喪明けまで闘わなくてもいい | Тама 公式ブログ 『泥沼に咲くコスモス』

喪明けまで闘わなくてもいい



お久しぶりです。

覚えてますか?

Тамаです。

生きてます。


7月1日、

新体制崩壊から、約3ヶ月…

人生再起12周年を、
生きて、迎えることができた。


12年前、凄惨な(第一次)転落人生からの、
何かも全てを失い、各地を転々としての、
壮絶で孤独な、人生再起劇の果て、築き上げた、

この、再起後の人生は、

人生再起後も、波瀾万丈と苦悩が続きながらも、
建設と前進を成し遂げていき、

約8年前には、再びの人生壊滅の危機、
第二次転落人生に見舞われるも、

心支えてくれた存在との出会いもあり、
再起後の人生を護る、辛く過酷な闘いに、
勝利し、樹立された、

『新体制』の下、改めて再スタートし、
以降、存続が支えられ、

(現在、容態は長期的に安定しているが、)
途中からは、長年の苦労が祟ってか、
不治の病を抱えながらも、

不幸な過去の清算から、新たな未来の夢まで、
何もかも全て、悔いなく果たし、

余生さえも生き終え、身辺整理をも完了させ、
2年前には、一旦の終結が宣言され、

以降、昨年までは、
“安らかな終末”に、突入していた。

(※昨年までについては、2021年6月16日、
および、当該記事に記載の期日の、
各ブログ記事を、御参照いただきたい。)


しかしながら、ちょうど1年前、昨年の夏…

再起後の人生を、再びの壊滅から護る、
過酷な、第二次転落人生解放闘争当時、
辛かった時、心支えとなり、
闘争勝利と新体制樹立に導き、命と人生を救い、

その後、新体制を、共に過ごし、
支えていた存在を、

失うこととなってしまった…


そして、新体制を支えていた存在を、
失うこととなってしまった結果、

新体制は、“崩壊”することが、確定し、

昨年の夏から秋にかけては、この影響で、
喪に服すなどしていたということもあり、

4ヶ月半以上もの、長期に亘り、
地域と職場を除き、音信不通にもなってしまい、

昨年の秋の終わりには、

崩壊することとなった、新体制は、

かつて、第二次転落人生により延期されていた、
ソロでの音楽活動の始動を、一番の目的とした、
第二次転落人生解放闘争の、結果として樹立され、

ソロでの音楽活動の、存在意義であったため、

新体制の崩壊に伴い、存在意義を失い、
新体制樹立と共に始動し、新体制下で続いてきた、

ソロでの音楽活動は、終了することとなり、

最後に在籍したバンドの脱退時に、
最後の音楽活動であると宣言していた、
ソロでの音楽活動の終了に伴い、

音楽活動を、“引退”することも、確定し、

年が明け、今年の年始から、約3ヶ月間、

最後の音楽活動として、
ラストシングルCDのリリースと、
ラストライヴ映像の配信を行い、

最後に、音楽活動引退のみならず、
新体制崩壊としての、最後のイベントとして、

新体制を樹立に導いた、第二次転落人生解放闘争の、
戦勝の聖地、富山県富山市にて、

御別れイベントの生配信も行い、

約3ヶ月前、2022年4月10日、
新体制樹立8周年をもって、

新体制は、崩壊することとなり、

こうして、第二次転落人生解放以降、
存続を支えてきた、新体制の、崩壊により、
この再起後の人生は、

身辺整理までをも完全終結させていることは、
不幸中の幸いではあるものの、

安らかな終末は、無しとなり、
この終末も、末期となり、

まだ遠い先のことのように言っていた、
安らかな終末を終えた果てに迎えるであろうとしていた、

最期の物語が、
幕を開けてしまった…


…新体制崩壊後は、

新体制崩壊の最後の最後で、
(全てのイベントを終えていたことは、
不幸中の幸いではあったが、)

近所の路上で、かなり派手に、
足を挫いて、転倒してしまい、

右足首を靭帯損傷、さらに、
歩行困難による二次災害で、右手も負傷し、

全治3,4週間(初診時)の、
大怪我をしてしまったということもあり、

治療とリハビリのため、療養の日々となったが、

全治3,4週間と診断された怪我は、

なんと、約3ヶ月が経った現在も、
まだ完治には至っておらず、

仕事に復帰したのも、
つい、今月からであり、

まだ数ヶ月、リハビリの継続や、
後遺症の改善が、必要となる見込みで、

“杖”も必要な生活となってしまったが、

先月の末から今月の初めにかけては、

再会を約束していた、大学時代の友人や、
近隣地域(茨城県)の先輩とも、再会を果たせ、

ほんの少しだけではあったが、
参議院議員選挙の支援運動にも参加でき、
(※政治活動については、また後日、
秋に更新予定のブログ記事にて。)

さらに災難は続き、猛暑が続くなか、
エアコンが故障してしまい、
繁忙期のため、修理までに相当な時間がかかり、
熱中症の危機にも見舞われるも、

“除湿冷風機”を購入し、
エアコンの冷房の代わりとしては程遠いが、
なんとか、暑さを凌ぎ、

こうして、なんとか、生きて、
人生再起12周年を、迎えることができた。


さて、今日は、新体制を支えていた存在を、
失ってしまってから、1年が経ったため、

これをもって、“喪明け”とすることとし、

喪中に相当していたため、延期していた、
毎年恒例の正月行事、

葛飾区の仏教寺院、柴又帝釈天での、
厄除けを、行なってきた。

願目は、安らかな終末が続けば、
『除災得幸』をチョイスする予定であったが、
終わる人生に、幸せは必要ないので、

人生の最期、良き終わりを迎えられるよう、
『悪星退散』をチョイス。

また、身辺整理完了から1年が経った昨年、
“一周忌”に相当したため制作した、

“生前位牌”も、持参し、

厄除けの際に、僧侶の方と共に御経を唱え、
位牌への魂入れとした。


そして、喪中に相当していたため、
正月は、肉も魚も卵も禁止としていたので、

喪明けを祝して、正月に禁止としていた、
肉を、解禁ということで、

1年前の新体制を支えていた存在との別れに際し、
想い入れのある地のうちの一つとなった、
宮崎県から、取り寄せた、

(鶏)肉に(豚)肉を詰めた料理、
『手羽先餃子』を、おつまみに、

天涯孤独で、身寄りのない僕が、孤独死した場合、
荒川区役所によって、死後、
埋葬・供養される予定の、無縁仏がある、

立石(葛飾区)の、名物である、
梅割りハイボールを、

近所のスーパーマーケットの缶酎ハイではあるが、
弔い酒として、嗜んだ。


この再起後の人生は、

第二次転落人生解放以降、存続を支えてきた、
新体制が、崩壊したことにより、

以降、3回目の人生滅亡の危機、
『第三次転落人生』の、情勢下にあり、

もう、存続の保証がない状態となっているが、

存続する限りは、最期の最後まで、

人生の状況としては、既に、
何もかも全ての悔いなき完全終結を果たし、
生き終えているという状況であるため、

人生が終わるか、終わらないかの、闘いではなく、

良き終わりを迎えるか、不幸な終わりを迎えるかの、
闘いになるとは思うが、

むしろ、終わるからこそ、終わるなら終わるで、
終わり方というものがあるので、

かつての、人生再起劇や、
第二次転落人生解放闘争と同じように、

第三次転落人生に対しても、
強い信念で、最後に闘う意志があり、

これだけ波瀾万丈な生涯であった、
この僕らしく、

また何かしら、劇場的で個性的な結末で、
最期を迎えることになるとも思うので、

最期の最後まで、
見送っていただけたら思う。


そして、人生再起と共に始まった、
この、公式ブログも、

再起後の人生が存続する限りは、
最期の最後まで、存続する。

ただし、今後は、

年4回のみ更新の、
“生存報告ブログ”となる。

もしも、更新が途絶えたら、

再起後の人生は滅亡し、僕は死亡したと、
判断していただきたい。


再起後の人生が存続する限りの、
残された時間は、

再起後の人生を、共に生きてきた地であり、
再起後の人生の、神聖なる絶対的象徴である、

荒川区にて、

荒川区に対する、感謝と恩返しの気持ちと、

壮絶で孤独な人生再起劇の果て、最終的に辿り着き、
移住・定住し、僕の居場所となった地でありながら、

奇しくも、多様な社会的に弱い立場の方々の、
居場所となっている、地域特性のある、荒川区の、

人権を護りたいという想いで、活動してきた、

政治活動の、“遺志継承”として、

荒川区では、

旧・日本社会党~社会民主党の流れを汲んで、
立憲民主党に合流し、継承された組織である、
『社会民主主義フォーラム』の会員が、

僕一人だけという結果となってしまったため、

社民フォーラムの組織を、荒川区に築き、
僕亡き後にも、遺すための、

最後の活動に、取り組んでいきたい。


…本来であれば、新体制崩壊後、
この約3ヶ月の間に、計画や準備を行い、

今日から、取り組んでいくつもりであったのだが、

この約3ヶ月間は、怪我により、
治療とリハビリのため、療養となってしまい、

さらに、まだ数ヶ月、リハビリの継続や、
後遺症の改善が、必要となる見込みであるため、

この約3ヶ月の間に出来なかった、
計画や準備を行いつつ、

怪我のリハビリ継続・後遺症改善に、
専念するため、

秋頃まで、もう少し、
お休みをさせていただきたい。


…第二次転落人生解放以降、
再起後の人生の存続を支えた、
新体制は、崩壊し、

大怪我による痛みと、体が不自由な生活に苦しみ、
辛い治療とリハビリの日々を過ごしてきた、

この約3ヶ月間は、

韓国の、ビジュアル系ロックバンド、
트랙스(TraX)(※2019年に解散)で、
Guitarのメンバーであった、

정모(ジョンモ)さんの、ソロ最新曲、

『끝이 좋으면 다 좋아』を、
ずっと、聴いていた--

曲名は、日本語で、
“終わり良ければ、全て良し”。

悩んで辛い時は、考えすぎないで、
疲れて苦しい時は、しばらく休んで、
ゆっくり歩いていっても、
良き終わりを、必ず迎えられるよと、

優しく応援してくれるような歌詞の、
穏やかなポップスバラードナンバーで、

辛い日々の中で、
励まされ、心癒された。

…もう、僕は、音楽活動を引退し、
僕が皆様に届けられる音楽はないので、

代わりに、僕の心を支えた音楽を、
皆様にも、御聴きいただけたらと思う--

◎정모『끝이 좋으면 다 좋아』[Music Video]



緩やかに計画を考えつつ、
もう少し休ませていただき、
ゆっくり歩み出していき、

良き終わりに、
向かっていきたい。




Android携帯からの投稿