龍蔵経歴の盲点

前回に続き、憤慨した龍蔵研究者たちの
皆さんに伝えtほしい
龍蔵の真実を、引き続き
搭載致します。

これまで、龍蔵経歴につき
ほとんどが

「1939年 招聘され
中国の <燕京大学>に」

というよく分からない表現で終了。
即、1939~1951帰国までは
実際、雲に包まれている。
この辺のでっち上げもあるそうだ。

以下、先生方の語る真実(最近、
この真実がだんだん主流になりつつある?
しかし、まだ気づかない方々も多い)。

先ず、
「誰」から招聘されたか?
これは、ハーバード の
「ハーバード燕京研究所」の招聘だ。

同研究所は、当時全米アジア研究の
最高研究機関で、「燕京」という名だが、
純アメリカの研究所である。

その出先は北京にもある。それは
「ハーバード燕京大学」学園内。

紛らわしい点: 北京の
「ハーバード燕京大学」は 
純 アメリカの大学で、
米国ハーバード大学の姉妹校だ。

なぜ?中国領内に 純米国の大学?
これは、当時中国は、半植民地、
米国が、この一帯の土地を購入し、
米国領にしたのである。

だから、この一帯の土地即「燕京」学園は
米国大使館同等な権利があったようだ。

だから、日本軍は北京を占領していたが、
この「燕京学園」だけには立ち入れなかった、
日米開戦前、米国は中立国で、
日米双方は対戦国ではなかったからだ。

だから、龍蔵赴任当時は
日中戦争真っ最中にもかかわらず、
学園の中は、「アメリカン・ライフ」
学園内の会話は全て英語、
教師も学生も勉学に励む。
ジャズが鳴り、人々は踊る、
戦争中の学園外とは別世界だった。

この学園内に同居したのは
米国の ハーバード燕京研究所 と
米国の ハーバード燕京大学 だった。

龍蔵が招聘され、赴任したのは
この燕京学園内にある、
ハーバード燕京研究所である。

この研究所の研究者としての赴任で、
「客座教授」(中文)名義で、
これまでの調査研究の続きが仕事であり
講義義務ありの教授ではない。

その論文発表は
米国放送局の全面バックアップで、
世界向け英語で放送された。

これほども大事にされた研究者は
今だかつてなかったそうだ。

日本で、龍蔵のこの部分の経歴は
ずっと、あやふや、ないしでたらめが多い。
中国語の漢字の拾い読みからも起因するようだ。

つまり、「龍蔵は中国のなにかの大学に呼ばれ
そこで教授をした」程度しかなかった。実は、
何も知らなかったのである。だから「盲点」。

この盲点による誤認識も多い(次篇)。

※ 当時に「北京大学」という大学もあるが
ハーバードと無関係な中国の大学であり。
もちろん龍蔵とも無関係。
今の北京大学は、又別。

憤慨した先生方のおっしゃる事実部分を
今回搭載しました。次篇に続く。

内容をご提供いただいた先生方、
本当にありがとうございます。
又引き続きどうぞよろしく!
          鳥居龍蔵 と 関野貞
引き続き、憤慨した龍蔵研究者たちの
貴重な見解を搭載致します。

不適なものがあった場合
全てこの無学のあざらしの
過ちとご理解くださいませ。

龍蔵顕彰・徳島発揚は本サイトの使命
でありながら、力不足あり、
どうかお許しください。

以下本題: 「鳥居龍蔵 と 関野貞」

「世間」の文面に、よく
両者に「軋轢」「対立」あり、とか、

おもしろ、おかしく書くものあり、
一部には、いかにも、
龍蔵という人間が、喧嘩好きで、
どこに行っても問題を起こす「不良」
であるかのように貶すものもいる・・・

しかし、真実は?
今日、上記テーマを解析する:

1911年、東京帝国大学(現 東大)の
人類学調査の指示を受け、
朝鮮半島に派遣された。

そこで、鳥居は
古墳の調査もした、

ことの発端はそこからだ、

建築家?で考古学者?の関野貞も
(同じ東大だが、どういう経緯で
いたのは不詳だが。多分建築の調査?
当時権勢があったと言われる)
古墳調査をした、

関野が、この古墳が
「高句麗のもの」と判断したに対し、

中国文化により詳しい龍蔵が
その学問的過ちを指摘し、

いえ、それは「漢人古墳」であることを
すでに調査済みの中国の古墳
を物的証拠に、この古墳は

漢人古墳であり、
そのような、古い時代に、すでに
漢人が朝鮮半島に渡来・移住の事実を
立証したのと同時に、

中国文化が、朝鮮半島経由で
日本に伝来したものだと、主張した。

当時、歴史学者ですらも、
漢人移住の事実に気づかずだった。

よって、このことは、鳥居龍蔵の
朝鮮研究・中国研究における
大きな業績である。(斉藤忠『鳥居龍蔵の業績』)

上記事実は、非常に単純な、学問的見解の違いで、
中国文化により詳しい龍蔵の見解が正しい、
それだけのことである。

本業が人類学だから詳しい、
なんの不思議もないことだ。

龍蔵が関野を個人的に攻撃したなど
そんなこと、これっぽちもない。
学問的「真」「偽」に限るできごとだ。

こんな単純なできごとにつき、
日ごろから、彗星のごとく、無学歴で
突然大きな実績をあげ、人気絶頂の
龍蔵が気に入らなかった?人々が、

さも、龍蔵と関野が相撲をとり、
龍蔵が残酷にも、
関野を張り倒したかのように、
「軋轢」「やら、「対立」やら大騒ぎ、

研究一筋の龍蔵は、個人間の
「相撲取り」には興味がない。
「温和な人柄」ながら、しかし
学問的真偽には厳しい。(斉藤忠『鳥居龍蔵の業績』)

理学部出身で、自然科学を基本とする
純欧米的な明治の人類学で育った龍蔵は、
自然科学者である。これは

ガリレオ、コペルニクスを見ても分かるように、
「科学の真実」につき、命をかけても
譲れないのが自然科学者なのだ。

龍蔵は「文学博士」だが、
これは、人類学部が文学部に改編されたため。

本来なら「理学博士」ないし「文理博士」のはずでは?

話題を戻すが、龍蔵と関野、
周囲の騒ぎは大きいのは、
無学歴で若い龍蔵が、「学問の真実」を
発言したその「生意気さ」が気に入らない
ためでは?
今から100年以上も前の時代だし、

だから、事実は極単純なこと、
龍蔵のほうが正しかったこと。
それ以上のなにごとでもない。

この単純な経緯を、今でも、ことばを濁し、
両者個人間になんら不明な「軋轢」「対立」
があったかのように書くものが多い?

リピートだが、事実は上記のような
極単純なもの。今だ、自らの立場・保身を配慮、
絶対、上記事実を明かそうとしない傾向あり、

日本学界の保守性、
「学問の真実」よりも「人間関係」優先の
社会風土も垣間見えるのでは?

ちなみに、関野の次世代と龍蔵の次世代は
なごやかな平和な関係にあったようだ・・・
(近親者からの取材)

緊急連絡を頂いた先生方のご意向を
一生懸命表現したあざらしだ。

「タブー」にされた単純な事実を明かし、
龍蔵顕彰を進めましょう。

鳥居龍蔵の真実を曲げない先生方
どうもありがとうございます。

         龍蔵の国内フイールドワークも、偉大!

前編の補足とし、
本篇を書きます、
できるだけ、先生方の
ご意向を間違いなく伝えたい。

これからは、
憤慨した研究者数名の
貴重なご意見を
徐々に、素人末筆ながら、
つづってゆきます。

         龍蔵、国内フイールドワーク

龍蔵の海外フイールドワークは、
あまりにも空前絶後で、豪華絢爛、

そのためか、龍蔵の国内フイールドワークが
忘れられがち、しかし、実は、
龍蔵の国内調査も、
「津々浦々」とは言わないまでも、
日本全土ほぼもれなく?
踏破している:

10代から、
龍蔵は、ふるさと 徳島を初め、
四国から日本全土を

北は北海道から、南は沖縄、まで
龍蔵は緻密な調査を行い、
それぞれの地域の村史などを
頼まれ書いたり、著作も多い、

龍蔵は心温かく、
地域調査・発掘の後、
必ず、地域の皆さんに報告する
それを「龍蔵方式」といってよいだろう:

「調査・発掘ー展示会ー講演会」
というセットなのだ。

その講演は分かりやすく魅力いっぱい、
「学問は皆のもの、
分かりやすくすべし」
というのは「龍蔵ポリシー」

龍蔵を気に入らず
「学問を通俗化した」など批判し、

学術用語を並べ立てる学者も多い時代、

龍蔵は堂々とマイウェイを歩いた。

「アジアを踏破」と言われるが、実は
日本列島も 踏破している。

鳥居龍蔵の国内調査につき、
考古学者・東洋学者
同じ東大出身の斉藤忠先生が
龍蔵の国内調査業績を
下記のように評価した:

鳥居龍蔵は、「考古学を全国的に普及し、この学問を啓蒙させたが、ここに彼のひとつの業績をみとめてよい。人類学者鳥居龍蔵の名声には噴噴たるものがあった。そして、地方の調査や講演にもしばしば招待された。彼はそのつど平明に、かつ雄大に学問をとき、聴衆を魅了させ学問を普及させた。」斉藤 忠 『鳥居龍蔵の業績』

(同「引用」は他サイトにもあるが、全て
憤慨した同一研究者の引用。その通報により
本サイトに再度搭載。

           鳥居龍蔵情報
          緊急通報あり


② 業績評価につき
 「戦争加担」「グレーゾーン」などの誹謗中傷もある。
 事実、該当するものは、米国GHQにより、投獄された。
 逆に、鳥居龍蔵はアメリカ ハーバード により、
 日中戦争さなか指名スカウトし
 米国アジア研究最高機関である
 ハーバード燕京研究所の研究者になった、
 戦後、同研究所に復帰
 人類学研究を続けた。

以上2点、
専門家研究者より
憤慨の通報があったため、
緊急搭載させて頂きました。

なくなった人に対し、
誹謗中傷しやすいからか、
不勉強で無責任、
その半面、

龍蔵を派遣した東大に対し、
怖い?から、さわらない。
自分になにか不都合があると
いけないからか?

東大あっての龍蔵、
龍蔵の功績は東大のもの
でもある。

上記のような
事実的にも、論理的にも
レベル のない話を
平気で振り回すものは
一体な~に?

ぼく、このようなサイトは
もっとましなものと
期待していたが、
その中身は、
作成者レベルはピンからキリ、
どうにもこうにも
ならないようだ?

その上、
内容的に判断管理の
管理者不在だそうで、
・・・

内容に、まともな部分もありだが、
いつ、どうなるか、
知られたものじゃあるまい?

取り急ぎ、
龍蔵研究者の怒り情報を
皆様に提供いたします。

聞いただけでも
腹が立ちます!

IT時代だからこその
マイナスな一面でしょう・・・

情報提供くださった先生の方々
本当にありがとうございます。

本サイトは
鳥居龍蔵顕彰のためのサイト
鳥居龍蔵・徳島が主人公だ、

今後もご遠慮なく、
お知らせくださいませ、
どうぞよろしく!

「権威」たる先生たちも、
こういう理不尽に会うのかと、
おどろきだ!

他のサイトは他のサイトだ。

本サイトは微力ながら、
引き続き
鳥居龍蔵顕彰・
そのふるさと
徳島の発展に
尽くしたいと、
真摯に思っております。

これまでの
皆さまのご応援に感謝です、
これからもどうぞよろしく!
立冬も過ぎ、
天候は緩やかに、冬に向かっている、
師走 の足音も近づいた・・・

年末の忙しさに巻き込まれる前、
一つ「気晴らし」しないか?

鳥居龍蔵創設武蔵野会、
今の武蔵野文化協会、

その「悠々たる」例会に
参加してみないか?
(文字調整時間がなく、ごめん)

           紅葉の大名庭園を歩こう
            ~六義園と後楽園~


12月例会は、特別名勝に指定される、柳沢吉保が下屋敷として造営した六義園と、初代水戸藩主徳川頼房が造営し、後に嫡子光圀が改修した小石川後楽園を鑑賞します。
紅葉の素晴らしい都心のオアシス、二つの大名庭園へお誘い併せてご参加下さい。
             記
日 時  平成26年12月7日(日)12時集合 (雨天決行)
集 合 六義園「正門」前集合
     (当日は、臨時に「染井門」が開門中ですが、正門前へお回り下さい。)
交 通 ①JR山手線又は地下鉄(東京メトロ)南北線「駒込駅」徒歩7分
②都営地下鉄三田線「千石駅」より徒歩10分
ご案内  樋渡達也氏(本会理事長)
会 費 一般1200円、65歳以上の方1000円(入園料・資料代)
     (65歳以上の方は、年齢を確認できるものをご持参ください。)

コース  六義園(徳川5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保が、自らの下屋敷として造営
     した大名屋敷。約88千㎡。元禄15年、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月を
     かけて約7万㎡起伏ある回遊式築山泉水庭園を完成。綱吉は58回の御成。特別名勝。)

     ーー駒込駅(地下鉄移動)ーー後楽園駅(下車)ーー小石川後楽園(寛永6年、
     水戸藩主初代徳川頼房が作庭家徳大寺左兵衛に命じて築庭。約7万㎡。その後、
     嫡子光圀が改修。国の特別跡。
     スライド説明後園内見学。解散4:30頃)

その他 ・昼食は、各自済ましてご参加ください。暖かな服装にて。
     ・地下鉄移動の交通費は各自負担。

武  蔵  野  文  化  協  会
〒362-0011 平塚976-5(加藤方)
          電話・FAX 048-775-6918
メール kt-isao@jcom.home.ne.jp
次 回  1月は休会。2月例会は2月22日(予定)歴史講座「武蔵野の板碑」(予定)