯で、一貫して、聴き続けた、
唯一の、音楽となり、

この再起後の人生も、
過去の清算や新たな夢から、余生や身辺整理まで、
何もかも全て、悔いなき完全終結を果たし、終末となり、

そして、第二次転落人生解放以降、
人生の存続を支えた体制が崩壊することとなり、
自身の音楽活動も引退することとなり、
終末も末期となり、

こうして、終わってしまう僕は、

終わることなく、走り続けていく、

“B-T TRAIN”を、
見送った。




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『意志』から『遺志』へ


音楽活動引退の発表に続き、

音楽活動の傍ら、地域で行なってきた、
政治活動に関しても、御報告がある。


まず、最初に…

一身上の都合により、半年以上も、
政治活動に関する御報告ができなかったことを、

御詫び申し上げたい。


しかも、本来であれば、
すぐにでも御報告しなければならない、
非常に重要な内容を、

7ヶ月以上も遅れて、今さら、
御報告させていただくこととなる…--


昨年の秋…

長年、地域での政治活動を共にしてきた、
社会民主党が、事実上の分裂、
一部を除き、立憲民主党へ合流となり、

当初は、社会民主党を離党(新生社民党に不参加)し、
立憲民主党へ合流もせず、

立憲民主党の一部等を、
“党外から”支援・連帯・共闘という、
独自の道を選択していたのだが…

(※それまでの経緯についての詳細は、
4月2日のブログ記事を御参照。)


5月22日、

立憲民主党に、“入党”し、

最終的な結果として、社会民主党から、
立憲民主党へ、“合流”した形となった。

また、今回の合流を受けての、
社会民主党からの合流者による、
立憲民主党の党内グループ、

『社会民主主義フォーラム』にも、
加入をした。


当初から、無所属で中立ながら、
立憲民主党を主に支援する意向で、

立憲民主党の政治参画制度、
『立憲パートナーズ』にも、
登録していたとはいえ、

最終的には、当初の意向とは、
違った結果となり、申し訳ないが、

経緯を御説明させていただきたい--


5月22日…

今回の社民党の合流を受けての、
東京の立憲民主党合流者による、
初の集会が、開催された。

この集会には、何故か、

社民党を離党(新生社民党に不参加)はしたものの、
立憲民主党の、あくまでも、
“党外支援者”の政治参画制度に過ぎない、
立憲パートナーズに、登録しただけの、

僕も、招待され、

せっかくの機会なので、
(新型コロナウイルス感染症流行情勢を鑑み、
ZOOMでのオンライン参加も可能であったため、)
オンライン形式にて、参加させていただいた。

…その集会にて、

立憲民主党の国会議員の方や、
社民党から合流なさった地方議員の方々の、
御話を聞かせていただき、

4月2日のブログ記事にて既述した、
立憲民主党を(主に(当時))支持する理由に加え、

当初、立憲民主党の中で、限定的に、
連帯や共闘していく対象と考えていた、

今回、社民党から合流したグループは勿論ながら、
旧・民主党・民進党時代からのグループも含む、
旧・日本社会党の流れを汲む、
リベラル左派系の、一部だけではなく、

自由民主党離党者による新興政党の流れを汲む、
保守中道系も含め、

『立憲主義』で一致はしており、柔軟性もあり、
同志として、共に結束していけると、確信したこと、

情勢を鑑みた現実的な政策を掲げ、説得力があり、
幅広い層から支持を得ており、実績もあり、
認めざるを得ず、考えが変わったこと、

細かな思想の違いはあっても、
多様性に富んでいる党風が、
僕には合っていると感じたこと、

そして、何より…

個人的には、自身の人生の状況も鑑みて、

もう、この地域での政治活動は、

これまで行なってきた運動を、
政治に反映できる勢力を、

“残し、引き継ぐ”ことが、

一番の、そして、
最後の、課題となったため、

一部に社民党と同じ旧・社会党の流れも汲んでいる、
影響力のある大きな政党である、

立憲民主党の中に、
遺していきたいと思い、

入党を、決意した。

そして、入党を決意したところに、偶然…

なんと、社民党から立憲民主党に合流なさった、
とある大御所ベテラン区議会議員の方から、
電話で直々に、入党の要請をいただいたため、

二つ返事で、了承させていただき、

立憲民主党に、即日、
入党することとなった。


続いて、その後から、これまでの期間の、
御報告できていなかった、政治活動の御報告--

その後は、ちょうど、一身上の都合により、
政治活動以外も含め、全ての活動等が、
停止状態となってしまったこともあり、

7月の序盤には、東京都議会議員選挙が行われたが、
支援運動には参加できず、投票のみとなってしまい、
(荒川選挙区にて、立憲民主党が応援していた、
日本共産党の鈴木賢一さんに、投票(※落選))

引き続き、一身上の都合により、
7月の後半からは、地域と職場を除き、
長らく、音信不通状態となっていた中で、

10月の衆議院議員選挙の支援運動には、
なんとか、参加をすることができ、

東京14区にて、選挙運動期間初日の、
荒川区での立憲民主党の第一声となった、
町屋駅前での街頭演説の場にて、

ようやく、遅ればせながら、
立憲民主党に合流して、初めて、

荒川区は勿論ながら、同じ東京14区の、
墨田区と台東区(一部)の、区議会議員の方々や、
近隣の葛飾区の、区議会議員選挙立候補予定者の方、

そして、東京14区の候補者で、東京14区総支部長の、
木村剛司・元・衆議院議員にも、
(※残念ながら御落選…)

立憲民主党の方々に、
直接、御挨拶をさせていただき、

まだ、一身上の都合による、
音信不通状態が続いていたこともあり、

選挙事務所にて、電話による投票依頼など、
裏方の事務作業にはなったが、

立憲民主党の選挙運動を、
御手伝いさせていただいた。

その後、衆院選での議席数減少の結果を受け、
結党時から立憲民主党の代表を務めてこられた、
枝野幸男・代表(当時)が、引責辞任され、

それに伴う、立憲民主党の代表選挙では、

旧・社会党の流れを汲むグループに所属で、
長年の自治体首長経験もあるベテランの、
逢坂誠二さんに、投票し、

結果は、保守中道系の、
(旧)国民民主党から合流して来られた、
泉健太さんが、新たな代表となられたが、

なんと、代表代行には、逢坂誠二さん、
幹事長には、女性の、西村智奈美さん、
政務調査会長には、若手の、小川淳也さんと、

保守中道・リベラル左派、
男性・女性、ベテラン・若手と、
それぞれ、細かな思想や性別や年齢も違う、

代表選を闘った候補者、全員が、
代表選後は融和して、役員に就任され、

新たな立憲民主党のポスターには、
代表だけではなく、その4名の全員が並び、
『さあ、力を合わせて』との、
スローガンが掲げられており、

そうした人事を選任してくださった、
泉・新代表に、心からの敬意を表するとともに、

立憲民主党は、多様性が尊重される、
素晴らしい政党だと、改めて実感させられ、

この政党ならば、派閥争いなどで消えることなく、
旧・社会党~社民党の流れを汲む政治勢力を、
党内の一角に、恒久的に、
残していくことができると、確信した。

その後、長期に亘った、
一身上の都合による、音信不通状態からの、
復帰に向かっていた、11月には、

地域での政治活動において参加してきた、
地域での人権運動や住民運動、

地域で労働組合の関係者の方々と交流しながらの、
進歩的政治理論・経済哲学の学習会にも、参加し、

変わらず、地域で共に、連帯・共闘し、
運動を続けることができている。


そして、立憲民主党の中に、
旧・社会党~社民党の流れを汲む政治勢力を、
残して引き継いでいくという観点からは、
最も重要な組織となる、

社会民主党からの合流者による、
立憲民主党の党内グループ、

『社会民主主義フォーラム』にも、
加入をした。

立憲民主党には、
旧・社会党の流れを汲むグループとして、

旧・民主党~民進党時代、かつては、
『新政局懇談会』というグループがあり、

その後は、『サンクチュアリ』という、
新たなグループに引き継がれ、

旧・民進党の一部による立憲民主党の結党後も、
党内グループとして引き継がれ、健在であり、
現在、なんと、党内最大グループであるが、

今回、合流した、社民党は、
同じ旧・社会党の流れを汲んではいるが、
サンクチュアリへ合流という形ではなく、

社民フォーラムという、新たな別のグループにて、
旧・社会党の流れを汲む、あくまでも、
旧・社民党の流れを汲む政治勢力を、
立憲民主党の中の一角に、築くこととなった。


さて、しかしながら…

ここで、もう一つ、
衝撃的な発表がある--

社民党の荒川区の総支部から、
立憲民主党に合流したのは、最終的に、

なんと、僕を含め、たったの、
2名だけという結果となった…

さらに、もう御一方は、
職場・労働組合が、荒川区であったため、
旧・社会党~社民党時代は、
荒川区の総支部に所属してこられたが、

現在は、定年退職をされており、
御住まいは、近隣の葛飾区であるため、
立憲民主党では、葛飾区の、
管轄総支部に合流なさったため…

…まさかの、

社民党の荒川区の総支部から、
立憲民主党の荒川区の管轄総支部に合流し、
社民フォーラムに加入した荒川区民は、

なんと、僕一人だけという、
結果となってしまった…


…荒川区は、多様な社会的に弱い立場の人々が、
共生する、“マイノリティーの聖地”であり、

旧・社民党は、全国的には、
少数政党となっていたが、

人権や福祉を掲げていることもあり、
荒川区では、一定の支持率と組織を残してきたのだが、

今回の社民党の分裂・合流においては、

党本部は勿論ながら、
地方議員も党員も多い社民党が強い地方の組織も、
非常に多くが、立憲民主党へ合流し、

党全体としては、残留派(新生社民党に参加)が、
かなりの少数派となったが、

マイノリティーの聖地であるが故にか、

荒川区においては、残留派(新生社民党に参加)が、
圧倒的な多数派という結果となった。


…今、僕の人生の状況は、

凄惨な(第一次)転落人生からの、
家出をして、各地を転々としての、
孤独で壮絶な人生再起劇の果て、

辿り着いた新たな地に移住し、始まった、
この再起後の人生も、

人生再起後も波瀾万丈と苦悩が続きながらも、
建設と前進を続け、

その後、再びの人生壊滅の危機、
第二次転落人生に見舞われるも、

心支えてくれた存在との出会いもあり、
再起後の人生を護る、辛く過酷な闘いに勝利し、

再びの壊滅の危機から護られた、
この再起後の人生は、

改めて樹立された、
『新体制』により、

再スタートし、
以降、存続を支えられ、

新体制の下、

(現在、容態は長期的に安定しているが、)
途中からは、長年の苦労が祟ってか、
不治の病を抱えながらも、

不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たしていき、

長年の苦悩から解き放たれ迎えた、
余生さえも、生き終えてしまい、

そして、身辺整理をも、全て完了させ、
何もかも全ての、完全なる終結を果たし、

以降、安らかな終末となる予定であったのだが…

…新体制を支えていた存在を、
失うこととなってしまったことにより、

第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えていた、

新体制が、崩壊することとなり、

これだけ波瀾万丈な生涯であった、この僕らしく、
また何かしら劇場的で個性的な結末で迎えるであろう、

最期へのストーリーが、
幕を開けてしまった…


しかしながら…

旧・社会党~社民党の流れを汲んで、
立憲民主党内に継承された組織である、
社民フォーラムが、

荒川区では、僕一人しかいない以上、

このままでは、地域で、
“残し、引き継ぐ”ことは、できない…

…このままでは、

死んでも、死にきれない。


…人生最後の闘いとして、

社民フォーラムの組織を、

荒川区に、築かなければならない。


そう思っていたところ…

前述の、僕と同じく、
社民党の荒川区の総支部から、
立憲民主党に合流なさり、
社民フォーラムにも加入なさっている、

立憲民主党では、葛飾区の管轄総支部に、
合流なさった、同志の方から、

『お互い、(それぞれの地域で)一人では、
できることに、限りがあるから…』

…と、御誘いをいただき、

『社会民主主義フォーラム荒川・葛飾支部』を、
結成した--


…奇遇なことに、その同志の方は、
僕と同じ大学出身であり、

親近感のある先輩と一緒ということで、
とても心強く、

立憲民主党合流後の所属総支部は違えど、
共に社民党の荒川区の総支部から合流してきたため、

僕が、無謀にも、一人から築こうとしていた、
荒川区の旧・社会党~社民党の流れを汲む組織であり、
とても嬉しく、

荒川区と共に、結成した支部の管轄となった、
葛飾区は、個人的には、奇遇なことに、

天涯孤独で、身寄りのない僕が、孤独死した場合、
荒川区役所によって、死後、
埋葬・供養される予定の、無縁仏がある場所で、

僕の最期にも相応しく、
とても感慨深い。


しかしながら、組織は結成できても、

荒川区に、社民フォーラムの会員が、
僕一人だけであることに、変わりはなく、

荒川区で、この組織を築いていかなくては、

荒川区に、この地域での政治活動の遺産を、
遺すことはできないし、

このまま、僕が、いなくなってしまえば、

せっかく一緒に組織を結成してくださった、
葛飾区の同志の先輩を、また御一人にさせてしまい、
組織も無くなってしまい、

いずれにしても、“残し、引き継ぐ”ことは、
できなくなってしまう…


今は、2022年の春に、
音楽活動の引退を、控えているため、

それまでは、最後の音楽活動に、
専念させていただきたいが…


…音楽活動引退後、最期を迎えるまで、
最後の政治活動として、

荒川区で、葛飾区の同志と共に、

かつて最大野党として君臨し、

戦前の軍事帝国主義の反省に立って制定された、
人権・福祉・平和を保障する、
戦後平和憲法理念に則った、
差別・貧困・戦争のない社会への変革のため、

政権と対峙し、交渉や闘争を行い、

戦後の自由・平等・共生社会を、
不完全ながらも、実現させてきた、

強い影響力を持った野党であった、

社会党の流れを汲む、
社民フォーラムとして、

戦後平和憲法理念に立脚した、
『立憲主義』の下、多くの人々が結集した、
立憲民主党という、最大野党の中で、

細かな思想が異なる同志達とも結束し、

かつての社会党のように、最大野党として、
強い影響力を持って、政権と対峙し、

現実的に、穏健に、世俗的に、
少しずつでも、部分的にでも、
政策を実現させていくことができる政治勢力を、

地域に、築き、残し、
引き継ぐことができるよう、

社民フォーラムの組織を、
築いていきたい。


…凄惨な(第一次)転落人生により、
故郷も友人も家族も、何もかも全てを失った僕が、

壮絶な人生再起劇の果て、最終的に辿り着き、
移住・定住し、居場所として、

再起後の人生を生きてきた地であり、

奇しくも、在日朝鮮人の方々が多く居られたり、
かつて被差別部落が存在した歴史もあったり、

貧困層の方々が多く、ドヤ街の山谷地区も存在したり、
戦時中に『尾久初空襲』被害の歴史もあったり、

多様な社会的に弱い立場の方々の、
居場所となっている、

この荒川区に、

後世にとっての居場所と、
人権・福祉・平和が護られる街を、

僕亡き後にも、
遺すために…




Android携帯からの投稿

始まった君も 終わっちゃう僕も



先日の音楽活動引退の発表を受けての、
皆様からのメール,LINE,SNSメッセージに、

心からの感謝を申し上げたい。


しかしながら…

音楽活動に関しては、
もう、既に、2018年7月の時点で、

概ね、全て、やり切ったと、
宣言をしていたということもあってか、

音楽活動引退の件に対する反響は、少なく、

皆様から寄せられたメッセージの多くは、

4ヶ月半以上もの、長期に亘り、
音信不通となってしまっていたことによる、

僕の生存の安否を気遣う内容であった--


生活している地域や出勤している職場に関しては、
日々、直接、関係者の方々と御会いしていたため、
特に問題はなかったのだが、

その他の方々からの連絡に関しては、

LINEは、通知をオフにして、
(近年はLINEが主な連絡手段として普及しているため、
これは、ほぼ全ての外部からの連絡を遮断した状態に等しい)

音楽活動用の公式メールやCD販売受注等は、
委託をして、

SNSには、投稿もログインもアクセスもせず、
ブログの更新も、過去最長に途絶え、

音信不通となってしまい、

そんな状態が、4ヶ月半以上も、
長期的に続いてしまっていたため、

僕の場合は、遠い昔に、
凄惨な(第一次)転落人生により、
故郷も友人も家族も、何もかも全てを失い、

家出をして、各地を転々としての、
孤独で壮絶な人生再起劇の果て、
辿り着いた新たな地に移住し、人生を再起し、
その後も波瀾万丈が続いてきた身であるため、

天涯孤独で、身寄りがないうえ、

現在、容態は長期的に安定しているが、
長年の苦労が祟ってか、数年前より、

不治の病も抱えているということもあり、

また、昨年には、この再起後の人生も、
不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、

余生さえも生き終え、身辺整理をも完了させ、
一旦の終結が宣言され、終末となっており、

そうした状況の中で、
非常に重大な出来事があってからの、
長期に亘る、音信不通ということもあって、

皆様からは、非常に、
心配をされていたようで、

大学時代の友人からは、電話もかかってきたり、
一部では、死亡説も流れていたとのことで、

多大なる御心配をおかけして、
大変、申し訳なかった…


…あれから8月末までは、
49日間(仏教式)、喪に服し、

9月は、過去のブログ記事を読み返して、
人生を振り返り、

10月は、地域で、
選挙の御手伝いをさせていただき、
(※政治活動に関する内容は、
また後日、別のブログ記事にて。)

11月は、音楽活動引退の、
計画を立てていた。


皆様から寄せられたメッセージで、
僕の生存の安否を気遣う内容の、
次に多かったのが、

音楽活動引退の、
“理由”を、尋ねる内容であった。

…これまでの経緯を鑑みれば、
説明の必要もないと思い、

引退発表時のブログ記事では、
語らなかったのだが…--


このソロでの音楽活動は、本来、
2012年9月30日に、始動する予定であった。

しかしながら、当時は、

この再起後の人生が、再びの壊滅の危機、
“第二次転落人生”に、見舞われていた影響により、

ソロでの音楽活動の始動は、
長らく、延期となってしまい、

その後、ソロでの音楽活動の、
始動の再開を、一番の目的として、

再起後の人生を再びの壊滅から護る、
“第二次転落人生解放闘争”へと至り、

心支えてくれた存在との出会いもあり、
辛く過酷な闘いに勝利し、

その結果、ソロでの音楽活動は、
1年半遅れにはなってしまったが、
2014年4月に、始動が再開し、

その他の止まってしまっていたことも再開し、
心機一転、新たなことも始まり、

『新体制』が、樹立し、

再びの壊滅の危機から護られた、
再起後の人生は、

新体制により、改めて再スタートし、
以降、存続を支えられ、

この新体制下で、
ソロでの音楽活動は、続いてきた。

しかしながら…

第二次転落人生解放闘争において、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立へ導き、

新体制を支えていた存在を、
失うこととなってしまったため、

この新体制は、
“崩壊”することとなった。

そして、第二次転落人生により延期されていた、
ソロでの音楽活動の始動を、一番の目的とした、
第二次転落人生解放闘争の、結果として樹立された、

この新体制は、このソロでの音楽活動の、
存在意義であるため、

新体制の崩壊に伴い、存在意義を失い、
新体制樹立と共に始動し、新体制下で続いてきた、
ソロでの音楽活動は、終了となり、

このソロでの音楽活動は、
最後に在籍したバンドの脱退時に、
最後の音楽活動であると宣言していたため、

最後の音楽活動である、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

音楽活動を、
“引退”することとなった。

すなわち、これは、
音楽活動の引退であるとともに、
新体制の崩壊でもある。

したがって、音楽活動引退と共に、
『新体制崩壊』も、宣言する予定である。


…以上、4ヶ月半以上もの、長期に亘り、
音信不通となってしまっていたことと、

音楽活動引退に至った経緯について、
説明不足であったことを、

御詫び申し上げたい。


夏には、区(荒川区)の人権交流施設にて、

新型コロナウイルスワクチンの、
接種も、行なった--


もう、1年半以上も続いている、世界的な、
新型コロナウイルス感染症流行情勢により、

重症化を防ぐワクチンの接種券が無料配布され、
自治体による集団接種などが実施されている。

…新型コロナウイルスワクチンは、

極めて短期間のうちに開発された、
従来にない新しいタイプのワクチンで、
まだまだ未知の物であり、

稀に、死に至る危険性もある重篤な副作用が、
発生する可能性もあるという、リスクもあり、

そもそも、接種をするのか自体を、
考え中であったのだが…

…見送りたかった人を見送って、
リスクがリスクでなくなったため、
接種を決めた。

接種を決めた、7月末…

当時、自治体の集団接種は、
既に、一旦、終了しかけており、

当時、荒川区の集団接種では、
当初から実施が予定されていた会場・日程は、
既に予約が空いておらず、

自治体の集団接種で使用されるのワクチンは、
基本的に、『ファイザー』なのだが、

急遽、新たに供給された、『モデルナ』を使用して、
追加で実施されることとなった会場・日程が、

当時、最終日であった、
7月30日のみ、空いていたため、

その日は、午後から、仕事があり、
接種後、(特に、モデルナは、強く、)
副反応が起きるとのことで、不安ではあったが、

その日に接種を逃すと、
ワクチンが供給され次第の実施とのことで、
もう接種できない可能性もあり、

ちょうど、追加実施会場が、
地域での政治活動で、頻繁に訪れている、
公的人権交流施設の、荒川さつき会館ということで、
気休め程度にではあるが、少し安心感があり、

最後のチャンスなので、
前日に、滑り込みで、予約をして、

急遽、7月30日、出勤前に、
職場には申告をしたうえで、
1回目の接種を行なった。

1回目は、昼に接種し、

午後からの仕事中は、特に何の副反応もなく、
逆に心配になるほどで、

深夜に帰宅後、 腕が痛み始め、
翌日は、腕に強い痛みの副反応が現れたが、

翌々日には、腕の痛みも収まり始めた。
(両日とも、仕事は偶然にも公休)

4週間後、8月27日、2回目の接種を行い、
(副反応に備え、接種日・翌日・翌々日の3日間、
事前に、仕事は休暇を取得)

2回目は、特にモデルナの場合は、
かなり強い副反応が現れるとのことで、
噂通り、接種後、すぐに、腕が痛み始め、

夜には、腕の強い痛みに加え、寒気の副反応が現れ、
当時の気温は30℃台と猛暑であったが、冷房を消し、

深夜24時を過ぎると、発熱の副反応が現れ、
翌深夜3時には、熱は38.5℃まで上昇したため、
とりあえず、就寝することにしたが、

翌早朝6時前、高熱に魘され、
3時間もしないうちに、目が覚めてしまい、

熱が39℃にまで上昇していたため、
解熱剤のアセトアミノフェンを服用し、

一度は熱が下がるが、悪寒が続き、
その後は、再び熱は39℃まで上昇…

翌日も、発熱の副反応は続いたが、
アセトアミノフェンの服用、
水分補給、睡眠を、繰り返し、
38℃~37℃程度へと、少しずつ下がっていき、

翌々日の夜には、完全に平熱まで下がり、

代わりに、上腕部の接種部位に、
腫れ・かゆみの副反応が起き、
(通称『モデルナ・アーム』)

これは、徐々に緩和していき、
5日後には、収まった。

…かなりの高熱に、モデルナ・アームと、
噂通りの副反応で、高熱は特に辛かったが、

こうして、無事に、
新型コロナウイルスワクチンの接種を、完了し、

重篤な副作用が発生する可能性が高まるとのことで、
しばらくは、激しい運動や飲酒は避け、
(元々、あまりしないが…)

以降、特に副作用が発生することもなく、
現在に至っている。


このワクチンの効果は、約8ヶ月とのことで、
ちょうど引退の時期まで持続するので、

引き続き、感染防止策も講じつつ、

安心して、最後の活動に、
取り組んでいきたいと思うので、

音楽活動引退・新体制崩壊を、
見送っていただき、

残された時間、最後の時を、

一緒に、
過ごし終えましょう。




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